「∞中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実
中国共産党の次期最高指導部入りが確実視されながら、3月に失脚した薄煕来(ハクキライ)前重慶市党
書記に、国会新聞社の宇田川敬介次長が先月末、北京で、日本人ジャーナリストとして初めて接触に成功
した。宇田川氏は以前、総合スーパー「マイカル」に勤務し、中国進出時の法務交渉担当を務めており、
薄氏とは大連市長時代から深い交流があった。中国の情報機関「国家安全部」の監視のもと、軟禁状態に
ある薄氏と3時間にわたって会食し、一連のスキャンダルなどについて聞き出したという。
「薄氏は少しやつれていたが、穏やかな表情だった。共産党内の権力闘争や、自らのスキャンダルの多
くを否定していた。会食したのが、民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出た当日(4月26日)だったので、
『私は(小沢氏のように)復活する』と語っていた」
宇田川氏はこう語る。会食は天安門広場近くにある高級ホテル「北京飯店」で行われた。
薄煕来解任事件は、薄氏の妻、谷開来(コンカイライ)容疑者に英国人殺害容疑がかかっているほか、共
産党内部の権力闘争説やクーデター説が流れたり、不正蓄財の疑いで親族が調査を受けるなど、大規模
なスキャンダルに発展している。
宇田川氏は、薄氏と1997年、マイカル大連店の出店準備時に知り合った。薄氏は当時、大連市長。
同年末、マイカルと弁護士である妻の谷容疑者と顧問契約したこともあり、家族ぐるみの付き合いをして
きた。
2000年ごろ、薄氏と谷容疑者に離婚問題が浮上した。宇田川氏は外国人仲介人として離婚調停に関
わった(調停成立も、離婚はせず)。
国家安全部側は今年3月、薄氏の家族関係について確かめるため、宇田川氏に捜査協力を求めてきた。
この協力の見返りとして「写真と録音はNG」という条件で、宇田川氏は薄氏との会食を許可されたという。
北京飯店3階の個室では、宇田川氏と薄氏、通訳2人(うち1人は国家安全部の人間)がテーブルを囲
み、鳥の塩がま焼きやフカヒレの姿煮、北京ダック、鮑のステーキなどを堪能した。外では制服警官2人
が警備していた。
宇田川氏は「最初は昔話で盛り上がり、途中から、薄氏は谷容疑者の悪口を言い始めた。調停は成立し
て10年以上も別居していたが、『子供の問題や出世の妨げになる』として離婚はしていなかった。薄氏は、
妻の殺人を否定せず、『離婚しておけばよかった…』と後悔していた」と語る。
日本では、薄氏失脚に絡み、さまざまな報道・情報が飛び交っている。宇田川氏は当然、真偽を問いた
だした。薄氏はこう語ったという。
「共産党内部の権力闘争ではない。私は重慶市党書記として、マフィア組織(黒社会)の取り締まりを
徹底的にやった。マフィアと癒着している市幹部も排除した。これが恨まれた。別居している妻の事件が
起きたタイミングで、彼らの残存勢力にハメられたのだ」
宇田川氏は北京滞在中、別の中国共産党幹部にも面会し、薄氏の事件について説明を求めた。
幹部は「もし、野田佳彦首相の妻が英国人を殺し、側近が米国大使館に逃げ込んだら、野田首相は現在
のポストにとどまれますか? 権力闘争…という記事は信用に値しない」と語ったという。
薄氏との会食終盤、ホテルのフロントに頼んでいた小沢氏の判決結果がメモで入った。薄氏は小沢氏の
ことをあまり知らなかったが、置かれた立場からシンパシーを感じたようで、「日本では復活できるんだな…」
と満足そうな表情を見せたという。そして、会食が終わると、「アイ・シャル・リターン」といい、部屋を出ていった
という。
■薄煕来(はく・きらい) 1949年、山西省定襄県出身。父は革命歴戦の将で、副総理まで務めた
薄一波氏。80年に中国共産党入党。大連市長や遼寧省長、商務部長(商務相)などを経て、2007年
に中央政治局員となり重慶市党委書記に就任する。大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を
摘発した。大連市長時代から、日本企業の誘致などで手腕を発揮し、日本の政財界とは深い関係を持つ。
12年3月、重慶市党委書記を解任される。
(終わり) 」
(http://www2.2ch.net/2ch.html)
中国共産党の次期最高指導部入りが確実視されながら、3月に失脚した薄煕来(ハクキライ)前重慶市党
書記に、国会新聞社の宇田川敬介次長が先月末、北京で、日本人ジャーナリストとして初めて接触に成功
した。宇田川氏は以前、総合スーパー「マイカル」に勤務し、中国進出時の法務交渉担当を務めており、
薄氏とは大連市長時代から深い交流があった。中国の情報機関「国家安全部」の監視のもと、軟禁状態に
ある薄氏と3時間にわたって会食し、一連のスキャンダルなどについて聞き出したという。
「薄氏は少しやつれていたが、穏やかな表情だった。共産党内の権力闘争や、自らのスキャンダルの多
くを否定していた。会食したのが、民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出た当日(4月26日)だったので、
『私は(小沢氏のように)復活する』と語っていた」
宇田川氏はこう語る。会食は天安門広場近くにある高級ホテル「北京飯店」で行われた。
薄煕来解任事件は、薄氏の妻、谷開来(コンカイライ)容疑者に英国人殺害容疑がかかっているほか、共
産党内部の権力闘争説やクーデター説が流れたり、不正蓄財の疑いで親族が調査を受けるなど、大規模
なスキャンダルに発展している。
宇田川氏は、薄氏と1997年、マイカル大連店の出店準備時に知り合った。薄氏は当時、大連市長。
同年末、マイカルと弁護士である妻の谷容疑者と顧問契約したこともあり、家族ぐるみの付き合いをして
きた。
2000年ごろ、薄氏と谷容疑者に離婚問題が浮上した。宇田川氏は外国人仲介人として離婚調停に関
わった(調停成立も、離婚はせず)。
国家安全部側は今年3月、薄氏の家族関係について確かめるため、宇田川氏に捜査協力を求めてきた。
この協力の見返りとして「写真と録音はNG」という条件で、宇田川氏は薄氏との会食を許可されたという。
北京飯店3階の個室では、宇田川氏と薄氏、通訳2人(うち1人は国家安全部の人間)がテーブルを囲
み、鳥の塩がま焼きやフカヒレの姿煮、北京ダック、鮑のステーキなどを堪能した。外では制服警官2人
が警備していた。
宇田川氏は「最初は昔話で盛り上がり、途中から、薄氏は谷容疑者の悪口を言い始めた。調停は成立し
て10年以上も別居していたが、『子供の問題や出世の妨げになる』として離婚はしていなかった。薄氏は、
妻の殺人を否定せず、『離婚しておけばよかった…』と後悔していた」と語る。
日本では、薄氏失脚に絡み、さまざまな報道・情報が飛び交っている。宇田川氏は当然、真偽を問いた
だした。薄氏はこう語ったという。
「共産党内部の権力闘争ではない。私は重慶市党書記として、マフィア組織(黒社会)の取り締まりを
徹底的にやった。マフィアと癒着している市幹部も排除した。これが恨まれた。別居している妻の事件が
起きたタイミングで、彼らの残存勢力にハメられたのだ」
宇田川氏は北京滞在中、別の中国共産党幹部にも面会し、薄氏の事件について説明を求めた。
幹部は「もし、野田佳彦首相の妻が英国人を殺し、側近が米国大使館に逃げ込んだら、野田首相は現在
のポストにとどまれますか? 権力闘争…という記事は信用に値しない」と語ったという。
薄氏との会食終盤、ホテルのフロントに頼んでいた小沢氏の判決結果がメモで入った。薄氏は小沢氏の
ことをあまり知らなかったが、置かれた立場からシンパシーを感じたようで、「日本では復活できるんだな…」
と満足そうな表情を見せたという。そして、会食が終わると、「アイ・シャル・リターン」といい、部屋を出ていった
という。
■薄煕来(はく・きらい) 1949年、山西省定襄県出身。父は革命歴戦の将で、副総理まで務めた
薄一波氏。80年に中国共産党入党。大連市長や遼寧省長、商務部長(商務相)などを経て、2007年
に中央政治局員となり重慶市党委書記に就任する。大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を
摘発した。大連市長時代から、日本企業の誘致などで手腕を発揮し、日本の政財界とは深い関係を持つ。
12年3月、重慶市党委書記を解任される。
(終わり) 」
(http://www2.2ch.net/2ch.html)