その1 雪遊び
半年に及ぶ山小屋生活の大半は、雪を見て暮らす。
5月一杯は小屋の前から槍沢をスキーで滑降して遊ぶヤツが多い。もっともリフトはないので、殺生ヒュッテまで下りると帰りはスキー板を担いで20分ほどの登りになる。調子に乗ってグリーンバンドあたりまで滑降すると帰りが1時間近くかかるが、元気のイイやつは食事後すぐに飛び出して槍沢の急斜面を飛ばしていく。
山スキーに慣れたスタッフは、小屋の . . . 本文を読む
槍の小屋番でクライミングをかじっているとなると、小槍を登らないとハナシにならない。と言うわけで、私は小屋番最後の年に3回ほど登ることができた。
最初は夏。山小屋にやってくる某有名登山家とよく酒を飲んでいた私は、常々彼に「小槍を一緒に登ってください!」と頼んでいた。そんなある日、たまたま東鎌尾根から彼がやってきたので、昼休みを利用して登ることにした。
あわてて準備をして、すぐに取り付きに向かう。 . . . 本文を読む
1999年から2000年にかけての年末年始に、槍岳山荘を営業した。槍岳山荘には冬期用の避難小屋部分があり、小屋の閉鎖期間中は開放されている。しかしこの時は本館を開けて、登山者を宿泊させようとしたのだ。厳冬の槍岳山荘で数日を暮らすという贅沢を味わえることに魅力を感じ、よろこんで参加させてもらった。
1999年の小屋閉め前にダンボール箱1つ分のラーメンやレトルト食品を荷揚げしてもらい、余った野菜類を . . . 本文を読む
槍岳山荘は標高3060mにある。そのため、夏になれば毎日のように頭痛や吐き気など、高山病の症状を訴える登山者が現れる。
夏のシーズン中は慈恵医大の運営による診療所が開設されるので、患者を診療所に放りこめば済むのだが、たまたまドクターや学生がいなかったり、期間外だったりすると、小屋番が対処しなければならない。おかげで私は高山病の診断に関しては「ニセ医者」レベルである。
3000mで高山病発生?= . . . 本文を読む
上高地を震源とする地震が続いていたときのことだ。一番大きな揺れがあり、小屋にも被害が発生して慌ただしい一日を過ごしていた。その日の夜7時頃、ひとりの中年女性がやってきた。
「北鎌尾根にガイド登山のパーティがいて、もうしばらくで小屋につくから食事の用意をして欲しい」と、その登山者は言った。「もう夕食の時間は過ぎてますので、牛丼などの簡単なものならいいですよ」と私が言うと、「みんなまともに食事をし . . . 本文を読む