「5000年前、中国最古の原始文字か」 読売新聞2013・07・10
9日付の中国誌「光明日報」によると、中国江省平湖市の庄橋墳遺跡から約5000年前のものとみられる原始文字が見つかった。
中国最古と見られる甲骨文字が使われていたのは約3600年前で、今回見つかった原始文字が中国最古のものとなる可能性があるという。
同遺跡は新石器時代の「良渚(りょうしょ)文化」に属し、約5000年前のものとされる。
2003年~2006年の調査で約240点の陶器や石器を発見。
その中の石製の「まさかり」の表面に浅く刻まれた複数の跡があり、紙の上に書き写したところ、旗や魚などの形になった。
画数が5画以内の簡単な記号も6つ並び、そのうち2つは現在の「人」によく似ていた。
他の石器や陶器にも同じような跡が残っており、江省文物考古研究所の研究員が、当時使われていた原始文字の一種と判断した。
考古学専門家は同誌に対し「中華文明のプロセスを知る上で、重要な学術的意味をもつ」と説明した。
Wikipedia「良渚文化」より
良渚文化(りょうしょぶんか)は、長江文明における一文化。
紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。
1936年、浙江省の杭州市良渚で発掘された。
沢文化などを継承しており、黄河文明の山東竜山文化との関連も指摘されている。
柱形・錐形・三叉形など多様な玉器の他、絹なども出土している。
分業や階層化が進んでいたことが、殉死者を伴う墓などからうかがえる。
○提唱されている学説
近年、長江文明研究の進展により、良渚文化は夏や殷王朝に比定されている。
また、黄帝の三苗征服伝説を、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化による三苗(ミャオ族)征服の痕跡とみなし、黄河文明と長江文明の勢力争いを描いたものとする見方もある。
徐朝龍によれば、良渚文化は稲作都市文明を形成していた。
1000年ほどの繁栄を経て、洪水でこの文化は崩壊する。
良渚文化集団の一部は北上し、黄河中流域で夏王朝を興した。
やがて夏王朝は支配下にあった東夷后羿(こうげい)部族に倒される。
夏王朝の遺族の一部は北西に逃れ、匈奴、のち四川盆地に移住し、三星堆文化を築いたとする。
HP「三星推文化」
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