引き続き、ヒュー・G・ギャラファー著「ナチスドイツと障害者「安楽死」計画」のご紹介を続けます。
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(引用ここから)
ナチス時代に何人の障害をもつドイツ人が殺されたのか、正確な数字をあげるのは難しい。
計画終了後の自発的な殺人に関しては信頼に足る数字がないからである。
裁判の文書には12万人という数字が、公立施設入所者で殺された総数であるとするものがあるが、
研究者たちによれば、この数字は控えめであり、27万5000人という推定者もいる。
1238年にベルリンから1万6295人の「精神病患者」が来ていた某地方では、1945年に残っていたのは2379人だった。
某施設では2500人のうち生き延びたのは500人であった。
「安楽死計画」は、ドイツのほとんどすべての「重度障がい者」と「慢性的精神障がい者」の命を奪ったのである。
「こども計画」
「T4計画」は、子供や幼児を対象としなかった。
しかし第三帝国下でドイツ医学を支配していた優生学者と人種衛生学者の邪悪な視線から逃れられたわけではなかった。
誕生時に欠陥のある子どもや、「知的障害」とみなされた子供は、「子供計画」の対象範囲に含まれた。
「子供計画」は、ドイツの小児科医に、奇形や「知的障害」の新生児を殺すのを許可した。
「子供計画」は「T4計画」と並行して、同じようにこじんまりと非公式に始まった後に、大がかりな事業となり、医者による中央委員会がベルリンで結成され、犠牲者の選定を行った。
中央のコントロールがなくなった時点で、各地の小児科医が実権を握り、大規模殺人と化した。
自分の意志で、誰からも監督を受けず、誰にも報告せずに、小児科医は活動した。
事件の指導的立場にあった医師ブラントは、法廷裁判で、ドイツの「障害児計画」は、遺伝病に苦しむ子供の誕生を防止するための1933年の「断種法」の延長線上にあると証言した。
そして、同様の法律が米国を含む多くの国で施行されている、と言及した。
この法律が、本人と家族に汚名を着せたのは間違いなかった。
政府は、欠陥のある子どもに反対するキャンペーンを開始した。
1920年に著されて影響力を持った研究は「無価値の生命を圧殺する許可」だが、著者は「脳損傷」や「知的障害」といった「人間バラスト」の場合には、殺人はただの殺人と異なり、許されるべき有益な行為であると力説している。
賛否両論が巻き起こったが、奇形の新生児殺害は、ナチス以前のドイツで大方受け入れられていた。
その証拠の一つに1920年の世論調査で「精神的に障害のある子どもの両親・保護監督者の73%がそういった子供を殺すことに賛成である」という結果が出ている。
ナチスドイツには、殺人の空気が漂っていた。
非公式に、何の許可もなく、医者は1933年以来、自分たちで活動を始めていた。
生きる能力がないと見なされた新生児は、医者の判断だけで殺された。
研究者は「自発的殺人」と名付けたが、罰せられることはなかった。
1930年代当時に存在した、犯罪行為を取り締まる仕組みは、「取るに足らない」とか、「証拠不足」という名目で機能しなかった。
中央がコントロールした政府の計画が始まる前に、殺人がどの程度行われていたのか不明である。
ミュンヘン郊外の某病院で、プファンミュラー博士が幼い患者を餓死させていたことが知られている。
1939年に同病院のツアーに参加した心理学者ルードヴィッヒ・レーナーが、ニュルンベルク裁判に提出した証言録は以下のとおりである。
「プファンミュラが語ったのはおよそ以下の通りである。
「これらの生物(子供を意味していた)は、国家社会主義者としてのわたしにとって、健康な民族への重荷にしかすぎない。
私たちは毒や注射で殺すことはない。
そんなことをしたら外国のマスコミやスイスの赤十字が大騒ぎする新材料を提供するだけだ。
うちの方法はもっと簡単で、自然だ。
御覧いただきたい」。
こう言うと、看護婦に助けられて、子供を小さなベッドから起こした。
その児をまるで死んだウサギのように示し、ひねくれた笑いを浮かべ、よく分かっているという表情で「これはあと2、3日かかるだろう」と口にした。
このでっぷりとした男は薄笑いを浮かべ、その肉厚の手には、やせ細った児が泣いていた。
他の児たちも飢えていた。
この場面は今でも私の脳裏にまざまざと焼き付いている。
この人殺しは、説明を進めた。
「急に食事を止めるのではなく、徐々に減らす方法をとっている」と語った。
ツアーに参加していた女性が、怒りを必死におさえながら「注射による速やかな死が、少なくともまだ慈悲があるのではないか?」と質問した。
これに対して彼は「外国の報道を考慮すれば、自分のやり方の方が現実的である」と自賛した。
「精神病」の子供だけでなく、ユダヤ人の子供も殺されるという事実を、彼は隠そうともしなかった」。
戦争末期に、ドイツは生き地獄と化した。
ドイツは、死体安置所となった。
ヒトラーの生命観は「永遠の闘争」だった。
「強者は自分の意志を押し付けることができる。
それが自然の法則だ」。
「ジャングルの法則」である。
10年間で、ヒトラーはドイツを「ジャングル国家」に変えた。
野生の霊長類を研究している科学者の報告に、「攻撃レベルが上昇したある環境下ではサルが幼い仲間に敵意を抱き、赤ん坊を殺し、食べる」という恐るべき現象がある。
同じように、ヒトラーの市民は、破壊の衝動にかられ、自分たちの子供に敵意を示し、殺したのである。
(引用ここまで・終)
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同じテーマを扱った本に、精神科医・小俣和一郎氏の「ナチス もう一つの大罪」という本もあります。
ほとんど内容が重複するので、ご紹介に留めます。
ナチスドイツの思想について考察した有名な本に、哲学者ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン・悪の陳腐さについての報告」という本があり、「悪の凡庸性」という概念は有名です。
戦後のナチス裁判を傍聴した彼女が著したこの本は、ナチスドイツによる信じがたい悪事の根源として、人間が悪を行う時に、きわめて凡庸な精神で行うという観察が書かれています。
これは、子供たちの間の「いじめ」や、家庭内暴力(DV)から、様々な戦争まで、ありとあらゆる人間間の争いに共通するものであると思われ、ある状況下に置かれた人間が、判断力を失うと、命令に従っていかなる悪も行ってしまうものである、と考察しています。
この特殊な心理状態について、心理学の研究もおこなわれています。
その実験・研究によると、どんな人でも状況により、他人に対して加虐を行う事実が実証されています。
この実験については、後日また取り上げたいと思います。
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