Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

バリ島からのメッセージ(読者からの贈りもの)

2005-05-03 21:39:00 | インドネシアとバリ島の話
 

ヒンズー教関係の神さまが、森の中から浮かんできた。

撮影者: Duke Akiorei
撮影機材:高級デジカメ
場所:バリ島キンタマニ

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 この画像、仏像ではないが、ヒンズー教の神が写されている。

熱帯樹林から突然「胸像」が抜き出ているから、おもしろい。
 
撮影意図は、やはりご本人にお聞きしなければならない。

はずかしながら、我輩、キンタマニ地方、30数年前に行ったきり、その後を知らない。

わからないのでおもしろい。だから読者からお送りいただいた画像を投稿した。

こうして説明していて、ますますなにがなんだか分からなくなってきた。

「マタドールとフラメンコダンス」15回シリーズ(4/15)

2005-05-03 17:47:51 | 酔狂的欧羅巴徘徊記

    こうして何度もスペイン舞踊を見ていると、思い出す。

  ダンサーの動きから、「闘牛」を見学したときの事を、、、

     きみは「闘牛」を見たことがあるか?

 夏場、スペインの各地で行なわれている。

『牛を殺すショー』が闘牛であるから、決して尋常ではない。

しかし、歴史のある伝統的な催しであるからして、いくら動物愛護の精神を発揮しても、これを端から「否定」してかかれない。

各種闘牛士の動きは見事だ。
特にマタドールは、よりいっそう華麗でなければならない。
単に、くたばりかかった牛を目前に、華麗に、剣の一刺しで、苦しみ少なく最期のトドメを刺す役割だ。獰猛な雄牛をさばく闘牛士の華麗な動きは、全てスパニッシュダンスの「作法に則っている」のだ、と聞いたことがある。

そう、ダンサーの足元、ステップ、腰の位置、などなど、

こうして見ていると、「闘牛士」を思い浮かべる。

さて、闘牛を観たい方も観たくない方も、

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<続く・・・(6/15~15/15)>

いつもの朝食(旧居からの持出しだ?)・・・・

2005-05-03 08:50:54 | 食彩+酒の肴
 


   「この画像、どこかで見たぞ・・・」

   「いや、全く同じものではございませんが、、、」

  「・・・・・」

 「今朝、早く起きまして、散歩がてら旧居へちょいと寄って来ました。忘れ物がたくさんありましてね、、、ついでに10日前につくったブレッくファーストを引っ張り出したのです」

       「・・・・」

「やっぱ、ばれましたか。。。。」


ばれたところで、、、、

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引っ越す以前のブログに、すでに一度投稿した画像である。

なぜか、この画像が好きである。だから、持って来た。以前からの読者は、お許しいただきたい。

5月、草萌える初夏。

気候もよくなったので、時々こういう画像、すこし作ってみたい。



爽やかに晴れた朝は書斎から庭先に出て、朝食をとりたい。



メニューは、超かんたんである。



1) Bread: 出来合いのパンである。手のひら大の大きさにカット。ベーコンとたっぷり目のゴーダチーズをのせて少しオーブンで熱を通す、、、チーズの表面とベーコンに少し焦げ目が出るくらいか、、、。

2) いちご: 2個

3) 冷たい牛乳: 2 / 3 カップ



「なんだ、これ、野菜がないじゃないか?」

「レタスが欲しいところだが、面倒だから省いた・・・」

「いかん、いかん、、、」

「コーヒーは飲まないの?」

「いや、ホワイトコーヒーにして、砂糖多め、すでにマグカップ2杯飲んでますよ」



「ま~ 好きにしてくれ、、、」

「・・・・・・・」

苺のもっとほしい方、まだ冷蔵庫にありますから、ご自由に召し上がれ、、、。


ロバートキャパによせて「ジャーナリズム・一考」

2005-05-03 02:11:01 | 趣味の話&本と雑学メモ
  
    今日は、ちょいとまじめに考えたい。

   しかしリラックスモード、連休モードでお聞きいただきい。

  そして、ご一緒に考えていただければ幸せである。

 少し少し長くなるので、ひとまず本文に入る前、

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2005/2/3

タイトル:「ロバート・キャパに寄せて」

(紛争戦争危険区域に於ける ジャーナリズム 一考)



db師、Tyさま・・・・

両氏の先のご投稿、ジャーナリスト論、大変興味深く何度も何度も拝読させていただきました。
ありがとうございます。
長年、ジャーナリストとは程遠い世界で生きてきたものの、今なおジャーナリストの世界を走り抜ける人達に憧れと尊敬の念を抱くものの一人であります。

しかし話題の切り口となった「くだり」について一言。
今日の(昔はなおさら解りません)、一般的日本人ジャーナリストの持つ、無防備さ・幼稚さ・無知さ、非常識さなどが目立ち過ぎ、鼻持ちならないのです。
思えば思うほど、日々の(一部?)新聞社掲載の狭眼偏見記事、NHKをはじめとする「テレビ屋」が垂れ流す金太郎飴的ニュース報道番組など、垣間読み見れば、報道内容の軟弱さと、「知識的無防備さ」、まして「倫理・理念のなさ」に辟易しているのです、が、如何でしょう?
日本人報道記者たるや、明治の昔から「こんなに体たらく」な輩の集団であったのでしょうか?
ジャーナリストの世界に比較的(あるいはまったく)無知な私には、考えれば考えるだけ、おもえばおもうだけ、不可解で仕方のない世界なのです。
さらに、ジャーナリストという職業のみが、危険な地帯に入らねばならない「職業」ではなく、危険な地帯に入っている日本人ビジネスマンも数多く、ましてジャーナリストの行き来しない地帯で活躍している一般(政府関係者と区別する意味)日本人の活躍を忘れるわけにはいきません。
血とシャンパン―ロバート・キャパ その生涯と時代

角川書店

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さて、かの著名な戦場カメラマン、ロバート・キャパ氏はインドシナ戦争の取材中、不幸にも流れ弾で負傷、即死だったか?は、ともかくも、兵士と兵士の戦う戦場で亡くなられました。
幸いにも数年前、某地方美術館で彼の作品展が開催、期間1ヶ月間その間に2回、キャパの写真展を見る機会にめぐり合いました。第二次世界大戦欧州(西部)戦線の取材もさることながら、その火種となった「スペイン内乱」当時、現地スペインで撮影された作品に、心打たれるものがありました。内乱により、生活の基盤を失ったスペイン市民の悲惨な生活を取材し、その作品群に、「悲しみ」、「憎悪」、「激怒」と、つかのまの「悦楽」などなど、あたかも昨日の出来事のように現実世界の悲惨さを訴える迫力あるモノクロ写真空間に、説明しようのない「芸術性」を感じ取ったのであります。無論、戦場でのショットだけではなく、当時の著名人や女優、政治家などなど、スナップ写真なども展示されており、鑑賞すればするほど、戦場カメラマンというレッテルを以ってして尚、本来的にキャパの持っていた写真芸術家としての優秀さを理解納し得たのであります。
キャパ氏を職業別に呼称すれば、それは「写真記者」ということになるでしょう。物書きとしてのジャーナリストとは本来「区分け」しなければならないでしょう。しかし、情報の伝達のプロとして、写真家や映像作成者(今日的にはVTRも)は、ジャーナリズム世界から決して外せないでしょうし、たまたま私が往時の有名物書きを知らないので、ここに報道写真家としてのキャパを(話の行きがかり上)引き出したのです。
ロバート・キャパ―ちょっとピンぼけ 文豪にもなったキャパ

クレオ

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キャパ氏と照らし合わせるまでもなく、もちろん橋口さんの「死」は、覚悟を持っての結果でしょう。
橋口さんが生前に語られた「フリージャーナリストの立場論」、理解できます。が、あらためてお聞きしても、これ、さしたる印象や感動はなく、ごく当たり前のことを当たり前に発言されたのだ、と思うだけなのです。
フリージャーナリストが「ねた」を求めて危険な地帯に顔を出さねばならない、それはないでしょう。橋口さんが、ご自身のジャーナリストとしての理念を確立され、信念をもたれて戦場とおもわれる地域に赴かれたのであれば、ご立派であります。無論、氏は、長年のご経験に加え、すでに十分な危機管理の意識をお持ちのはず。こんな事態になる覚悟と「命にかかわる危険もあり」との予測のもとの行動であり結果でありましょう。フリーではない、企業(メジャーの新聞社TV局などに所属)のジャーナリストとなると、これは(戦場テロその他などの)危険地帯にあえて赴かなくてもいいのか?
この論点、少し飛躍であって、論旨が狂って来るのではないでしょうか?

では翻って、大手の報道関係会社に所属するジャーナリストが一番危険とするものは何か?
危険は、外部のそれではなく、内部の危険が最大のものである、と、思えてなりません。
聞けば、サラリーマン化している大手のジャーナリストは、直接危険地帯に出向くことなく、しかるべく下請け的末端の家内工業的フリ-ジャーナリストにはね任しているとの事。
とるべき任務を最初から放棄した大手ジャーナリス連中に対し、あらためて考えさせらるものがあります。

CAPA’S EYE―ロバート・キャパの眼が見た世界とニッポン

学習研究社

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ここでまた、ロバートキャパを思い浮かべます。
キャパの死は、たしか、自ら志願して「米国陸軍の取材記者」と云う立場で戦闘中の歩兵部隊に入り混じって取材中の惨事であった、と記憶しています。見えない敵の銃弾で命を落とした、彼の死は、ある戦場の一兵士の目線で戦場を捉え、最前線でしか「見えないモノ」をレンズで捕らえることに専念し、報道写真家としての使命を全うしたと思うのです。しかし、これ、後から「部外者」が考え、理屈をつけたものなのでしょう。
私観では、キャパの人生、「真面目に・芸術的に・面白く・楽しく・愉快に」生き、そして華々しく散っていった、悔いのない人生であった、と思うのであります。そんな機会が訪れるでもなく、機会なくしてできないが、できれば、私の生き方、キャパにあやかりたいものです。

さて、戦場とは、兵士とは、殺戮とは、、、
先にまず、テロリストや強盗は除外してみます。
人間という生き物が、
望んで兵士になる、望んで将校になる、なりたい、そういう思考の人物は意外と多く存在するでしょう。しかし戦場の最前線に望んでいく兵士は、かなり稀でしょう。
今も昔も地球上から戦場が絶えて無くならない。
平和は万人が望むもの、だから平和と安全は自が作り、今日の安全は、他人が守ってくれるのではなく、自らが自らを守るものであるか。
守るためには、国・市民国民の「覚悟(憲法改正)」と、守るべき「備え(自衛の為の真の軍備)」が必要なのは、日本の非常識であるが、世界の常識であるか、、、。
かくして戦場には、最前線の殺戮現場には、宗教観も哲学も、政治も経済的損得勘定も何もない、と、考えます。戦場、まして最前線となれば、好むと好まざるにかかわらず、そんな修羅場に臨み居合わせた人間は全員、アドレナリン全開の死狂気の沙汰であるから、「こちらの常識論、知性、一般論、危機管理」的な合言葉の存在を考える段ではなく、宗教の、異教徒がどうだ、こちらの常識では、善意だの、といった「うんちく」を言っている場合ではない、と思うのです。
相手を殺すか?さもなくば、こちらが殺されるか?のいずれかの立場です。これが本論の理解のターニングポイントです。
今のイラクは、無法地帯で無法者が暗躍ではなく跋扈しているのが現状なのでして、危機管理とは、常識論とは、善意の発想とは何か、突き詰めれば、そういう地域に足を踏み入れる前に「熟慮すべき内容」ではありませんか?

今、わが国で上記のような危険地帯に足を踏み入れなければならない人たちとは、
政府関係者、
ジャーナリスト、
自衛隊(日本陸軍と、言い切りたい)、
軍属(軍隊補佐のための民間人)、
無法地帯以前から当地域と関係のある企業人、
その他、(これが問題になっている区分けか?)
となるでしょう。

現在のジャーナリズムの世界がどうなっているか?まったくの専門外でよくわかりませんが、これを一般民間企業ベースで例えれば、そして(ある人種にとっての)危機管理のトップに上がるものは、
「組織内での自分の立場を守る」
という内部組織における危機管理感覚が最高位に上がるのではないか?と、考えます。無論、これと真っ向から反対の立場を取る「理念」をお持ちの人も、数多くいるはずです。
さらに危険な外国での取材については、どうか?
論点は全く別にある、と思うのです。
再度、ジャーナリストという「枠」を取り外して考え論するべきか、と。
思うに、振り返るに、
今日のジャーナリズムは目先の先急ぎばかり、で、いつもながら?、過去の事件についてどうなったか、追跡的報道がない。何故なのか?
数年前、あるいは十数年前、華々しく報道された事件でいまだに未解決のものが多々ある中、政治的に?何かを隠さざるをえないのか?見聞きしたいと思う過去の報道の「その後」の結末など、もっともっと市民に知らせなければならない「不完全報道」や「いわざるトピックス」など限りなく、目先の断片的ニュース伝達に明け暮れてか圧されてか、報ずるべき過去の事件・報道の取り残された部分を蔑ろにしているのではないか。と、感じます。

今年に入り、「赤い風船」の全省、読了いたしました。
コンセプトは「ジャーナリストの原論」であるか。
これを職業とした世界の本質、その追及がテーマである、と、かんがえます。
この掲示関連トピックス同様、ジャーナリスト世界がいかに屈折歪曲しているか、騙し、裏切り、競争、背徳、正義、理念、理性、などなど、ありとあらゆる形而上学的形容詞や名詞を並べ立てても語りつくせない「深遠・難解」なものであるか。ようやく、「まだまだわからない」ということが、すこし分かりかけています。

ああ~ 小説執筆は、難しい!
立案し創作・推敲、そして完成させる、この作業、如何に難しいものであるか!!
ひたすら執筆。前に進めなければならない、仕上げなければらない「執筆という宿題」から一呼吸、つまりは一時逃れたい気分から、あえて暇を作り、止せばいいのにdb師の掲示板に投稿しました。
          < 完 >

15回シリーズ (4/15) 『素人スパニッシュダンサー』をみる

2005-05-03 00:03:11 | 酔狂的欧羅巴徘徊記

これで、「4回目」になる・・・・・


 続けてご購読されている読者には、何のご説明も必要なかろう。


  はじめて「お立寄り」の方もいらっしゃるか。


   すでに3回投稿しているので、4月30日投稿分まで、遡られたい。

まあ、このダンサーならもう数回みてやってもいい!
   と、思われた方、さらに以下のBAR、クリック願います。

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 オォ?おや? 前方に写っているお嬢ちゃんはナンだ?

 彼女、最初はダンスを見学していたのだが、途中から、カメラを構えている我輩が気になりはじめた。

撮影が終わるまで、つまり約5~7分間か、とにかくダンスが終わるまで、こうして、ず~と我輩を眺めていたようだ。子供が興味を持つなんて「仕草」が、撮影のしぐさであるから、この少女(幼女か?)にとって、我輩の「立ち居振る舞い」、「一挙手一投足」は、何よりも珍しい大道芸人的しぐさであったのか、、、。

はたまた自分が写真に納まりたったのか・・・

            ・・・・続く