「巨大金融コングロマリットの時代はもう過ぎた。
近年、有力金融機関が勢力を拡大し、収益性を増していることを考えると、この見方は意外かもしれない。すでに1980年代、90年代に本格化していた金融機関の寡占傾向は、2008年の金融危機でさらに加速。この間、弱体化した企業は、勢力を急拡大したほんの一握りの生き残り企業に吸収された。
危機を経て頂点に残った企業は、難攻不落と思われた。
現在、金融資産の全運用額の75%がわずか10社の金融コングロマリットに集中している。大き過ぎて潰せないという理由だけでなく、2010年に成立した金融規制改革法(ドッド・フランク法)が意図された通りに機能すれば、そういったコングロマリットの経営はさらに安定するはずだ。
このため、予見できる将来も巨大企業による寡占が続くとみる向きは多い。
果たしてそうだろうか。主要な金融機関数の減少を招いた先の危機では、金融機関がはらむ多くのもろさも露呈した。
業容を多角化した巨大金融機関は、市場の両面、つまりポートフォリオの運用・機関投資家としてバイ(買い)サイド、引き受け・ディーラーとしてセル(売り)サイド、金融アドバイザーとしてはバイとセルの両方の立場で業務を行っている。この矛盾は、企業の構造や戦略・意思決定に組み込まれ、公共との利害対立を生むこともある。
また、金融コングロマリットは、上級幹部が効果的に問題に対処しにくいという構造的弱さを抱えている。中間管理職の権限が強まっているが、彼らには、さまざまに取り決められた報酬など、時には無責任なほどのリスクを取る動機がある。企業の最高幹部は、リスク全体を適正に評価し管理するために、そういった報酬の難解な取り決めや拡大した海外事業をよく見極めなければならない。その見極めに時間を割けず、手段を持たない幹部は、他人の評判に頼らざるを得ない。
金融規制改革法には、巨大金融機関の無謀な行動に歯止めをかける目的でさまざまな規制が盛り込まれているものの、規制は解決方法ではない。同法は、大手金融機関を「大きすぎて潰せない」と神聖化する一方で、命令・禁止事項の長大なリストを課している。しかし、良い金融システムとは、手の込んだ規制事項でこと細かに管理されるものではないはずだ。そういった傾向が続くと――巨大な金融コングロマリットが常に厳しい監視の下で経営されると――彼らは金融の「公共事業会社」になるだろう。と同時に、金融機関が金融市場で果たす競争的信用配分という重要な役割は、縮小傾向に向かうだろう。
こうした大型金融機関に自己資本の積み増しを強制することも、方法としていかがなものか。自己資本の積み増しによって先に述べたような利害の対立が解消されたり、縮小されたりするだろうか。そうは思わない。実際、自己資本の積み増し義務がさらなるリスクテイクを後押しする場合もある。
また、他の意味においても、大手金融コングロマリットのパワーは先細り傾向にある。以前、彼らは、新たな金融商品や新技術を導入するといった創意工夫で何十年も規制当局の先を行っていた。今、その差が縮まりつつある。監督当局は当初から証券化の影響に気づくのが遅く、急速なデリバティブの成長への対応が遅れたとはいえ、今はかなり状況がはっきりしている。2008年の危機を経て、当局者も投資家もこうした新手法がリスクを分散する確実な方法だとはみていない。大手金融機関は、規制当局に受け入れられる新たな信用拡大方法の開発に懸命に取り組む必要があるだろう。
かつては大手金融コングロマリットを助けていた情報技術(IT)は、今や規制当局の味方だ。近い将来、信用フローについての情報――取引、ローン、投資、債務の変動といった情報――が、金融機関から規制当局に瞬時に流れる場面を想像するのは無理なことではない。
さらに先に行けば、要求払い預金の全機能が「クラウド」のコンピューターネットワークを通じて政府に取って代わられる可能性もある。一世代経たないうちに銀行の支店業務が時代遅れとなることも十分考えられる。新し物好きだけでなく一般の人々が、銀行手続きをすべて携帯端末で済ませる。マクドナルドやスターバックスなど小売りチェーンが銀行の支店をのみ込む事態だ。
寡占についてさまざまな方面から挑戦を受ける有力金融機関の現職幹部たちが、その圧力にうまく対応しようとする可能性は極めて低いようだ。現職の幹部にとって、変革は好ましくない。株主が行動を求める必要がある。
株主が主張すべき最も重要な方策は、事業規模の縮小である。金融コングロマリットは、事業の一部を売却し、主力業務に専念する必要がある。そうすることは企業だけでなく、我々の金融市場にも経済にも大きなメリットをもたらす。事業規模の縮小は、金融機関のオペレーションをコントロール可能な水準に引き下げ、「大きすぎて潰せない」との概念は崩れ去る。市場における政府の役割も低下するだろう。相互にメリットが働き、株主価値は大幅に上昇する。巨大金融コングロマリットの没落を嘆く必要がないのは、こうした理由があるからだ。
(ヘンリー・カウフマン氏は、ヘンリー・カウフマン・アンド・カンパニーのプレジデント。『The Road to Financial Reformation: Warnings, Consequences, Reforms』の著者)」
近年、有力金融機関が勢力を拡大し、収益性を増していることを考えると、この見方は意外かもしれない。すでに1980年代、90年代に本格化していた金融機関の寡占傾向は、2008年の金融危機でさらに加速。この間、弱体化した企業は、勢力を急拡大したほんの一握りの生き残り企業に吸収された。
危機を経て頂点に残った企業は、難攻不落と思われた。
現在、金融資産の全運用額の75%がわずか10社の金融コングロマリットに集中している。大き過ぎて潰せないという理由だけでなく、2010年に成立した金融規制改革法(ドッド・フランク法)が意図された通りに機能すれば、そういったコングロマリットの経営はさらに安定するはずだ。
このため、予見できる将来も巨大企業による寡占が続くとみる向きは多い。
果たしてそうだろうか。主要な金融機関数の減少を招いた先の危機では、金融機関がはらむ多くのもろさも露呈した。
業容を多角化した巨大金融機関は、市場の両面、つまりポートフォリオの運用・機関投資家としてバイ(買い)サイド、引き受け・ディーラーとしてセル(売り)サイド、金融アドバイザーとしてはバイとセルの両方の立場で業務を行っている。この矛盾は、企業の構造や戦略・意思決定に組み込まれ、公共との利害対立を生むこともある。
また、金融コングロマリットは、上級幹部が効果的に問題に対処しにくいという構造的弱さを抱えている。中間管理職の権限が強まっているが、彼らには、さまざまに取り決められた報酬など、時には無責任なほどのリスクを取る動機がある。企業の最高幹部は、リスク全体を適正に評価し管理するために、そういった報酬の難解な取り決めや拡大した海外事業をよく見極めなければならない。その見極めに時間を割けず、手段を持たない幹部は、他人の評判に頼らざるを得ない。
金融規制改革法には、巨大金融機関の無謀な行動に歯止めをかける目的でさまざまな規制が盛り込まれているものの、規制は解決方法ではない。同法は、大手金融機関を「大きすぎて潰せない」と神聖化する一方で、命令・禁止事項の長大なリストを課している。しかし、良い金融システムとは、手の込んだ規制事項でこと細かに管理されるものではないはずだ。そういった傾向が続くと――巨大な金融コングロマリットが常に厳しい監視の下で経営されると――彼らは金融の「公共事業会社」になるだろう。と同時に、金融機関が金融市場で果たす競争的信用配分という重要な役割は、縮小傾向に向かうだろう。
こうした大型金融機関に自己資本の積み増しを強制することも、方法としていかがなものか。自己資本の積み増しによって先に述べたような利害の対立が解消されたり、縮小されたりするだろうか。そうは思わない。実際、自己資本の積み増し義務がさらなるリスクテイクを後押しする場合もある。
また、他の意味においても、大手金融コングロマリットのパワーは先細り傾向にある。以前、彼らは、新たな金融商品や新技術を導入するといった創意工夫で何十年も規制当局の先を行っていた。今、その差が縮まりつつある。監督当局は当初から証券化の影響に気づくのが遅く、急速なデリバティブの成長への対応が遅れたとはいえ、今はかなり状況がはっきりしている。2008年の危機を経て、当局者も投資家もこうした新手法がリスクを分散する確実な方法だとはみていない。大手金融機関は、規制当局に受け入れられる新たな信用拡大方法の開発に懸命に取り組む必要があるだろう。
かつては大手金融コングロマリットを助けていた情報技術(IT)は、今や規制当局の味方だ。近い将来、信用フローについての情報――取引、ローン、投資、債務の変動といった情報――が、金融機関から規制当局に瞬時に流れる場面を想像するのは無理なことではない。
さらに先に行けば、要求払い預金の全機能が「クラウド」のコンピューターネットワークを通じて政府に取って代わられる可能性もある。一世代経たないうちに銀行の支店業務が時代遅れとなることも十分考えられる。新し物好きだけでなく一般の人々が、銀行手続きをすべて携帯端末で済ませる。マクドナルドやスターバックスなど小売りチェーンが銀行の支店をのみ込む事態だ。
寡占についてさまざまな方面から挑戦を受ける有力金融機関の現職幹部たちが、その圧力にうまく対応しようとする可能性は極めて低いようだ。現職の幹部にとって、変革は好ましくない。株主が行動を求める必要がある。
株主が主張すべき最も重要な方策は、事業規模の縮小である。金融コングロマリットは、事業の一部を売却し、主力業務に専念する必要がある。そうすることは企業だけでなく、我々の金融市場にも経済にも大きなメリットをもたらす。事業規模の縮小は、金融機関のオペレーションをコントロール可能な水準に引き下げ、「大きすぎて潰せない」との概念は崩れ去る。市場における政府の役割も低下するだろう。相互にメリットが働き、株主価値は大幅に上昇する。巨大金融コングロマリットの没落を嘆く必要がないのは、こうした理由があるからだ。
(ヘンリー・カウフマン氏は、ヘンリー・カウフマン・アンド・カンパニーのプレジデント。『The Road to Financial Reformation: Warnings, Consequences, Reforms』の著者)」