Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

師と称するに値う人物也:司馬遼太郎先生

2005-05-14 13:47:04 | 趣味の話&本と雑学メモ

たしか、五月連休前、

渡部昇一先生の記事を書いた。

今日はどうしても司馬先生をとりあげたい。

はたまた我輩の勝手により司馬遼太郎氏を称し『師』、すなわち先生と呼びたい。


項羽と劉邦 上巻 (1)

新潮社

このアイテムの詳細を見る


未熟者の我輩が、最初に読んだ著作が「項羽と劉邦」。ページをめくった時期は、はずかしながら1987年の12月上旬である。

始めに、その切っ掛けを話す。

ある地方都市で、当時にすればかなり大きな国際イベントのプロデュースを終えた。結果絶賛を博した割には利益確保が儘ならず、意気消沈していた折、ある行きつけのスタンドバーのママさんから、
「これ、読んでごらんなさい・・・ もっと気分を大きくして次の仕事に取り組まれたら如何?」
と、一言、、、。
一人で自棄酒飲んで帰り、
冷え切った布団にもぐりこみ、
「面倒だが、どんな本か?チェックだけして、そして眠ろう・・・」
と思って本を開いたが最期、翌朝までかかって25%、
明け方ひと眠りして昼前にまた起きてページをめくる。
翌々日の早朝までに、(全3巻の内)ママから預かってきた第一巻をようやく読み終えた。
まさしく寝食忘れて読書に没頭したのはこれが初めての最期だった。
その日のうちに2巻3巻を本屋で購入し、3~4日で読破した。
読んだ後、思った。
些細瑣末な事、つまり利益の出なかったイヴェントのことなど、俄然忘れた。かわって全身に駆け巡った空想の血潮がざわめき、紀元前、壮大な中国大陸での相克の歴史パノラマに、熱く心をときめかせたのである。

この国のかたち〈1〉

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る


さて、今、
「項羽と劉邦」の感想文を書く意図はなく、司馬先生と不肖我輩の出会いを紹介したまで。

それから今日まで、まだまだ全作品には及んでいないが、事あるごとに司馬遼太郎先生の「本」を読んだ。
そして何が云いたいのか、さわりを申し上げよう。
まず我輩は司馬遼太郎流「日本語の書き方」が好きだ。
大阪外国語大学蒙古語専攻の師は、当然ながら漢文の素地が出来ている。たしかに、ある種の読者には漢字多く回りくどく読み進めるに「不適切」な書き方と思われる面があるやに思う。まして我輩漢文は大の苦手、しかし現代国語も苦手、まともに勉強した記憶が無い。しかし司馬流文章には、「大和ことば」に無い漢文調子独特の歯切れ良さが伺え、これを調子良いと思えば、それ、その持ち味が大好きなのである。

ここに、「この国のかたち(第一巻)」を挙げた。
東欧に往きはじめた1992年、飛行機の中の読み物がほしくてこの第一巻を購入。日本を出発してからハンガリー・ブダペストにたどり着くまで延々16時間(スイス航空にて、チューリッヒでの乗り換え時間とブダペストまでの計4時間を含む)、この1巻を丹念に読んだ。
その後約1年と半年にわたり、ヨーロッパに出向くたびに全6or7巻を買い足し、読んだ読んだ。
我輩をして、司馬遼太郎氏を師と仰ぐ切っ掛けになったのが「この国のかたち」のエッセイ集である。
師の、著作の一大基本をなす綿密な歴史的考察の積み重ねと実体験をベースに、師の看る「我が国日本」と「日本人」観が、この本に籠められている、、、。
思想に対し、信じがたいほどに偏らない師のバランス感覚、、、。
且つ、確固たるプリンシプルを持ち合わせた、強い意思の持ち主。

もっと長生きしてほしかった人、その一人が司馬遼太郎である。

我輩は今、あらためて4回目を通読しようという気持ちになっている。

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

<写真の解説>
撮影場所:東ジャワ州・ブロモ火山の外輪、さるリゾートロッジのテラスにて。標高200メーター近くになると、例えインドネシアのジャワ島といえども気温が低い。時節はすでに雨季に入った、どんよりと曇った12月の遅い午後。このときすでに20度を切っているか、まことに肌寒い、朝の気温は15度を切る。
雑感:このロッジに約1週間、長居した。本がよく読めた。渡部昇一先生的「知的生活」の真似事をしたわけだ。同じ真似事でもこの辺りで真似ると「エセが本物」に感じられる。ま、誰が評しても読書には最適な場所にはまちがいなく、それがブロモ火山の山懐にある山荘、当ロッジのこのテラスなのである。
よう!ちょっと待った、君たちよ、、、
あまり熱くなりなさんなって、、、
そうそう・・・・
なにも、バリ島だけがインドネシアじゃないのよ。
な、いいな、これ、今日のこの気分、わかってよ・・・。