吉田憲司氏のアフリカ・チュワ族の研究書「仮面の森」のご紹介を続けさせていただきます。
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(引用ここから)
チュワの人々は、彼らの住む世界に、様々な霊的存在を認めている。
まず生きている人間の脳には、「チワンダ」が宿っているという。
この場合の「チワンダ」は、「魂」とでもいうべき存在である。
人間が死ぬと「チワンダ」が体を離れ、村の内外をうろつきまわる。
死者の霊は、「ニャウ」が営む「葬送儀礼」を経ることで、祖霊となる。
そしてその祖霊が、将来新たに生まれてくる子供の魂の「チワンダ」=「魂」になる。
チェワの人々は、また数多くの「動物霊」の存在を信じている。
動物が死ぬと、その脳に宿った「チワンダ」が体を離れて、森をうろつきまわるとされる。
四脚の哺乳類、鳥類、蛇類、トカゲ類、ワニ、カメ、カエルは霊を持つ。
魚や虫は持たないとされる。
これらの霊は、いずれも生者に憑りつくことがあると考えられている。
多くの霊の場合、憑りつかれた者の魂、ないし意思は、そのまま維持される。
それらの霊は、生者の体につき、その人物に病をもたらすという。
ただ、中には、憑依することで生者の魂と入れ替わり、その人物に「トランス」=「意識のない状態」を引き起こすものがある。
「ニシキヘビ」の霊、「ライオン」の霊がそれである。
チェワの人々は、これらの霊に憑りつかれると、姿は人間のままで脳がニシキヘビやライオンの脳になると言う。
そしてそのような人物は、「霊媒」となる。
「ニシキヘビ」
ニシキヘビの霊に憑依されるのは、バンダ氏族の女性に限られる。
彼女らは、まずからだ全体が重く感じるようになり、痛みも手伝って食欲を失ってしまう。
こうした前駆症状の後に、突然意識を失って倒れこむ。
このためこの種の霊に憑りつかれた人物は、「倒れる者」と呼ばれる。
彼女たちは、しばらくして起き上がると、特異な声でしゃべりだす。
歌を歌いだすこともある。
多くの場合、その発話や歌の内容から、「ニシキヘビ」の霊がついたことが確認される。
回復した後、本人はこの間の出来事を記憶していない。
憑依はその後、周期的に発生する。
憑霊によっておこる発作は、一種の病気とみなされており、供物を捧げ、「ニシキヘビ」の霊を慰撫することによって、そのつど癒すことができる。
その霊の意に任せて踊ることも、治療の一部と考えられている。
ただし、一度付いた霊は、その人物が死ぬまで取り去ることができない。
また、毎年新しく作物が採れる度に、その作物を「ニシキヘビ」の霊に捧げてからでないと、自分の口に入れてはならないとされている。
○重度の巫病に陥った女性の治療儀礼
儀礼は2日に渡って行われた。
1日目の夜、村の中にある霊媒の家の前で、夫が中心になって、ドラムを叩き始める。
用いられるドラムは、「ニャウ」の舞踏の際に使用されるものと同じである。
しばらくすると、霊媒の女性の息遣いが激しくなり、彼女自身が、「霊が来た」と叫ぶ。
それ以後のことは、彼女自身は全く覚えていない。
霊媒の体にまもなく痙攣が走り、彼女は歌を歌いだす。
それに合わせて、集まった近所の女たちが歌を歌う。
♪おまえ、おまえは客人をよぶ
おまえ、このドラムは、いつも叩くものではない♪
おまえとは、ドラムの叩き手を指している。
このドラムの叩き方は、「ニシキヘビ」を呼ぶためのものだ。
それ以外の時は叩かないでおくれ、という歌である。
霊媒は、この歌に合わせて、ドラムの叩き手と一人ずつ握手をしていく。
「ニシキヘビ」の霊が、人々に挨拶をしているのだという。
握手がすむと、霊媒は踊り始める。
足を小刻みに動かし、前へ行ったと思うと、すばやく後ろに下がり、時折くるくると旋回する。
この運動は、蛇の動きに対応したものとされる。
また別の歌を歌い始める。
♪湖に行けば かかっている
湖に行けば かかっている
この地上には、わたしの弓(=虹=「ニシキヘビ」)がある
わたしが死んだら、その弓をわたしから引き継いでおくれ♪
「弓」とは「虹」を指し、さらには「ニシキヘビ」のことを意味している。
チュワ語では、虹は、「雷の大きな弓」という意味である。
雷が鳴るような時に、「虹」が、弓型にかかるところからきている。
またその「虹」の下には、必ず「ニシキヘビ」がいるといわれる。
「虹」は「ニシキヘビ」の呼気であると考えられているのである。
この歌は、自分が死んだら、自分に憑りついている「ニシキヘビ」の霊を誰か引き継いでくれ、という歌である。
一般に、「ニシキヘビ」の霊は、一人の霊媒から霊媒へ、母系を辿って継承されていくとされている。
歌が変わっても、踊りそのものは一定である。
それぞれの歌は、かならず霊媒が歌い始め、それを女たちが引き受けるという形をとる。
こうして歌と踊りが数時間続けられた後、頃合いを見計らってドラムを叩くのをやめると、憑霊も終わる。
その夜、霊媒の枕元には、新しい作物が置かれる。
夫はその夜、よそで過ごす。
同夜、「ニシキヘビ」が家を訪れ、霊媒と一夜を共にするとされるからである。
「ニシキヘビ」の霊に憑りつかれた瞬間から、霊媒は子供を生む能力を失うという。
翌朝、前夜枕元に置かれていた作物が、霊媒の近親の子供の手で、村の外の霊木の根元に供えられる。
次のような言葉が唱えられる。
♪村へ来ていただいても結構です
あなたが残していった人が、ここにいるのですから
でも、おいでになる時は おとなしくおいでください
礼儀正しくおいでください
それなら私たちも、あなたを、ドラムを叩いて迎えましょう
どうか、この食べ物を食し、彼女の病を取り除いてください♪
この霊木は、「ニシキヘビ」の霊や死者の霊、祖霊を含めて、あらゆる霊を「引き出し」てくれる木とされている。
この儀礼を行うだけで、病はたちどころに快癒すると言われる。
(引用ここまで)
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なぜかくも、シャーマニズムは汎世界的に行われているのでしょうか?
人と自然、人と動物、人と人、人と集落、、鏡が無い世界で、人が生きる時、人は自分が人であるということを、どのようにして認識するのだろう、、とわたしは最近考えています。
どうしたら、「わたしは蛇でない」と言い切ることができるのだろう、、それって、不思議なことだと思いませんか?
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