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米は麦より歴史が長い・・梅原猛氏の「長江文明の探求」(1)

2013-02-07 | その他先史文明
梅原猛氏、安田喜憲氏など数名が中国に渡って、十数年をかけて古代の遺跡を発掘した記録の本「長江文明の探求」を読んでみました。

彼らが調査・探検したのは、「長江文明」と呼ばれる文明の遺跡です。

長江とは、(昔は揚子江と呼んでいたように思いますが。。)中国一の大河であり、そこには四大文明の一つである黄河文明より古い起源をもつ長江文明が存在したということです。


wikipediaによると「長江文明」は次のような文明です。

                 ・・・


長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。

黄河文明と共に中国文明の代表とされる。

文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る。

後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある。

台湾から太平洋全域に拡散していったオーストロネシア語族のルーツを長江文明に求める説もある。

                 ・・・



10000年も前に存在した稲作文明であるということです。

この文明を想定すると、現在の四大文明という歴史観をはるかに超えた人間の歴史があるということになります。




梅原猛・安田喜憲共著「長江文明の探求」から少し抜粋します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


               *****


             (引用ここから)


梅原氏の前書きより

長江の「城頭遺跡」の学術調査で、この遺跡が約6000年前の都市遺跡であることがほぼ確定した。

そこに焼きレンガの建物があったことも、あたかもギリシアのパンテオンのごとき王宮があったことも明らかになった。

こうして東アジアでの都市文明の成立が、約5500年前と言われる西アジアより古いということが明らかになったが、

この都市文明を作り出した稲作農業の発生についても、約1万2000年前と言われる西アジアにおける小麦農業の発生より2000年古く、約1万4000年前である可能性がある。


稲作農業の発生地もまた長江中流の湖南省、昔の楚の国であったことは、ほぼ間違いないだろう。

楚の国は、中国では最も旧石器遺跡の豊かな所である。

狩猟採取を生活の基盤とする旧石器時代に、最も多くの人間が住んでいたと思われる楚の国において稲作が生まれ、そしてそこに最初の都市文明が生まれたというのも極めて自然に理解される。


            (引用ここまで・続く)


                *****


14000年も前の文明が、ほんの数十年まえに発見されたなんて、ほんとうに驚きです。

文明とはなにかという問いへの答えが、また一つ豊かになるのを感じます。


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などあります。(重複しています)

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2 コメント

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Unknown (かがみん)
2013-02-07 13:07:21
梅原さんの本はほしいんだけどなかなか近場に売ってないのが…残念

四川や陝西あたりと長江流域の古代遺跡は近年注目されてきてますね
楚は荊楚とも謂いまして、殷代の甲骨文にも既に記述があります。神話の饕餮はこの地方で虎を表す言葉であり歴史書の名前でもあったらしいです
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遠い記憶 (veera)
2013-02-07 22:30:13

かがみん様

コメントどうもありがとうございました。

実に魅力的な話ですよね。
14000年前の文明とは!

そして、おっしゃるように、文献的資料があるというのがうれしい限りです。

アンデスは、それがないから、雲をつかむようで途方に暮れます。

以前、歌手のさだまさしさんが、「長江」という、長江のはじまる地点までさかのぼろうとする旅を映したドキュメンタリー映画をつくって、30億もの負債をかかえた、という話を聞きました。

負債はなんとか返済した、とのことで、よかった、と思いましたが、彼をそこまで駆り立てたのも、自分の源へ辿り着きたいという、理屈を超えた心情だったのではないでしょうか?

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