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役行者と道教と、修験道と弁財天・・鬼のすがた

2014-06-23 | 日本の不思議(古代)



引き続き、「日本のまつろわぬ神々」という本の中から、役行者について述べている斎藤栄喜氏の文章をご紹介します。

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           (引用ここから)


「修験道」の開祖である役行者は、後世「神変大菩薩」と呼ばれる「神」となった。

各地の霊山や山岳寺院には、そうした役行者の像が安置されている。


左右に「前鬼・後鬼」の鬼神をしたがえ、その風貌はどこか日本離れした独特な姿である。

そう、中国の仙人を思わせる風貌だ。


「修験道」の開祖たる役行者は、なぜ「仙人のような姿をしているのか?

そして彼の下に控える「前鬼・後鬼」とは、いったい何を象徴しているのだろうか?


さまざまな伝説や物語に彩られた役行者であるが、彼は歴史記録に登場する実在の人物である。


葛城山で役行者は、どのような呪術を行使したのか?

それを教えてくれるのが、奈良時代末期から平安初期に編まれた仏教説話集「日本霊異記」である。

それによれば役行者については「孔雀王呪経」をよむことで、「孔雀王の呪法」を身に着けたとある。

「孔雀王呪経」とは、奈良時代に日本に入った雑密系の経典である。

「雑密」とは、平安時代に空海がもたらした真言密教のような体系的、哲学的ではない、どちらかと言えば呪術オンリーの密教のことをいう。

奈良時代には、「雑密」がけっこう流行っていたらしい。

ちなみに「孔雀王呪経」は、奈良時代の怪僧として有名な弓削道教も、東大寺の書庫から借り出して学んでいた、という記録もある。


「孔雀王呪経」には、大きく二つの効験があった。

一つは孔雀は毒蛇を食べるので、「毒を制する」すなわち病気治しの力である。


もう一つは蛇を食することで蛇神=水神をコントロールするということから、雨乞い祈祷に使われた。

なお平安時代の空海にも、京都の神泉苑で「孔雀王呪経」を使って雨乞いをした記録がある。


しかし「日本霊異記」が伝える、役行者の葛城山で修行している様子は、あまり仏道修行らしくない。

五色の雲に乗って大空を飛んだ、、仙人たちが住む宮殿で遊んだ、、その庭園で心身を養うパワーを身に着けた・・その様子はどう見ても仏道修行というよりも、不老長寿の力を得る仙人を目指した道教的なトレーニングに近い。


仙人の修行と「孔雀王呪経」とが、一体になっていたのである。


いったいなぜ「雑密」の経典が、仙人になる為の修行と結びつくのか?


「孔雀王呪経」の記述には修行の最終段階に「アナンダ、汝はもろもろの大仙人たちの名前を称え、念じよ」とある。

その名前を見ると「バマキャ大仙人、マリシ大仙人、マケイダヤ大仙人・・・」といった古代インドの古い神々がそのまま仙人として呼ばれていることがわかる。

このへんは難しいところだが、おそらくインドから中国に経典が伝わったときに、インドの土着の神々が中国では仙人たちと認識され翻訳されたのではないか?


つまり仏教と道教とが習合していった姿だ。


役行者が仙人を思わせる風貌なのは、どうやらこのあたりの問題とリンクするのだろう。


孔雀王の呪法を身に着けた役行者は、鬼神を自由に操る力をもった。

役行者が鬼神に命じたのは、葛城山から金剛山への橋を架けることであった。

それは修行の道場の拡大、信仰圏の広がりを暗示していよう。

その時、葛城山を支配する山神・一言主大神が、役行者と対抗し、彼を謀反人とする託宣を下した。


一言主大神は「記紀」に登場する、雄略天皇も恐れた最強の託宣神だ。

神の託宣には対抗できず、役行者は伊豆に流されるが、最後は「仙人」となって天空へと飛翔、そして姿を消してしまう。

一方「一言主大神」は谷底に呪縛されて動けないようにされたという。

「今昔物語集」には、「谷底からは神のわめき泣く声がいつまでも聞こえた」という別伝もある。


このエピソードには、「修験道」という新しい山の宗教と、在来的な山神信仰との拮抗、対立の歴史が秘められていよう。

「修験道」なるものは、各地の山神達を統除、支配することで初めて成り立ったということが暗示さてれているのだろう。

役行者の左右に従っている「前鬼・後鬼」とは、屈服した山神達の成れの果ての姿と言えなくもない。


ところで役行者については、「修験道」と言えば、忘れてはならないのは「蔵王権現」の存在である。

金剛杵を持った右手を振り上げ、右足を大きく蹴り上げたその特異な相貌は、「修験道」の本尊ともされる。

仏教経典や「記紀」にも載らない、まさに日本が独自に作りだした尊像だ。

役行者は、吉野の山で修行中、衆生を救うべく祈りを続けた。

恐ろしげな形相の尊格こそが衆生を救済できるという発想には、荒々しい修行によって超人的な呪能を獲得していく修験道の特徴が見てとれるだろう。


「蔵王権現」の前歴は、吉野の山の金精明神という地主神であったともいう。

宗教史的には、役行者によって呪縛させられた一言主大神が変貌した存在とも考えられよう。

ちなみに奈良県吉野郡天河村に鎮座する天河神社は、弁財天を祭神とする「修験道」の伝統を今に伝える神社であるが、その宮司を勤める家は、役行者に従う「前鬼・後鬼」の子孫という伝承を持つ。

したがって天河神社の節分行事では、「鬼は外」ではなく、「鬼は内」という掛け声で豆まきをしている。

また宮司家では節分の前後に「神迎え」なる行事を行うが、「鬼迎え」とも呼ばれている。

山中からやって来た鬼が寝具に入る前に、汚れた足を洗うたらいが用意されている。

翌朝見ると、底には泥がたまっているのだという。


            (引用ここまで)


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「日本の異端と正統」というテーマを考えている者としましては、神仏習合と同時に、上に書かれているように、中国文化との習合が、重いテーマとして考えられると思います。

神仏習合と同時にまた、仏教と道教の習合も行われていたのであろうと思われます。


そのあたりが、不思議なことに、あまり明文化されていないことに、たいへん興味を感じます。

すなわち、明文化しなかったには、それなりの理由があったのであろうと思われるからです。



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