Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

東ジャワ州 Kota Malang (1/2) 「東ジャワ州マラン市滞在記」

2006-04-08 10:22:28 | インドネシアとバリ島の話
 前日に引き続き、本日、東ジャワ州の事を記事に致します。

2005-02-20
Kota Manan (1)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
(あめぶろより、転載)

「東ジャワ州・マラン市滞在小記」-(1)
1999年のクリスマス前から2001年の初夏までの足掛け3年、東ジャワ州での活動中、スラバヤに3ヶ月、その後はマラン市を活動拠点に定めていました。
 マラン市内では、ホテル住まいを半年間、一般民家と大学のゲストハウスに住んでいました。ゲストハウス滞在以前の民家での生活に、今でも懐かしさが鮮明に浮かびます。マラン市内はジャラン・タンポマス (Jl. Tampomas) の民家に滞在していました。よくご存知かと思いますが、「グラハ・チャクラ・ホテル」まで徒歩で約5分。いつも徒歩で公園を抜け、このホテルにはたびたび食事に行きました。毎朝決まったように、5時から6時の明け方は、温度計が20度以下をしめす涼しいマラン。早朝、といっても7時過ぎですが、熱帯地域とは思えない適度に乾燥した新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、野鳥のさえずりに耳をすませ公園を横切って向かうグラハ・チャクラ・ホテルまでのウオーキングは快適でした。さらには市役所の隣、かの有名な「ツグ・パーク・ホテル (Tugu-Park Hotel)」まで、タクシーで10分掛かるかどうか、のロケーションですから、とても便利の良いところです。
 長さにして約100メーター程度の南北に通じた一本道がタンポマス通りで、通りの両側におおよそ100~150坪程度の敷地、緑に囲まれた庭の手入れが十分に行届いた家々があり、その数合計で約30~35軒の民家がありました。我が下宿先は、すでに築50年以上にもなるオランダ人が建てた独特の雰囲気のある住みよい家屋でした。南北のタンポマス通りの入り口には、まるで電車の踏み切りの遮断機と同じものが付されており、午後9時過ぎると翌朝まで遮断機は閉鎖されます。私が夜遅くタクシーで帰ったりすると、顔見知りのガードマンがタクシーの中を覗き込み、私の顔を確認し、黒褐色の顔にあくまでも白い歯を出し、いつもにっこり笑って遮断機を開いてくれていたこと、思い出します。こうしてタンポマスの一角は四六時中、つまり24時間態勢でガードマンが配備されており、常識的且つ最低限度?の安全は確保されていました。
 この家は、有名な私立大学の経済学部長の母上の持ち物(父上はすでに他界されていた)で、敷地の空間つまり中庭を取り巻くように、「ク(く)の字型」の長屋?が敷設してありました。それぞれ4報半くらいの部屋には、当時、6~7人の下宿生活者がいました。下宿人は全員が男、学生や独身のサラリーマン達です。
 平屋の建物である母屋の間取りを紹介します。まず玄関入り口を入ると、吹き抜けと思わんばかりの天井の高い広々とした30畳ばかりのリビングルームがあります。その奥に入ると約10畳ばかりのダイニング、さらにその奥がキッチンとなっています。リビングルームの左右に2部屋と3部屋の合計5室のベッドルームがあります。私は向かって左側の日当たりの良い部屋と裏庭に通じている部屋と合わせ、合計2部屋を借りて住んでいました。正面の庭からタンポマス通りに面した部屋は日当たりが良く、事務用書斎として快適でした。また裏庭に通じるつなぎの部屋は、一日中裏庭から微風(そよかぜ)が入る風通しの良いいささか薄暗い部屋でして、主として寝室に使用。とくに昼寝には最高の部屋でした。
どちらかといえば私は夜が遅く、他の若い下宿人は朝が早い。若者は日の出前に起床し、皆にぎやかに、中には鼻歌交じりで景気よくそれぞれが朝の準備を始める。なんだか皆さん8時出勤が多く、ほとんどの人物が6時前に起床し、7時にはけたたましいバイクのエンジン音を撒き散らしながら出勤していきます。裏庭につながる通路のすぐそばが私の寝室でして、防音消音の施されていない部屋の壁とガラスの付いていない、西部劇に出てくるサロンの入り口のドアの木製板よろい戸程度の窓からは、容赦なく連中の叫ぶ声やバイクの排気音が聞こえてくるのです。しかも、5時ごろからですから、おのずと目が覚めます。参りました。加えて早朝の4時半前後には、どこからともなくあらゆる方向4~5箇所のモスクから、朝一番のお祈りのコーランが拡声器で流され、このコーランの放送でもって眠りから覚めてしまいます。コーランが終わるのが5時前、今からもう一個眠ろうと思ったころに、下宿人が騒ぎ出す。こちら朝から騒がしいのは大の苦手でして、これが唯一、当下宿の難点でした。朝は必ず20度以下、感覚的に冷え込むくらい温度が下がり、昼間は30度をわずかに超えますが、夕方4時になると30分間隔で見る見るうちに温度が下がる。午後9時近くになると、もう25度以下になり、地元の人間はセーターやコートを着ている者まで現れる。我々はせいぜい長袖のスポーツシャツで十分に凌げるのですが、、、。とにかく蒸暑さを感じない(標高約500~800メーター)マランの高地(高原盆地というのが適切か)では、すこぶる環境良く快適な下宿生活を体験できました。

(続く No.-2)

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ