昨晩、仕事帰りのコンビニで、息子は宗教関係につかまって長時間大変だったらしい。
義理立てする要素もないんだし、お断りすればいいんじゃないのかな~。
日本の若者は、メールなどのやり取りでも「即返事」をしないと、心身どちらにせよ袋叩きにあうような気になっている。
何かに「怯え(おびえ)」ているのだろうか・・・?
ヒトは、いずれかの時に気づかなければならない。
ソロであることを。
単独だからこそ、人と「出来る範囲で」支え合い助け合うことが有難いことと思える。
すぐに会を作ったり、群れて安心したりしたがるが、もともとヒトは単独行動へと巣立たねばならない。
単独で巣立つからこそ、お似合いのシングルと出会って伴侶とすることもできる。
いつもつるんでばかりいれば、その集合体の価値観に合わすだけの自分になっていることだってありうる。
何かを信じて行動すること自体は尊重するものの、宗教だけでなく、おおかたの勧誘は、大筋の勧誘マニュアルがあり、
仲間を増やすことで、自分の存在を自認したり、自己肯定感を持とうとするものだったり・・・。
ハイ、皆さん。ご一緒に御唱和を!
これ、あんまり必要ないですから。
人間は弱いものだから、強くなろうとするのも分かるけれども、どこまでいっても、人間の弱いところは時として最前面に出てくる。
成功のさなかにあって、それが吹き出すことだってある。
仲間が居ようが居まいが、その弱さは無くなりはしない。
自分の中での「折り合い」をつける技量を生涯にわたって学び続けるという、ある意味、孤独な作業を続けなければならない。
言いたいのなら、それを「修行」と言ったっていいだろう。
どれが正しく、どれが間違っているといった西欧のジャスティスもいいんだか悪いんだか。
正義のためなら殺しも厭わぬ(いとわぬ)なんてことが、昔も今も、発想の中に貫かれているからで、それは戦争の引き金そのものになることさえある。
他を誹る(そしる)ことも、自己絶対視も、
自分の目標とするところではないのだし、そんなものに目を奪われ囚われているのも、何か自由とはかけ離れている。
心の安寧とも縁遠い。
良いこと悪いこと言って、不安と希望を綯い交ぜ(ないまぜ)に、虚実を錯乱させることもある。
あなたの生活変わるよ~。悩み無くなるよ~。
・・・。
今の若者には、とっても便利な言葉があるじゃないか。
「大丈夫。」
そう、
必要ができた暁には、こちらから(お願いの)連絡入れますから。
そういうんでいいんじゃないのかね。
まあ、どんなに良い人に見えても、個人情報はむやみに交換しない方がいいし、
ある線から中には入らせない「結界」ってあってもいいんだと思う。
バリア(シールド)だよね。
日本人的な
よくしてやったんだから、〇〇で返してもらいたい
そんな相手の筋書きには、乗る必要は
無いんだろうね~。
【無形の杖】