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続・東ジャワ州 Kota Malang (2/2) 「マラン滞在記」

2006-04-09 12:21:38 | インドネシアとバリ島の話
 
 東ジャワ州マラン市の思い出・・・

(オリジナル投稿アメブロより)

2005-02-21
Kota Malang (2)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
「マラン滞在」-(2)

 半年後に移動したゲストハウスは大学の敷地内です。
 ゲストハウスは、大学の正門入り口から一番遠い場所にあります。建物は管理人の居住区と、ゲストの居住区に分かれております。ゲストルームは中庭をはさんで5室、約3~50畳くらいの広いロビースペースなどあり、ホテル並みの設備が整っておりました。朝夕の食事は、これ、たいへん困りました。食事は管理人が用意してくれるようですが、断りました。朝は抜いてもかまわないし、昼時間は外出しているし、さらに夕食のローテーションが予測できなかったのです。祝祭日はいささか困ります。祝祭日はコンチネンタルスタイルの朝食を必ずとり、昼食はなし、しかし夕食は不定期。しかしゲストハウス内のロビーの一角にはゲスト専用の冷蔵庫がありましたので、問題は解決。つまり、時々スーパーで食材を買出しする。それを冷蔵庫に詰め込む!ほぼ私一人のための専用冷蔵庫のような状態で、助かりました。インスタントコーヒーに始まり、新鮮な果物、適当な量のパンとハム、チーズにミルクなど、これで毎日の朝食はOK! でした。
さて、こうなると足が問題です。大学のクルマと運転手が、ある程度自由に使えるので昼間は問題ありませんが、これまた夜になるとタクシーで正門に入り広大なキャンパス内を約2~3分走り、ようやくゲストハウスに到着といった始末です。ほとんどのタクシー運転手が「大学名はわかるがゲストハウスの場所がわからない」と言いました。通常このような場合、すでにアルコールが入り、時には居眠りしながらタクシーに乗りますからいささか問題あり。一度はタクシードライバーが間違って、隣の市立大学のキャンバスに入ってしまい、後はドライバーの方が訳がわからなくなり、こちらはあきれ果ててしまいました。そこで降ろされ、いや近くにいることはわかっていましたからこちらからタクシーを降り、後は徒歩で4~50分くらいかけて帰ったことがあります。人気のない広葉樹林の大木が生い茂った大学のキャンパス内を歩く、途中いささか不安な気持ちになりましたが結果良し、でした。
 当時、マラン市内の治安はさほど問題なく、タンポマス通りの南入り口を出た通りに、大きな昔ながらの地元マーケットがあり、昼となく夜となく、よくショッピングに出かけていました。焼き鳥屋の母と娘、角の露天バイク修理屋のおじさん、固定屋台で雑貨屋をやっているダンディーなおじさんとも顔見知りになり、加えていつの間にか、こちらが認識できないおばちゃんやおじさん、兄ちゃん達まで、朝となく昼となく晩までも挨拶を交わしあえる人情豊かな人たちでした。大学の裏門(通常は門は閉鎖されていますが、通用門は利用でき、そこから出れば川沿いの道路に学生向けの中小レストランがあるので、気楽に食事できますが、一度も入りませんでした。まず、言葉に問題があり、その次に食事内容つまり衛生面に問題がありました。
 しかし、あくまでも危機管理は必要です。平素、日本円で500円以上の現金類は一切身に付けておらず、必要に応じてクレジットカードを使用、あるいは近くの銀行のATMで現金を小出しにしていました。
 インドネシアのみならず、外国で治安の良し悪しを問題にするとキリがありません。
 現金目的で強盗を働く輩に対して、危機を未然に防ぐには如何すればよいか?その方法は、只ひとつ。それは平素の活動暮らし方行動パターンから、可能な限り現金を所持しない行動をする。ふたつ目に、危険と思われる地域には立ち寄らない、という以外に言葉がありません。
 さて、
 東ジャワ州の治安はどうか?比較するとバリ島が良いか?と言われれば、そうです、と答えます。しかし同じ地域によっても住む場所により微細に、東ジャワもバリ島も、それぞれの安全確保の限度があります。一概に東ジャワか?バリ島か?括って論じ、血液型判定のような画一的な結論は出てくるわけがありません。
 バリ島と東ジャワと、どちらが住みいいか?
 等と、訪ねられたらば、どちらとも云えない。
 私の場合、自分の「その時の目的」により、たえず「住む場所」を替え移動し動きまわる人種ですから、、、 。

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