白夜の炎

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河野元官房長官、朴次期大統領と会談

2013-02-14 19:47:52 | アジア
「「歴史を直視」で一致=河野元官房長官と会談-韓国次期大統領

14日、ソウルで、河野洋平元官房長官(左)と握手する韓国の朴槿恵次期大統領(EPA=時事)

 【ソウル時事】韓国の朴槿恵次期大統領は14日、講演のため訪韓した河野洋平元官房長官と会談した。両氏は「両国関係を進めるために、歴史を直視し、歴史を学ぶという誠実な態度が双方に必要だ」との見解で一致した。河野氏と朴氏の報道官が明らかにした。

 朴氏は「『信頼外交』を新政権の外交の重要な基調と位置付けている」とし、「両国はいくらでも未来志向的に発展していけると信じている」と表明。「韓日間の協調がいつになく重要な時期に、歴史問題が国民の情緒を刺激し、関係発展の障害になってはいけない」として、「日本が被害者の苦痛を心から理解する立場に立って考えてくれることを願っている」と語った。 

 日本政府が旧日本軍の従軍慰安婦問題への関与を認めて謝罪したいわゆる「河野談話」や竹島問題など具体的懸案は話題に上らなかった。

 河野氏はその後の講演で、「対等な立場での相互信頼関係」を築くためには「軍事力を背景に韓国の独立を奪い、自国の価値観を強要した歴史的事実に真摯(しんし)に向き合い、明確な反省をすることなしに、何も始まらない」と強調した。(2013/02/14-18:34)」

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013021400823

台湾からみたアジア情勢

2013-02-14 19:18:19 | アジア
「中国時報(台湾) 2013年2月13日

東アジア情勢が直面するもつれ

 旧暦の蛇年の始まりに際し、人々はこの1年の平安と繁栄を願っている。しかし東アジア情勢はもつれそうである。現在注目されているのは、朝鮮半島情勢と釣魚台(日本名:尖閣諸島)をめぐる紛争である。加えて南沙諸島の主権争いもまた、先鋭化しそうだ。表面的には長年の領土紛争が再浮上し、関係諸国がやや強硬な姿勢を打ち出していると捉えられよう。しかし水面下で起きているのは、東アジアにおける権力構造の再編であり、その過程における衝突である。
 金正恩が再び核実験で脅しをかけたのは、第一に韓国への恫喝、第二に米国に北朝鮮を核兵器保有国として認めさせ、金正恩政権の安全を保障することを迫ること、第三に金正恩の軍事的権威を確立するためである。だが金正恩が父親の金正日が敷いた瀬戸際政策の継続にこだわれば、国際的孤立と制裁は免れず、経済振興に向けた彼の努力にも影響するだろう。しかし北朝鮮と韓国の政権は実際に戦火を引き起こそうとは考えてはおらず、中国もまた隣接する地で巨大な変動が勃発するのを望んでいない。

 韓国と日本は独島(日本名:竹島)の主権を争っているが、独島を実効支配しているのは韓国であり、日本の船舶が周辺海域に入らない限り、基本的に口争いにとどまるだろう。しかし釣魚台情勢は異なる。中国は海洋監視艦に加えパトロール機や、さらには戦闘機を付近海域に出動させ、日本側もそれに対応せざるを得なくなった。台湾の民間活動家もしばしば釣魚台に出航しては示威活動し、台湾の海洋巡視船も護衛に随行するなど、中・日・台の三者による釣魚台の主権をめぐる行動は、ものものしさを増している。偶発的衝突がないとは、誰も保証できない。

 近年、東アジア情勢は逆行不可能な転換が出現している。もっとも顕著なのは日本の衰退と、中国と韓国の急速な台頭である。日本はその焦りから、主要政党と世論は右寄りの民族主義的路線に向かい始めた。米国もアジア太平洋回帰、あるいは「リバランス」政策を採用し、日本への支持を強化している。

 中国の現在の行動は様子見にすぎない。最終的には米国が長く主導してきたアジアの権力の構図に挑戦しようとするだろう。米国はもちろん、アジア太平洋における権力範囲を放棄するはずがなく、制圧だけでなく、硬軟取り混ぜた策略を取るが、中国と正面対決には至らないだろう。それこそが米国にとって最も不利となるからだ。今後、東アジアにおける勢力バランスは確実に変化する。しかし米中がアジア太平洋における新しい均衡に達するまでに、行きつ戻りつの調整期間が長く続くものと予想される。」

http://www.worldtimes.co.jp/wtop/paper/html_fr13/sr130214.html

尖閣をめぐる新資料/遠藤誉氏のブログより

2013-02-14 16:10:46 | アジア
「中国共産党も知っていた、蒋介石が「尖閣領有を断った」事実

遠藤 誉  【プロフィール】

 中国が尖閣諸島の領土主権を主張する最大の根拠は何か。

 一つは日本が日清戦争時代(1894~95年)に、清王朝が弱体化したことを良いことに、「ドサクサ」にまぎれて釣魚島(尖閣諸島)を清国から不当に奪ったというものである。

 もう一つは2012年9月27日に中国の外交部の楊潔篪部長(外相)が、国連総会で述べた根拠である。それは「第二次世界大戦後、『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』などの国際文書に基づいて、釣魚島を含む島嶼は、日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還された」というものだ。中国共産党の機関紙「人民日報」の日本語版が伝えている。この表現は同紙のウェブサイトからダウンロードした(リンクはこちら)。

 ところが、この二つとも事実とは全く逆であることを証明する決定的な情報があった。

 しかも、その情報は中国共産党の「中国共産党新聞網」(網はこの場合ウェブサイト)、および中国政府の新聞である新華社の「新華網」が載せていた(リンク先参照)ことを、このたび発見した。現在の中国政府の主張と、彼らが(と言っていいだろう)自らのウェブサイトに載せている情報は完全に相反し、決定的に矛盾する。

 記事のタイトルは「蒋介石后悔拒収琉球群島」(蒋介石は琉球群島を領有するのを拒んだことを後悔した)で、発表されたのは2008年1月16日。中国の雑誌「各界」に王幸福という人が書いたものを転載したようだ。その評論を胡平という人が隔週の雑誌「中国人权双周刊」第86期(2012年8月24日-9月6日)に出していることから、筆者はこの情報を知るに至った。

「カイロ会談」での蒋介石とルーズベルトの密談

 この記事で語られているのは、1943年12月23日から25日にかけて行われた「カイロ密談」の内容とその舞台裏だ。

 今回は、ここに書かれている「カイロ密談」の舞台裏を読み解くことによって、尖閣問題の解決を握るカギを模索したい。

 1943年12月1日に日本の戦後処理を巡って連合国側から「カイロ宣言」が出されたことは周知のとおり。後のポツダム宣言のひな形はここで作られた。しかし、その宣言が出される前に当時の中国、すなわち「中華民国」の蒋介石主席とアメリカ合衆国のルーズベルト大統領との間に交わされた機密会談を知る人は、戦中・戦後史の研究家を除けばそう多くはない。イギリスのチャーチル首相は参加せず、蒋介石とルーズベルトの二人だけによる、完全な密室会談だ。

 中国のウェブサイトの記事の内容は「アメリカのルーズベルト大統領が中華民国国民政府の蒋介石主席に『日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中華民国(中国)にあげようと思うが、どう思うか』と何度も聞いたのに、蒋介石が断った」というものである。

琉球群島を巡る権力者の生々しいやりとり

 現在の日本人にとってはルーズベルトの発言はショッキングだろう。「戦後の体制を、米英中ソの四カ国で固めよう」と考えたルーズベルトが、中国の大国化を支援するために気前の良い提案をした、とされるが、ここでは置く。この記事の前半、「米中で琉球群島を共同管理しよう」という提案の部分までは一定程度知られている内容だ(※『日米戦争と戦後日本』五百旗頭真著、講談社学術文庫などを参照)。

 しかし、中国のこの二つのウェブサイトに掲載された内容には「蒋介石がルーズベルトのオファーを断り、断った後に、ひどく後悔し、絶対に口外するなと部下に口止めをした」といった内部情報が生々しく書いてある。この「拒絶と後悔」および「口止め」の部分は、私が知る限りこの時点までは公になっていなかった。中国国外でも、これに注目した動きはなかったようだ。

 今回の「カイロ密談の舞台裏」に基づいて今日の尖閣問題を読み解く試みは、何よりもこの情報が中国共産党と中国政府のウェブサイトに書いてある、ということがキーポイントだ。

 詳細は2月20日に発売される『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』で述べている。版元の都合を言えば発売後に公開したいところではあろうが、尖閣諸島を中心とした東シナ海情勢が危険な水域に達し始めたので、思い切ってここで公開させていただく。

 以下、二つのウェブサイトに載っていた内容をご紹介する(訳は筆者)。

 [1943年11月23日夜、蒋介石は王寵惠(おうちょうけい=蒋介石の部下:筆者注)を伴ってルーズベルトと単独会談を行い、日本が収奪した中国の土地は中国に返還されるべきであるという四項目の要求を提出した。

 蒋介石の要求に対して、ルーズベルトはすべて同意した。ルーズベルトはさらに「日本が発動した侵略戦争は中国人の生命財産に大きな損害を与えている。中国の要求は合理的である」と言った。

 日本が太平洋で占拠した島嶼(とうしょ)の剥奪に関して話が及んだ時に、ルーズベルトは琉球群島を思い出した。彼は蒋介石に「琉球群島は多くの島嶼によって出来上がっている弧形の群島である。日本はかつて不当な手段でこの群島を争奪した。したがって(日本から)剥奪すべきだ。私は、琉球は地理的に貴国に大変近いこと、歴史上貴国と緊密な関係があったことを考慮し、もし貴国が琉球を欲しいと思うなら、貴国の管理に委ねようと思っている」と語った。

 ルーズベルトの提案があまりに唐突だったので、蒋介石にとっては予測がつかなかったし、またどう答えていいか分からなかった。しばらくして、蒋介石はようやくルーズベルトに次のように答えた。

 「私はこの群島は中米両国で占領し、その後、国際社会が中米両国に管理を委託するというのがいいかと思います」
 蒋介石のこの言葉を聞いて、ルーズベルトは「蒋介石は琉球群島を欲しくないと思っているのだ」と解釈し、そのあとは何も言わなかった。

 ところが、43年11月25日、蒋介石とルーズベルトが再び機密会談をした時に、またもや琉球群島のことに話が及んだ。
 ルーズベルトは言った。

 「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言うならばあなた方の東側の防壁に当たる。戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。もっと重要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはいかない、ということだ。台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」

 ルーズベルトが再びこの問題を提起したのを見て、蒋介石は「琉球は日本によってこんなに長きにわたって領有されているため、もともとカイロ会談で制定された提案には、琉球を含んでいない(筆者注:カイロ宣言のために提案した文書の中では、「中華民国」に返還されるべき領土の中に琉球群島は含まれていない。なぜなら琉球は長いこと日本が領有しているので日本固有の領土だと思っていたから、という意味)」と思っていたので、何と答えていいか分からなかった。

 ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、さらに一言付け足した。

 「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」

 蒋介石はようやくその前の質問のときと同じように「琉球の問題は複雑です。私はやはり、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと……」とあいまいに答えた。

 ルーズベルトはここで「そうか、蒋介石は本当に琉球群島が欲しくないんだ」と思った。と同時に、蒋介石のこの反応を不思議だとも思った。

 最後にルーズベルトは「米中両国で共同出兵し、占領してはどうか」と持ちかけたのだが、蒋介石はそれでもやんわりと断っている。]

――といった内容だ。

東シナ海の地図が決まった瞬間

 東シナ海を巡る世界地図はこうして、この瞬間に決まった、と言ってもいい。

 1943年12月1日に出された「カイロ宣言」には以下のような文言がある。なお、文中にある「同盟国」というのは第二次世界大戦で日本・ドイツ・イタリアと戦った連合国側を指す。

●同盟国の目的は日本国が1914年の第一次世界戦争開始以降に奪取または占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、および満洲,台湾および膨湖島の如き、日本国が清国人(中国)より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することにある。

●日本国はまた、暴力および貪欲により日本国が略取した他の一切の地域から駆逐されなければならない。

●(カイロ会談に参加した)三大国が朝鮮の人民の奴隷状態に留意して朝鮮を自由かつ独立国家とさせることを決意する。

●日本国と交戦している諸国と協調して日本国の無条件降伏を目指すこと。

 この宣言はあくまでもコミュニケに過ぎないが、しかしここで宣言された内容自体は1945年7月26日に出された「ポツダム宣言」に受け継がれている。日本との終戦協定であるサンフランシスコ平和条約にも、このポツダム宣言が盛り込まれているので、カイロ宣言はサンフランシスコ平和条約の中で生きていることになる。

 重要なのは、ここに書かれた「一切の島嶼」「一切の領域」の中に、「琉球群島」は含まれてないことが、「カイロ密談」で明確になったということだ。琉球群島とは言うまでもなく沖縄県のこと。1895年の時点で、尖閣諸島は沖縄県に編入されていた。その沖縄県を「中国にあげるよ」とルーズベルト大統領が蒋介石に言ったのに、蒋介石は再三にわたって断っているのである。

 なぜか――。

共産党との戦いを優先した蒋介石

 様々な理由が考えられる。私は、国民党の蒋介石は日本と新たな摩擦を起こすより、毛沢東が率いる中国共産党を倒すことに全力を注ぎかったかたらではないかと思う。

 ちなみに中国の二つのウェブサイトは、この部分の記述に関して「日本を恐れるあまり、二度も断る」という小見出しがついている。

 国民党と共産党の間で戦われた「国共内戦」は、第二次世界大戦中も何度か戦われていたが、終戦後(特に1946年以降)から激化して1949年10月1日に中華人民共和国が誕生した。惨敗した蒋介石は台湾に逃亡し、亡命政府である「中華民国」を継続、国連にも創立時から加盟していた。しかし1971年にはついに国連から脱退している。「中華人民共和国」が国連に加盟したからである。

 蒋介石は結局、国共内戦に敗れ去る。しかしルーズベルトと秘密会談をした時点では、日本との揉め事が起こるリスクを避け、全ての力を中国共産党打倒に注ぎたかったのだろう。彼は中国の覇者になることを優先して、明確に「尖閣諸島を含んだ琉球群島=沖縄県の領有を拒否した」のだ。

 しかし「カイロ密談」の後、実は蒋介石は琉球群島領有を断ったことを、ひどく後悔した。密談後、「果たしてこれで良かったのだろうか」と悩み、王寵恵にこっそり悩みを打ち明けたというのだ。

 「中国共産党新聞網」と「新華網」の情報の、最も興味深い部分はここにある。

 二つの記事は続ける。以下は、新聞記事の後半部分の紹介である。

゜王寵惠:琉球の戦略的位置は非常に重要だ。もし軍事的視点から言うならば、われわれには必要だ。

蒋介石:でもそんなことをしたら、将来、日本といがみ合うことになると思う。そうなったら、どうするんだ?

王寵惠:いや、いろんな角度から見て、琉球は歴史上われわれの付属国だ。われわれにくれるというのは理にかなっている。日本が文句を言うというのは道理が立たない。

(蒋介石は王寵惠のこの言葉を聞いて、少し後悔し始めた。)

蒋介石:もしそう言うんなら、なぜ(あのときに)君はそう言わなかったのかね?

王寵惠:ルーズベルトが最初に琉球をわれわれにくれると言ったときに、あなたは中米が共同で占拠し、共同で管理しようと言ったた。私は委員長(蒋介石)の部下として、委員長と意見を一致させていなければならない立場にある。

 「中国共産党新聞網」と「新華網」はこのように二人の会話を公開し、蒋介石のさらなる秘密を暴露している。以下、ふたたび記事からの引用である。

 蒋介石はあまりにもったいないことをしてしまったと後悔した。そこで王寵惠にしつこく念を押した。

「いいか?ルーズベルトが琉球を我々にくれようとしたことは、ほんの少数の人しか知らない。だから絶対に外部に漏らしてはいけない。もし誰かがこのことに関して尋ねたら、われわれにはいかなる条約も根拠もなく、理由なんかはないと答えるんだぞ、いいな」

 その後、国民党におけるすべての書類、雑誌および書物に関して、琉球諸島に関連した問題に触れるときにはすべて「根拠がない。なぜならカイロ会談では琉球問題は一切取り上げられなかったのだから」と書くことが決まった。
 そして第二次世界大戦後、米国は単独で琉球群島を占領した。]

 ここまでが中国共産党と中国政府が持つ、二つのメディアのウェブサイトからの引用である。この記事の最後にある一文は非常に重要だ。

 つまりアメリカが当時の中国(中華民国)に「共同出兵して日本を占領しよう」と申し出たのに、中国は「出兵に参加しなかった」ということである。「中華民国」の蒋介石主席は自分が提案した「米中による共同管理」さえ自ら放棄した。なぜなら毛沢東が率いる中国共産党を倒すことに全力を尽くしていて、他国の事などに力を注ぐゆとりはなかったからなのである。

 カイロ宣言を出す前に蒋介石とルーズベルトの二人だけの間で「会談」があったことは、一部の関係者や研究者は知っている。ルーズベルトが我々の感覚からすると、あまりに日本をないがしろにした提案をしたことも、研究論文や書籍に出たことがある。

 しかし、蒋介石が「琉球群島はいらない」と、ルーズベルトのプレゼントを拒否してしまったことをひどく後悔し、「この密談はなかったことにしろ」と部下に命じたことまでは、あまり知られていない。もちろん、中国人の間では何となく囁かれてはいた。だから筆者もそれを追いかけてきた。

 筆者は、この中国側が正式に公表したに等しい「カイロ密談」の内幕を読み解くことによって、尖閣問題解決の糸口が見い出せるのではないかと考えている。

 中国は今、「一つの中国」を大原則としている。

 ならば、「中華民国」の主席だった蒋介石が国際舞台で言明したことは引き継ぐべきだろう。

 日本は決して清王朝が弱体化したのをいいことにしてその「ドサクサ」に紛れて尖閣諸島を掠め取ったのではない。中国の楊外交部長は2012年9月、国連総会においてもこの「掠め取った」という言葉を用いて日本を攻撃した。そして冒頭に書いたように「カイロ宣言」で釣魚島を含む島嶼は日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還されたと語った。

 しかし事実は全く逆だった。

 1943年11月、カイロ密談が行われていたとき、中国(当時の「中華民国」)は権力の絶頂期にあった。世界の三大強国として米英とともにカイロに集まったほどなのだ。

 もし中国がこのとき「尖閣諸島=釣魚島」に関心を持ち、それを「欲しい」と言えば、100%、ルーズベルトはそれを承認したはずだ。それどころかルーズベルトが「琉球全体を中国にあげるよ」と言っているのに、中国が「いらない」と言ったのである。

 また「カイロ宣言」にある「一切の島嶼」の中に琉球群島(沖縄県)が入っていない根拠を、中国にっとって最も権威ある「中国共産党新聞網」と「新華網」に載せているのだから、現在の中国政府が認めたということになる。

尖閣問題に関する中国政府の「矛盾」はまだある

 中国共産党は、この二つの事実において大きな自己矛盾を来していることを認識しなければならない。

 実は、中国政府が自らのメディアを通して尖閣諸島問題に示した“意外な姿勢”は、これだけではない。

 1949年10月1日に誕生した中華人民共和国(現在の中国)は、中国共産党の機関紙である「人民日報」に、「尖閣諸島を沖縄県の所属と認めた」うえで、「いかなる国際協定もこれらの島嶼が日本のものではないと規定したことはない」という周恩来(元)首相の言葉を明記しているのである。これに関しては、一部は外務省のホームページにも出ているが、より深い内容を次回にご紹介したい。

(筆者は、この「カイロ密談」を含めた一連の情報を中国が認めて、威嚇行動をやめることを望む。そして安倍内閣には、これらの情報を最大限に活用し、尖閣問題の平和的手段による解決を図ることを切望する)」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130208/243504/?P=1