吉成直樹著「琉球民俗の底流」からの紹介を続けます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
著者があとがきに書いているのですが、この本は「定説」を前提にして、それをくつがえすために書いてあります。
ですから、少々分かりにくい部分があるように思いますが、 私としては、日本文化の基層に関する一資料として、良い資料だと考えています。
地底人がいたという証拠には足りませんが、太陽信仰と相克したさらに古い文化があったのではないかとは思っています。
*****
(引用ここから)
ところで「アマミキヨ」とはなにものなのだろうか。
「アマミキヨ」にまつわる伝承には複雑な陰影がある。
これまでの研究に従えば、太古、沖縄の島々に南下して住みついた人々の故郷が「アマミ」「アマミヤ」であり、その故郷に住む人々が「アマミキヨ」ということになる。
「おもろさうし」の中では、“大昔”という意味である。
しかし「アマミ」の語義、語源についての定説はない。
ところで中本正智氏は「アマミキヨ」の「ミ」は「土」、「キヨ」は「子」と解し、「ミキョ」は「土子」という意味としている。
また「アマミキヨ」、「シネリキョ」の住みかと伝承されている、玉城村の洞窟、ミントングスクもまた、「土の殿」、すなわち「地下にある殿」と解している。
ミントンを「土の殿」とする解釈は、新里村に「アマミク」「シルミク」の二神が、洞窟で子孫を産んだ、とされる伝承があることからも裏付けを得ることが出来よう。
琉球の開闢を述べる「おもろ」には、天上の神である太陽神が「アマミキヨ」「シネリキヨ」をお召しになって、島づくり、国づくりを命じたが、なかなか完成しないので待ちわびる。
そして最後に天上の太陽神が「“「アマミキヨ」の血筋を引く人を産むな、「シネリキヨ」の血筋を引く人を産むな、血筋の正しい人を産みなさい。”とおっしゃった。」と語られているのである。
ここで“血筋の正しい人”というと、太陽神の血筋を引く人の意味であろうから、「アマミキヨ」「シネリキヨ」は太陽神とは関係ない存在ということになる。
ではどこに由来する神なのか。
「ミキヨ」が「土子」を意味するものとすれば、地底の血筋を引く人であるにちがいないのである。
「原初洪水型の兄弟始祖神話」は日本、琉球、インドネシアなどに分布するが、琉球列島を北上した可能性がある。
また「土中からの始祖神話」も、同一の伝播ルートであることに疑いようはない。
これまではあまりに新来の人々に結びつく“天”“海”と、現実に存在する“奄美”という言葉に目を奪われ、その古層にあって母体となった神話に、視線が届かなかったのではなかろうか。
そもそも琉球列島において、海を「アマ」とよんだ事実を確認することはできるのだろうか。
ちなみに 古代朝鮮語の立場から、徐延範は「アマミ」は「アマ(母)+ミ(土)」と解して、“母なる土地”の意味にとるべきではないかと言う。
ここでも、「ミ」を「土」と解していることは興味深い。
(引用ここまで・終)
*****
下の記事はアマミキヨの古い神面が65年ぶりに復元され、奉納の儀が執り行われたという記事です。
*****
「沖縄・南城市HP」
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/3/2418.html
(引用ここから)
「ミントングスクでアマミキヨ面・神遊び」 (2010/02/25)
ミントングスクは琉球開闢神・アマミキヨが安住した地とされています。
戦火で焼失したアマミキヨ面が65年ぶりに復元され、ミントングスクに奉納されました。
復元の研究にあたったのは千本木智美氏。
現存当時のスケッチや写真などの資料をもとに、ミントン家の知念氏などの協力を得て、2009年5月に復元を完成させました。
面を製作した仏像彫刻師・仲宗根正廣氏は「ニ度と戦火に合わないように平和の祈りを込めて製作した」とのこと。
はじめに参加者全員でミントングスクに大拝。
その後、おごそかに舞「初穂」が演舞されました。
そしていよいよ、磐笛の音が響く中、アマミキヨ面をかぶった演者が登場。
ミントングスクの石段を静かに降りながら「うやがん舞」を演舞。
神々しい演出と圧巻の演舞に、聴衆は息をのみました。
祭式の後は、「神遊び(かみあしび)」として、宴会場に場所を移し、稲穂儀礼「天親田(あまうぇーだ)」などを鑑賞して、良き日の喜びを分かち合いました。
ちなみにこの日は旧正月の初牛の日にあたり、日中に地域の方々が「親田御願」として地域内の聖地を拝み、稲作発祥の地「受水・走水(ウキンジュ・ハインジュ)」で田植えの儀式が行われています。
※ミントングスクは私有地です。敷地内に入る際は地主の方の許可を得て下さい。
(引用ここまで)
*****
wikipedia「ニライカナイ」より
ニライカナイは、沖縄県や鹿児島県奄美諸島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承。
遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。
豊穣や生命の源であり、神界でもある。
年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。
また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。
琉球では死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあった。
上記のように、ニライカナイは複合的な観念を持った楽土であるが、この概念は本土の常世国の信仰と酷似しており、柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。
なお、琉球では他の他界概念として、権威を守護する神々の神界としてオボツカグラを想定していた。
信仰上の他界概念を水平表象と垂直表象で論じた折口信夫は、ニライカナイを水平の、オボツカグラを垂直の他界と指摘している。
ニライカナイ信仰は、現在も旧琉球王国領の各地域において、伝統的な民間信仰の主要な要素である。
ニライカナイは「ニライ」「カナイ」の二文節にわけられ、「ニライ」は「根の方」という意味と考える説が有力である。
「カナイ」の解釈には、韻をとるための無意味な言葉とする説や「彼方」を意味するとする説など諸説ある。
「儀来河内」の漢字が当てられることがある。
前項の他界概念の呼称として「ニライカナイ」という言い方が広く知られているが、これは「ニライ」の文学的表現で、「ニライ」のほかにも琉球の各地域によって「ニレー」「ニリヤ」「ニルヤ」「ニーラ」「ニッジャ」などさまざまに呼ばれている。
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著者があとがきに書いているのですが、この本は「定説」を前提にして、それをくつがえすために書いてあります。
ですから、少々分かりにくい部分があるように思いますが、 私としては、日本文化の基層に関する一資料として、良い資料だと考えています。
地底人がいたという証拠には足りませんが、太陽信仰と相克したさらに古い文化があったのではないかとは思っています。
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(引用ここから)
ところで「アマミキヨ」とはなにものなのだろうか。
「アマミキヨ」にまつわる伝承には複雑な陰影がある。
これまでの研究に従えば、太古、沖縄の島々に南下して住みついた人々の故郷が「アマミ」「アマミヤ」であり、その故郷に住む人々が「アマミキヨ」ということになる。
「おもろさうし」の中では、“大昔”という意味である。
しかし「アマミ」の語義、語源についての定説はない。
ところで中本正智氏は「アマミキヨ」の「ミ」は「土」、「キヨ」は「子」と解し、「ミキョ」は「土子」という意味としている。
また「アマミキヨ」、「シネリキョ」の住みかと伝承されている、玉城村の洞窟、ミントングスクもまた、「土の殿」、すなわち「地下にある殿」と解している。
ミントンを「土の殿」とする解釈は、新里村に「アマミク」「シルミク」の二神が、洞窟で子孫を産んだ、とされる伝承があることからも裏付けを得ることが出来よう。
琉球の開闢を述べる「おもろ」には、天上の神である太陽神が「アマミキヨ」「シネリキヨ」をお召しになって、島づくり、国づくりを命じたが、なかなか完成しないので待ちわびる。
そして最後に天上の太陽神が「“「アマミキヨ」の血筋を引く人を産むな、「シネリキヨ」の血筋を引く人を産むな、血筋の正しい人を産みなさい。”とおっしゃった。」と語られているのである。
ここで“血筋の正しい人”というと、太陽神の血筋を引く人の意味であろうから、「アマミキヨ」「シネリキヨ」は太陽神とは関係ない存在ということになる。
ではどこに由来する神なのか。
「ミキヨ」が「土子」を意味するものとすれば、地底の血筋を引く人であるにちがいないのである。
「原初洪水型の兄弟始祖神話」は日本、琉球、インドネシアなどに分布するが、琉球列島を北上した可能性がある。
また「土中からの始祖神話」も、同一の伝播ルートであることに疑いようはない。
これまではあまりに新来の人々に結びつく“天”“海”と、現実に存在する“奄美”という言葉に目を奪われ、その古層にあって母体となった神話に、視線が届かなかったのではなかろうか。
そもそも琉球列島において、海を「アマ」とよんだ事実を確認することはできるのだろうか。
ちなみに 古代朝鮮語の立場から、徐延範は「アマミ」は「アマ(母)+ミ(土)」と解して、“母なる土地”の意味にとるべきではないかと言う。
ここでも、「ミ」を「土」と解していることは興味深い。
(引用ここまで・終)
*****
下の記事はアマミキヨの古い神面が65年ぶりに復元され、奉納の儀が執り行われたという記事です。
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「沖縄・南城市HP」
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/3/2418.html
(引用ここから)
「ミントングスクでアマミキヨ面・神遊び」 (2010/02/25)
ミントングスクは琉球開闢神・アマミキヨが安住した地とされています。
戦火で焼失したアマミキヨ面が65年ぶりに復元され、ミントングスクに奉納されました。
復元の研究にあたったのは千本木智美氏。
現存当時のスケッチや写真などの資料をもとに、ミントン家の知念氏などの協力を得て、2009年5月に復元を完成させました。
面を製作した仏像彫刻師・仲宗根正廣氏は「ニ度と戦火に合わないように平和の祈りを込めて製作した」とのこと。
はじめに参加者全員でミントングスクに大拝。
その後、おごそかに舞「初穂」が演舞されました。
そしていよいよ、磐笛の音が響く中、アマミキヨ面をかぶった演者が登場。
ミントングスクの石段を静かに降りながら「うやがん舞」を演舞。
神々しい演出と圧巻の演舞に、聴衆は息をのみました。
祭式の後は、「神遊び(かみあしび)」として、宴会場に場所を移し、稲穂儀礼「天親田(あまうぇーだ)」などを鑑賞して、良き日の喜びを分かち合いました。
ちなみにこの日は旧正月の初牛の日にあたり、日中に地域の方々が「親田御願」として地域内の聖地を拝み、稲作発祥の地「受水・走水(ウキンジュ・ハインジュ)」で田植えの儀式が行われています。
※ミントングスクは私有地です。敷地内に入る際は地主の方の許可を得て下さい。
(引用ここまで)
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wikipedia「ニライカナイ」より
ニライカナイは、沖縄県や鹿児島県奄美諸島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承。
遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。
豊穣や生命の源であり、神界でもある。
年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。
また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。
琉球では死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあった。
上記のように、ニライカナイは複合的な観念を持った楽土であるが、この概念は本土の常世国の信仰と酷似しており、柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。
なお、琉球では他の他界概念として、権威を守護する神々の神界としてオボツカグラを想定していた。
信仰上の他界概念を水平表象と垂直表象で論じた折口信夫は、ニライカナイを水平の、オボツカグラを垂直の他界と指摘している。
ニライカナイ信仰は、現在も旧琉球王国領の各地域において、伝統的な民間信仰の主要な要素である。
ニライカナイは「ニライ」「カナイ」の二文節にわけられ、「ニライ」は「根の方」という意味と考える説が有力である。
「カナイ」の解釈には、韻をとるための無意味な言葉とする説や「彼方」を意味するとする説など諸説ある。
「儀来河内」の漢字が当てられることがある。
前項の他界概念の呼称として「ニライカナイ」という言い方が広く知られているが、これは「ニライ」の文学的表現で、「ニライ」のほかにも琉球の各地域によって「ニレー」「ニリヤ」「ニルヤ」「ニーラ」「ニッジャ」などさまざまに呼ばれている。
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