たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

死後を憂う? <NHK 相次ぐ“墓トラブル” ~死の準備の落とし穴~>を見て

2017-05-11 | 人の生と死、生き方

170511 死後を憂う? <NHK 相次ぐ“墓トラブル” ~死の準備の落とし穴~>を見て

 

今朝は少し早暁の明かりが入ってきて目覚めました。こういうときは気分がいいものです。ちょうど野鳥のか細い声も少しずつ出てきました。いつもは少し寝床でゆっくりするのですが、がばっと起きて外の空気を吸い、庭の花が昨日の雨で元気になったかなど確認しました。

 

最近続いていた血圧計もうっかり計測を忘れてしまいました。まだ本調子とはいえないですが、少し改善したかなと思うので、今日は忘れるほど調子がいいと思い直しています。実際、普段より一時間余り早く出かけて事務所に行きました。事務所の花の面倒も見ないといけません。

 

少し急いだのは、早朝から現場立会があったので、その準備もあり、その他の仕事の整理もあったためです。現場立会は、工事不具合をめぐるもので、多少は険悪になるかと思いましたが、順調に進み、補修箇所も基本合意ができ、気持ちよく終わることが出来ました。午後の打合せも懸案の事件処理をめぐるものでしたが、円滑に進み、早く終わりました。

 

最後に、解説者でしたか、小谷みどりさんが死後を考えることは「縁づくり」ですとかそういう表現をしていたかと思うのですが、これは素敵で正鵠を得た言葉ですね。

 

 

それで今日は4時前ですが、ブログを書くことができています。早く書いて早く帰ってゆっくりしようかと思っています。体調がよくなってきたとはいえ、まだ全体が重い状況で、休養を十分とるのが一番かなと思っています。

 

さて、本日のお題は昨夜NHKクローズアップ現代で取り上げた<相次ぐ“墓トラブル” ~死の準備の落とし穴~>です。

 

私自身、このブログでもなんどか似たようなテーマを取り上げてきたように思いますが、読み返していないので、どんな内容だったか覚えていません。NHK番組の内容もとくに目新しいものではなかったのですが、懐かしさを感じたので、重複になる部分もあるかもしれませんが、あえて触れてみようかと思います。

 

「墓トラブル」というキーワードもおもしろいですね。たしかに墓トラベルはないでしょうけど、墓トラブルも困ったものです。

 

<自分が死んだ後のために、生前に墓や葬儀を準備しておく”終活”がブーム>というのも場合によっては奇妙な現象のようにも思えますが、私が半世紀前にこの問題に取り組み始めた頃からありました。終活という言葉はむろんありませんでしたが、悩みを抱えた人は少なくなかったと思います。とくに当時はまだ家の墓に入る、入らないといったことが当然に議論されていたころでしたので、夫の墓には入りたくないとか、一生独身の方の場合を含め身寄りのない方など、死んだ後墓をどうしたらいいかを悩んでいる人は声高には言わないですが、結構いましたね。

 

そういう人とは別に、死後をしっかり準備して<「墓をあらかじめ用意しても、入れない」という“墓トラブル”が相次いでいる。墓を販売する会社が倒産し、金を支払ったのに墓が建たないケース。>という事態も数はそう多くなかったかもしれませんが、当時から次第に増えていたと思います。厚労省が90年代半ばくらいから墓地埋葬法を改正しようと動いた背景の一つでした。

 

もう一つの事情としてNHKが取り上げている<生前に墓を準備しておいても、孤立した高齢者が多く、墓の存在を本人以外が知らないため、結局は無縁墓地に葬られてしまうケースも。>というのは、さほど話題になっていたとは思いませんが、都立の八柱霊園などでヒアリングしたとき、そういったケースもわずかながらあったとうかがった記憶です。

 

こういう墓トラブルに対処するということで、<自治体自ら終活サービスに乗り出し、市民が生前に希望していた墓に入れるまで見届けるところも出てきている。>として横須賀市が登場したので、私も親近感を湧きました。

 

横須賀社協で、法人後見業務を開始するに当たり、準備段階から実施段階まで係わっていましたが、その福祉担当部署の連携がよくがんばっているなと感じたものでした。法人後見は身寄りのない人について、認知症などのため判断能力が低下した場合に、自治体行政の一環として対処するものですが、大変な作業でした。それは被後見人の生前の生活を支援するものですが、やはり死後の対応も必要とならざるを得ません。

 

ところで、私は墓ついては宗教や習俗がその必要性自体、またその形状から供養などの儀式を個々人のためにこうしないといけないと定めているものではないと考えており、それぞれの個人が判断し決定することと考える立場です。

 

で、社協で長く法律相談を担当していると、高齢者の相談の中で割合多いのが、死後の墓をどうしたらいいかという悩みです。その方が特定の宗教に帰依していれば、それはその宗教に従った対応を望めばいいことかと思っていますが、そういう悩みを持っている人に限って、宗教心はあまりない方が多かったように思うのです。むろん仏教自体は墓を必要とする教義は本来なかったわけで、日本の習俗に融合する形で、いつの間にか墓を必須のもの(真宗は別ですね)と考えるようになったことと、江戸時代の檀家制度が庶民に根付かせたものだと思うのです。

 

とはいえ、それほど悩むのは、墓を作っても墓参りなど墓守をしてくれる気持ちのある子がいないことも悩みなのかもしれません。そのために立派な墓を作っておけば守ってくれると思うのでしょうか。この墓に対する考え方自体は、私自身今なお理解できていないのです。

 

そもそも骨を大事にすること自体、不思議に感じるのです。拾骨という手法自体、いつ頃確立したのでしょうかね。東日本と西日本とで大きく違うというの面白いですが、火葬自体が定着したのが明治期、あるいは昭和初期くらいでしょうか。伝統的習俗と言ってもさほど古い話ではないわけですね。ましてお骨信仰的な話しもどうかと思うのです。

 

むろんお骨を、形見と思い、大事にされる方は、その気持ちは尊重されるべきと思いますが、他方で、それにこだわらない自由も尊重されてもよいのかなと思うのです。

 

お骨が納骨された大事な墓も、墓参りが三代くらいは続きますが、それ以降になるとなかなか続くのは容易でないのが実情ではないでしょうか。むろん、何十代といった長い歴史のある墓もあり、何百年も営々と継続してきた思いは尊重されるべきだと思います。しかし、それはそれぞれの先祖や故人に対する、個人的な気持ちに委ねてよいのではないでしょうか。

 

先に挙げた、家の墓といったものにこだわる必要性とか、拘束される必要性はないと、そのご本人だけでなく、周りの人もその気持ちを尊重してあげることこそ大事ではないでしょうか。国家や社会が、個人の死後の処理に対する思いをなんらかの形で強制すべきではないと思うのです。

 

ところで、話は変わりますが、NHKの放送で、名前も住所も分かっている遺体の骨が引き取り手がいないとどうなるかを淡々と描かれていました。

 

火葬されたお骨が一時立派な名前付きの小坪箱に入れられて納骨されます。一定の期間誰も引き取り手がないと、立派な骨壺を入れた箱から取りだしずだ袋の中に入れて、誰の骨か分からない状態で、共同墓の中にずだ袋で渡されて、中のものがどっと落とされ、多くの骨と混ざってしまう光景がありました。

 

横須賀市の担当者が、このような身寄りのない方など、死後の処理について悩んでいる人に対して、相談窓口をつくって対応していることについて、取材で話しているとき、涙ぐんでいました。遺体やお骨、お墓というものに対し畏敬の念を抱いている方だからこそ、真摯に取り組んでいることが感じられ、こういう人が行政の窓口にいる横須賀市の人は幸いだろうなと感じます。

 

他方で、この光景を見て、四半世紀近く前に見た光景を思い出しました。ロンドン市営墓地を見学したときです。火葬を容認したプロテスタントの人々にとって、火葬後の遺骨、遺灰はさほど重視する対象にはなっていないようです。

 

礼拝所で礼拝が終わると、遺体の入った棺は自動的にエレベータで階下に移り、そこは火葬施設となっていて、日本の火葬場の職員のように拾骨が可能なように見事な温度調節をすることなく、できるだけ遺灰のごとくに焼却してしまいます。

 

遺骨は日本のように立派な骨壺やそれを入れる桐箱といったものではなく、簡易なプラスチックのものに入れられます。その箱は事務用棚のようなところに事務的に並べられます。そしてあるものは、一輪車に一緒に入れられて、スキャッターリンググランドという芝生まで運んでいき、そこで撒きます。最初は白っぽい粉状が残っていますが、いずれは芝生や土と一体になるのでしょう。むろんバラ園など、特定の希望があると、自分用の区画を確保して、そこに撒いてもらい、バラ園の一画に名札を付けもらうこともできます。で、なにが驚いたかというと、それ以外に、林の裏手に、大きな穴があり、その中に多くが一緒に入れられていました。この風景が、NHKで放映された共同墓の中にずだ袋から落とされる光景とダブってしまったのです。

 

イギリスでも、少なくない人が立派なお墓を作り、大事にしています。多くは火葬以前、あるいは火葬しない選択をした人のお墓だと思います。このあたりはヒアリングしていません。

 

で当時、市営墓地の規則を頂きましたが、それはどこかに入っていて急には見つかりそうもないので、ウェブ情報を探してみました。The Cremation (England and Wales) Regulations 2008はイングランドとウェールズに適用される火葬規則ですが、記憶としては次に取り上げる内容は似たようなものだったと思います。

 

PART 6

Disposal of ashes

Disposal of ashes

30.(1)  Subject to paragraph (2), after a cremation the cremation authority must give the ashes to the applicant or a person nominated for that purpose by the applicant.

(2)  If the applicant does not want to be given the ashes and has not nominated any person for that purpose, the cremation authority must retain the ashes.

(3)  Subject to any special arrangement for the burial or preservation of ashes, any ashes retained by a cremation authority must be decently interred in a burial ground or in part of a crematorium reserved for the burial of ashes, or scattered there.

(4)  In relation to ashes left temporarily in the care of a cremation authority, the authority may not inter or scatter the ashes unless 14 days notice of their intention to do so has been given to the applicant.

 

遺灰の処理というのでしょうか、タイトルが直接的ですね。注目して欲しいのは、2項です。火葬申請者は遺灰の引き取りをするかどうかは自由になっているのです(むろん希望すれば引き渡すことになっています・1項)。引き取りたくないといえば、火葬責任者が遺灰を保管することになります。で、3項では、その責任者が埋葬したり、散灰したりするのですが、その基準はここではわかりません。

 

これに対し、わが国はどうか、当時都立の瑞恵葬儀場でヒアリングしましたが、規則で申請者は引取義務があるとしつつも、中にちゃんと引き取らない例外もあるといった話しを伺った記憶があるのですが、このあたりは当時のメモがないので危ない記憶です。

 

で、東京都葬儀所条例施行規則をみましょう。

 

第四条 拾骨は、火葬が終わった後一時間以内とし、その時限は、随時これを通知する。ただし、火葬時間の都合により、拾骨を翌日指定時間内とすることがある。

第五条 前条に定める時間内に拾骨しなかつたときは、都で拾骨し、遺骨を速やかに使用者に引き渡す。

第八条 保管柩ひつぎで所定の時間を経過するものは、都で火葬、拾骨し、遺骨を速やかに使用者に引き渡す。

第十条 葬儀所又はその附帯施設の使用者が、遺骨を引き取らないときは、知事は、これを所定の場所に移し、保管する。

 

引取義務を明示してはいませんが、引き取らない自由は認めていないと思います。昭和21年制定の条例ですし、わが国のこれまでの慣行上、引き取らないといったことは想定されていなかったと思います。しかし、将来はどうか、そういう問題提起をする人もいます。

最後に、解説者でしたか、小谷みどりさんが死後を考えることは「縁づくり」ですとかそういう表現をしていたかと思うのですが、これは素敵で正鵠を得た言葉ですね。

 

すでに1時間余が過ぎました。今日はこの程度にして、この問題はまたいつか検討して見たいと思います。


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