引き続き、黒田龍二氏の「中世日吉社における神仏関係とその背景」という講演をご紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
<床下の祭祀>
本殿床下に特殊な意義がある事例としては、他に次のようなものがある。
全国にたくさんあるお稲荷さんの社では、床下を囲う壁の背面側に穴が開けられている場合がある。
お稲荷さんは狐を眷属神、使いの神としていて、狐が出入りするための抜け穴が床下に開けてある。
床下から神の使い、あるいは神自体かもしれないが狐が出入りするという考えが一般的にある。
これに関連した興味深い例は、奈良県十津川村の「玉置神社」である。
ここの「三柱神社」という境内社は、「三狐神」という稲荷神を祀っている。
その本殿の床下には部屋がこしらえてあって、そこで狐落としをやっていたという。
昔は精神病が動物霊の憑依によるものと解釈される場合があり、治すためには憑依した霊を人体から離すこと、たとえば霊が狐とされた場合には狐落としという民間療法が有効とされた。
そのための部屋が本殿床下に作られているのである。
二畳ほどの、大人は立てないくらいのせまい部屋で、外から施錠すると真っ暗になり、出ることができない。
そこに病人を閉じ込めておくと、ばたばたと暴れたあげくに静かになり、狐は落ちたという。
床下に大きな霊力があるということも考えられる。
「山王七社」のうちの十禅師社(現「樹下神社」本殿の床には、井戸がある。
「十禅師」の神が井戸の神であるとか水の神であるという伝承はないし、この井戸のことは記録に出てこないので、一体どういう由緒があるのかまったくわからない。
しかし本殿の下に井戸があるということ自体が普通のことではないから、この井戸はなんらかの霊力をもつのであろうと推測される。
池の上に本殿を建てたという伝承は、京都の「八坂神社」にもある。
「八坂神社」は疫病の神であるから、水と全く関連がないわけではない。
また「大宰府天満宮」は、菅原道真のお墓の上に立っていると言われている。
伊勢神宮では「本殿」のことを「正殿」という。
「正殿」の床下の中心には「心の御柱」という杭のような短い柱があり、古代から少なくとも江戸時代までは、その前で伊勢神宮の最も重要な祭祀として、由貴大御饌(ゆきのおおおみ)という食事を奉る祭儀があった。
祭儀は「大物忌(おおものいみ)」という成人前の女子が中心になって行われた。
神事の一環として床下に入る、あるいは籠ることもある。
江戸時代の記録によると、「日吉社」の「山王祭」では、祭りの前に大宮の下殿に宮仕という職の者が全員集まり、二十一社に神酒を供えた。
このことの意義を見極めるには至っていないが、あるいは下殿の本質に関わる問題を含んでいると見られる。
というのは、この当時大宮下殿には大宮の本地仏である釈迦如来が祀られていたが、この祭儀は二十一社に対するものであって、大宮に対するものでも釈迦如来に対するものでもないからである。
神社の祭儀の直前に関係者が神社に籠って精進潔斎する行為も宮籠りというが、これはそのような宮籠りと見るべきものであろう。
このような宮籠りが床下で行われた事例としては、兵庫県出石郡但東町の「日出神社」がある。
ここでは祭りの宵宮に、子ども達が本殿の床下でたき火を焚いてお籠りをしたということで、本殿床下が真っ黒にすすけているという報告がある。
(引用ここまで)
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興味深い事例がたくさん挙げてあり、ドキドキしました。
なぜ、神社の床下に、大きな井戸があるのでしょう?
これ以上不気味なものって、そうは思いつきません。
子どもの頃、友達といっしょにつくった隠れ家を思い出しました。
井戸は作れなかったので、バケツで水を汲んできて、ドロ団子など作ったことを思い出しました。
お稲荷さんの由来も心惹かれるし、心御柱もふしぎだし、興味が尽きません。
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