白夜の炎

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「原発から卒業」を目指して・シンポジウムのお知らせ

2011-05-09 17:45:37 | 原発

 下記の日程で「原発から卒業、を目指して」と題したシンポジウムが開かれます。

 茨城県東海村の実態が報告されるとのことです。

 日時 : 6月19日(日) 13時30分から17時

 参加費 : 500円

 場所 : 中野勤労福祉会館 大会議室  http://www.mmjp.or.jp/rmc-jyosai/map/nakakinro.htm

 講師 : 相沢一正(脱原発東海・主宰 東海村村会議員)

原発労働者の声

2011-05-09 15:34:13 | 原発
小林恭子さんのブログが、イグリスの新聞(サンデー・テレグラフ)にのった原発作業員の声を伝えている。

残念ながら日本ではほとんど耳にすることができないので、ここで紹介したい。

小林さんのブログは以下の通り。

 http://ukmedia.exblog.jp/16109771/


「英サンデー・テレグラフに「福島50」の原発事故作業員の声

 Japan tsunami: Fukushima Fifty, the first interview

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8408863/Japan-tsunami-Fukushima-Fifty-the-first-interview.html

 
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 サンデー・テレグラフで、「福島50」(フクシマ・フィフティー)と名づけられた、福島原発事故の作業に当たる人々(約50人といわれていたことから「フィフティー」と呼ばれた)への取材記事が載っている。顔写真つきで、はっきりと声が出ている。

 福島で取材をしたのはアンドリュー・ギリガンとロバート・メンディック記者である。これまで、顔が見えないと言われた作業員たちは、「狭く、暗い空間で作業をすることの恐怖、家族への思い、それでも作業を続けていくという意志」を語ってくれたという。

 顔写真が出ているのは、電気技師の田村アキラさんと、チームのリーダーの一人鈴木ノブヒデさんである(名前は漢字が不明なので、ここではカタカナ表記)。作業員たちへの取材は、原発から2-3キロの距離の海岸沿いに浮かんだ、カイオウ丸船上での休憩中に行われた。

 カイオウ丸の乗組員によると、作業員たちは「非常に静か」で、食事中もほとんど会話はい。ビールを勧められると、断ったという。

 福島原発第3号のメルトダウンで、東京消防庁の消防救助機動部隊を率いたのが福留カズヒコさん。作業中、あたりは「真っ暗でした」と語る。「真夜中で、見えるのは自分たちの頭につけたトーチのみ。原子炉からは煙と蒸気が立ち上っていました。全てが失敗してしまったので、海水を入れて冷却するために(政府は)私たちを呼んだんです」。

「私たちは国家公務員じゃないんです。東京都の職員ですから。でも、政府はほかに手立てがなかった。最後の手段だったんでしょう」。

 救助作業の指示が出たのが午後11時。福留さんは自宅にいた。「簡潔な指示で、チームを集めて、福島に行くように、と。それで電話は終わりでした」「妻の方を見て、『福島に行くよ』と言ったら、妻はショックを受けていましたが、落ち着いた表情を見せて、『気をつけて』と言ってくれました」

 福島に行く指令を断るということは福留さんの頭には浮かばなかったという。「作業員たちは大きな懸念を抱えていました。たいていの作業を私たちは練習して来ましたが、これは経験したことがない敵なのです」

 午前2時に現場に到着し、チームは二班に分かれた。消防車の1つは、海水を汲み上げるため、できうる限り海面に近い場所に行った。2台目の消防車は、放水をするために、原子炉から6メートル以内の場所に置かれ、3台目はその途中に置かれた。
 
「すべてが瓦礫におおわれて、私たちが想像していた状況よりも悪い状況でした。」
 
「コンクリートの塊があちこちにあって、マンホールのカバーは吹き飛ばされていました。道も通れないようになっていました」。海水を汲み上げることができる場所に消防車を置くことができず、真夜中の真っ暗な中を、作業員たちはホースを持って800メートル近くを走り、海面にホースを入れたという。

 放射能が危険なレベルに達したときに、いつでも退避できるよう、車を待機させていたが、この作業の間、放射能は原子炉から流れ出ていた、とギリガン記者は書く。

 お互いに声をかけながらーー呼吸マスクをつけていたので、叫び声になりながらーーもっとホースを引いてくれ、あと少しだぞ、といいながら作業を続けた。水がホースに流れ出すと、作業員たちは、歓喜のこぶしを宙にあげたという。

 呼吸マスクを除くと、作業員たちが身に着けていたのはオレンジ色のボイラー・スーツだった。26時間の作業後、休憩所に連れて行かれ、検査を受けた。衣類は放射能を浴びていたので、押収された。身体を洗い、放射線照射をテストされた。「完全にクリアになったわけではないが、大丈夫ということで、解放された」と福留さん。「自分は大丈夫だと思う。衣類は汚染されたけど、自分の身体は大丈夫だと思う」。

 「電気が戻ってよかったと思う。あれほど暗い中で作業をするのは大変だったから」と田村アキラさんが言う。「作業をしたケーブルの一部はとても高い場所にあった。こちらが思うほどには作業はうまく行かなかったので、心配だ」。

 多くの作業員は、簡素な、白い使い捨て用のオーバーオールを着ていた。放射性物資が直接肌につかないよう遮断できても、ほとんどの放射能の被爆を予防はできないという。

 作業員は2つのバッジを身に着ける。放射能が危険なレベルに達したときに、知らせてくれるバッジである。「最悪の場所に長時間いないようにしたいと思う。常時いるのでなかったら、大丈夫と言われた」とある男性が話す。(ギリガン記者が作業員に取材をした日、別の作業員チームの二人が被爆した報道が出た。)

 原子炉を冷却化する作業の中で、田村さんを含む作業員は、当初、発電所の床で寝ていたという。「シフト制になっておらず、私たちは24時間体制で働いています」「また明日は原発に戻ります」「1時間作業をして2時間休むというやり方をしてきました」「最初は10人の作業員でしたが、今は30人に増えたので、休みを取って食事を取ることができます」

 チームのリーダー、鈴木ノブヒデさんが言う。「私たちは非常に神経質になっています。緊張感が漂っています。でも、作業を続けなければいけません。肩に大きな責任を感じます。世界中が見ているし、みんなが応援してくれています。私たちが孤立していないと感じています」。

 外の世界へのメッセージはと聞かれ、鈴木さんは「今考えられるのは作業を続けていくことです。毎日、戦っています。応援してください」。

 32歳のある男性作業員が言う。「とっても怖いです。いつも恐怖におびえています」「でも、これは重要だし、やらなければならないことーこれが私を動かしています」。

 記者が取材した作業員たちは、事故発生から家族に会っていない。「妻と両親にできれば会いたい」と田村さん。「メールで連絡を取っています。とても心配しているようです」。

 「電話で一度話したきりです」と鈴木さん。「子供は応援するといってくれましたが、妻とは話してません。妻は動揺が強すぎて、話せなかったのです」。

 こうした勇気ある作業員たちの家のほとんどが原発事故による避難地域にあるため、大部分の作業員たちには、戻る家がないのだとギリガン記者は記している。

身勝手なアイディア―モンゴルに核処分施設/日米で構想

2011-05-09 13:58:19 | 原発


 「モンゴル核処分場計画 米「核なき世界」へ思惑

  毎日新聞 5月9日(月)2時36分配信

核燃料サイクルと日米モンゴルの狙い

 日米モンゴル3カ国による核廃棄物の貯蔵・処分場建設を巡る極秘交渉は、原子力ビジネス拡大のほか、核不拡散体制を実質的に整備したい、「核なき世界」を掲げる米政権の思惑も絡んでいる。

 ◇再処理狙う新興国封じ…国際施設設置で主導権

 核兵器の原料となるプルトニウムは、原発で使用した核燃料の再処理で抽出される。北朝鮮はこの手法で核兵器を開発し、核拡散防止条約(NPT)非加盟国のイスラエルやパキスタンなども同じ手法で開発を進めているとみられている。

 また、原発輸出市場に参入した韓国などが、米国に再処理施設の建設容認を要求。非核国をうたいながら核兵器開発が可能な再処理を認められている日本、NPT未加盟のまま核兵器を保有するインドが米国から原子力技術を供与されている「不公平感」が源泉だ。

 同様の不公平感は、核兵器を持たない国々に潜在している。原発を持つ国が使用済み燃料の再処理を始めれば、核拡散に事実上歯止めがかからなくなり、「第2、第3の北朝鮮」が生まれる恐れがある。米国は、国際的な貯蔵・処分施設を主導して造ることで、「核なき世界」に向けた秩序を構築したいのだ。

 また、国際的な施設は国際原子力機関(IAEA)も必要性を訴えてきたが、他国の核ゴミまで引き受ける国は現れなかった。欧州連合(EU)は2015年までに域内での処理態勢を整える計画だが、それ以外の地域では見通しがなかった。

 米国務省のストラトフォード部長(原子力安全担当)は3月末、ワシントンでの核専門家会合で、「台湾や韓国などは使用済み核燃料の扱いに困っている。国際的な処分施設は諸問題を一気に解決する」と強調した。

 モンゴル政府内には、見返りとして核燃料加工などの技術供与も得ることで、核燃料の輸出国として経済を発展させたいとの思惑がある。アラブ首長国連邦(UAE)とも同じ狙いで今年1月から交渉を始め、日米との計画に「保険」をかけている。日米が2月上旬に外交文書の署名を狙ったのは、UAEより交渉を有利に進めるためでもあった。【会川晴之】」

中国の見方―人民日報から

2011-05-09 13:01:22 | 原発
 

 「日本 震災後の「三位不一致」

 日本は地震、津波、放射能漏れという「三重」の災難に見舞われたが、災難への対応において、国民、官僚、政治家の三者はそれぞれ違った姿をみせた。

 平均素養が高い国民の対応は一流といえた。一方、効率の低い官僚の対応は二流、決断力がなく互いに腹を探り合い政争を続けた政治家に至っては、いわば三流にすぎない。

 一流は国民だった。とりわけ地震発生初期段階の対応だ。巨大な災難に直面し、彼らは冷静、沈着、互助を守り、「日頃の訓練の成果」を発揮、国際世論は日本国民に対して称賛を贈り続けた。救助・捜索活動における政府の対応の遅さや政策決定ミスについて、彼らは不満があっても堪え忍び、非常時に政府に混乱を与えなかった。

 放射能漏れは彼ら本来の「反原発ムード」をあらわにしたが、彼らは合法的手段で抗議を行い、政府に協力し復興計画の施行を待ち続けている。

 二流は官僚だった。効率が低かったのみならず、責任を負わなかった。

 日本語でいう「官僚」とはその実、政府機関の国家公務員を指し、彼らの惰性は久しい。

 今回の「三重」の災難は、行政当局の官僚にとって避けることのできない責任だ。昨年5月に早くも国会で、「福島第一原発」の予備発電機と外部接続電源に問題があり、不測の事態が発生すれば冷却系統が止まり、果ては原子炉の「溶融」にいたる可能性が指摘されていた。

 しかし、官僚の起草した答弁書は重大さに欠け、東電の利益を守るだけで、欠陥を認めなかったのが現実となった。


 彼らのこのような手法の理由には多くが挙げられるが、そのひとつに実権を掌握した人達がいずれも、東電という大企業と密接に繋がっていることがある。

 例えば彼らは退職後、「天下り」で再就職し、果ては企業の要職に就く。さらに日本の官僚文化において、上司の意志に背き事実を暴露する人は「窓際」に追いやられる。

 よって専門的知識を有する官僚でさえ良心を抑えて上司に従い事を丸く収める。結果、巨大な津波の衝撃の下、「福島第一原発」の全ての電源は破損、冷却系統は機能を失い、核燃料棒の「溶融」を誘発、放射能漏れを引き起こした。


 三流は政治家だった。とりわけ内閣の優柔不断とチャンスを喪失したことにあった。

 地震は日本時間3月11日午後2時46分に発生、約1時間後、内閣は原発の全電源が損壊したとの報告を受けた。

 午後8時頃、内閣は電源停止の報告を受ける。専門家は皆、当時に果断を講じ原子炉格納容器内の蒸気を逃がし、圧力を減少させ、あるいは原子炉内部に注水することで温度を下げれば「溶融」を防ぐことができることを知っていた。

 しかしながら、午後8時から翌12日早朝までの10時間内に、東電は冷却措置を行わず、内閣も対策を強制しなかった。

 さらに危機の発生を受け、菅直人首相は12日午前6時になり、ヘリに乗り福島第一原発上空を視察した。

 これについて専門家は、首相がこの時すべき対策は冷却と「蒸気放出」であり、「政治ショー」ではなかったと批判する。このほか、東電は「勝手に」汚染水を放出、内閣は事の成り行きを全て公にせず、国際世論の批判を浴び、日本の国際的イメージが著しく損なわれた。

 加えて野党は政府の動きが足りないことを口実に、政治「停戦」の承諾を放棄した。与党内反対派にも管首相の指導力不足を批判、辞任すべきだとの声が上がった。政治家らは続々といかに「内閣打倒」で実権を奪取するか目論み、新たな権力闘争が幕を開けた。

 国民、官僚、そして政治家は日本の社会構造を構成する要素であり、中でも国民は主権者で、官僚は行政の主体であり、政治家はリーダーシップの責任を負っている。

 しかし今回の「三重」の災難の中で、主権者は本分を尽くしたにもかかわらず被害を受け、行政当局は機械のごとく命令がなければ動かず、政治家には決断力が消え、三者に「三位一体」の協力は生まれなかった。


 上下一心」がそら言となり、被災初期に国民が勝ち得た同情と称賛は、為政者の行動により大きく損なわれた。今後、東日本大震災後の復興過程において、いかに政治を安定させるかとの問題、あるいはいかに国民の信頼を取り戻すかという問題、さらに外交上いかに隣国と国際世論の信頼を得るかについても、日本が解決を迫られる課題となる。(上海国際問題研究院日本研究センター副主任 廉徳瑰)(「解放日報」より:編集HT)

 「人民網日本語版」2011年5月6日」

クラブ・クライメットJ発足―新たなエネルギーの構築を目指す試み

2011-05-09 12:08:44 | 原発


「電力会社に対する公害調停の申請に向けて

申請人1万人をめざし、「クラブ・クライメットJ」発足


3.11東日本大震災により、原子力発電所がいまだかつてない大規模な事故を起こし、原子力発電を中心とするエネルギー政策の見直しが迫られている一方で、地球温暖化は深刻化し、氷河や北極海の氷の融解、海面上昇、世界各地での洪水や、台風ハリケーンなど異常気象による被害は現実のものとなっている。

今後、原子力発電にも頼らず、地球温暖化も引き起こさないエネルギーへと大胆にシフトするためには、われわれ当事者ひとりひとりがしっかりと議論し、行動していく必要がある。

そこでこのたび、日本環境法律家連盟(JELF)と気候ネットワークは、この夏、電力会社に対して、原子力発電に頼らないCO2排出削減を求める公害調停の申請を行うにあたり、新しいプロジェクト「クライメットJ」をスタートさせた。

クライメットJは、電力会社を相手どったCO2の大幅削減を求める公害調停という司法手続きを進める中で、新しい社会の在り方を広く議論するためのムーブメントを展開し、弁護士と市民が共同で気候的正義(Climate Justice)の実現をめざしつつ、持続可能な電力供給システムの実現やCO2の大規模排出構造の転換を目的としている。

現在、サポーターや賛同団体を広く募集し、公害調停の申請人として、日本国民1万人を目指すこととした。ぜひ広報のご協力をお願いします。

今後は、トークやライブのイベント“climate-J stand”を連続的に行う。第1回目は、電力供給及びCO2削減のためには本当に原子力発電が必要なのかを議論するトークイベントを開催する。詳しくは公式ウェブサイト(http://climate-j.org)を参照されたい。



●第1回トークイベント「減らせCO2!で、原発は必要?」

  日時:5月11日(水)19:00~
  場所:Naked Loft(東京都新宿区百人町1-5-1 百人町ビル1F)
      ※交通アクセスhttp://www.loft-prj.co.jp/naked/map.html
  参加費:前売¥1,200/当日¥1,500
  出演者:田中優(未来バンク理事長)/平田仁子(気候ネットワーク)/
      只野靖(浜岡原発訴訟代理人・弁護士)/島キクジロウ(クライメットJ・弁護士)」

あいりん地区で労働者を募集→福島原発へ(だまして)

2011-05-09 11:41:03 | 原発


 こんなことになっているのではないかと思っていた通りのことが報じられた。ダンプ運転手ということで西成で募集した労働者が、福島第一原発付近で、防護服を着せられてがれきの撤去に従事させられた、というものだ。

平井憲夫さんの「原発がどんなものか知ってほしい」にもあるような、下請け任せ、臨時任せの労働実態の一端が覗いている。


「ダンプ運転手募集→原発で労働…大阪あいりん地区でウソの求人

スポーツ報知 5月9日(月)8時5分配信

 日雇い労働者が多く集まる大阪・西成区のあいりん地区で、東日本大震災後、宮城県での運転手の求人に応募した男性労働者が、福島第1原発での労働を強いられていたことが8日、分かった。

 関係者によると、財団法人「西成労働福祉センター」が3月17日ごろ、業者からの依頼をもとに「宮城県女川町、10トンダンプ運転手、日当1万2000円、30日間」との求人情報を掲示。採用された男性は東北に向かったが雇用期間中の3月25日ごろ、男性からセンターに「福島第1原発付近で、防護服を身に付けがれきの撤去作業をしている。求人は宮城だったのにどうなっているんだ」と電話があった。

 センターが調査した結果、男性が一定期間、防護服を着て同原発の敷地内での作業に従事していたことが判明。労働者らを支援するNPO法人・釜ケ崎支援機構は「立場の弱い日雇い労働者をだまして危険な場所に送り込む行為で、許されない」と反発している。
最終更新:5月9日(月)8時5分」