奇想庵@goo

Sports, Games, News and Entertainments

『ウェブ社会をどう生きるか』『議論のルールブック』

2008年01月01日 19時15分13秒 | デジタル・インターネット
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=seitenichijin-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4004310741&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr&nou=1" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=seitenichijin-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4106102366&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr&nou=1" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

図書館で借りてきた二冊の新書を読んだのでその感想を。

『ウェブ社会をどう生きるか』は、これまで『マルチメディア』『IT革命』とインターネット技術の進展に伴って著述してきた著者が「ウェブ2.0」という潮流に対して述べたもの。情報学の観点から「ウェブ2.0」の欠点を指摘している。
インターネットの進化として、「ウェブ2.0」には当然肯定的な側面がある。それを十分に踏まえた上で、その陥穽を説いており、その指摘には納得できる部分も多い。特に人工知能との関連での批判は興味深かった。
しかし、「ウェブ2.0」に代わるものを提示することはできていない。地方での試みなどもピンと来るものではない。確かに経済のグローバリゼーション同様にネット上での欧米的同一化の圧力はすさまじいものがある。「ウェブ2.0」がそれを後押ししている事実は否めない。だが、現実的にそれに抗する力もまた「ウェブ2.0」の中にあるのではないか。著者の指摘する問題点を脳裏に留めながら、「ウェブ2.0」を脱構築していくような方向性を指摘して欲しかった。

『議論のルールブック』は、ネット上で起こる「炎上」の仕組みや議論の方策について述べた本だ。私自身ネット歴が10年近くになるが、著者の指摘通りに以前に比べ掲示板でのやり取りが低レベル化している印象を持っている。
著者が繰り返し述べている「議論に勝ち負けを求めない」点は耳の痛い指摘だ。そんなに議論に参加することはないが、それでもつい熱くなることはある。自分の主張を伝えようという意欲が時に相手を説得させようという形に空回ってしまうことも。
この本に掲載されている「インチキ理論を振り回す人」や「冷笑主義者」にしても、ここまで極端な人は少ないけれど誰の内にもこうした面は存在している。そして、議論の際にそれらがチラリと顔を出す。本人は気づいていないことも多いだろうが。
ネット上での議論のあり方に対して参考になる部分は多い。けれども、手放しで礼讃できる内容でもない。ネット上で熱くなっても仕方ないと分かっていても、誰もが聖人君子ではない。相手からの攻撃にいかに対処するかといったノウハウを知っておくことが、余裕を持った議論を行うための前提になる気がする。また、掲示板運営者の立場から言うと、ここに書かれているようなことは甘すぎて参考にすらならないといった印象を受けた。「ルールだから守らなくてはならない」という考えが間違っているという指摘は正しいが、掲示板といったものは公共の場であると同時に管理人によって運営されている場でもあり、その視点が完全に欠落している。
日本人は議論下手と言われてきたが、ネット上で好むと好まざるとに関わらず議論する機会は増えた。議論を行う際の心構えとして一読する価値のある本だと思う。しかし、ネット上での議論がより建設的になるためにはもっと踏み込んだ内容が必要だろう。そのためには、これを契機に更なる議論が必要だろう。

この二冊はネットを対象にしているという点で共通なだけではなく、人と人との関係性を取り扱い、またその前提としてコミュニケーションの不完全性にも言及している。百万言を費やしても思いは伝わらない。伝わった気になるだけだ。まして言葉だけのウェブの世界では、幻想や錯覚が満ちあふれている。
その前提の上で、伝えようという努力、伝わろうという努力が必要だということ、そしてそれに適したウェブのあり方が問われている。インターネットは道具に過ぎない。それをどう使い、どう使いやすく変えていくのか。使う側は常にその視点を忘れずにいたい。