アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

リトアニアの首都ヴィリニュス、第2日目。教会の多い旧市街を電動スクーターで走る!

2019-08-18 20:29:54 | 日記

ウジュピス、「川向こう」という名前のエリアにあるチベット広場の石の上で。

リトアニアの首都ヴィリニュスの第2日目は晴れて、白い雲の浮かぶ青空の下、雨の前日よりずっと綺麗な街に見えてきました(笑)。


アパート近くの広場。


旧ソ連時代には「無神論博物館」だったという教会。


小径のカフェにて。


旧市街の目抜き通りでアイスクリームを買う。

旧市街はかなり小さくて、目抜き通りが1、2本しかないのです。団体の観光客が、ウクライナの小都市で世界遺産の街リヴィヴより多いのは、
やはり首都だからでしょうか?


街の中で唯一ゴシック建築の聖アンナ教会。その後ろにあるのは違う教会ですが、名前忘れちゃった・・・


教会の中。


その後ろの教会の中

ヨーロッパの街には教会がたくさんありますが、その中でも抜きん出てヴィリニュスには多くあるような気がします。
一つゴシック様式の教会がある以外、あとはそれほど背の高くない教会で、他の建物もせいぜい2、3階建て。
旧市街には高い建物がほとんどなく、それものんびりした印象を与えているかもしれません。


大聖堂、晴れた空の下でさらに壮観です。


大聖堂の内部は割とあっさり。


大聖堂や鐘楼あるの広場で電動スクーターを乗り回す。

娘が乗りたがっていた電動スクーターは、アプリを自分のスマホにダウンロードし、クレジットカード情報を入力して使います。
道に乗り捨ててあるスクーターのバーコードをスキャンして、電池の残り具合などをチェックしてスタート。乗り終わった時に
終了ボタンでまたスキャンして終わり。使えないエリアに駐車すると、終了できないシステムです。


川を渡ると、ウジュピスという、以前は労働者のエリアで今はアーティスティックなエリア。1年に一度だけ独立共和国になるらしい!


川を渡ってすぐのチベット広場


天使の像のある広場。

教会がたくさんあり、(また特に他にめぼしい建物もないせいので・・)いろんな教会に入り、その都度キャンドルを灯して
お祈りしておりました。


娘の一番のお気に入りだったこじんまりとした教会。


この絵に一番惹かれたそうです。

「お祈りって何するの?」と娘。
カトリックの幼稚園、聖公会の中高大学に通った私は、「天にまします我らが父よ」で始まる「主の祈り」をかすかに覚えていて、
娘に伝えようとしましたが、「わかんない」というので、「静かに目を閉じて、お願いしたいことやありがとうって言いたいことを
考える。あるいは、うんと静かにして、何か神様からメッセージがくるかどうか、聞いてごらん」と言ってみました。


公園で遊ぶ。

どの教会だったか忘れましたが、最初にキャンドルを灯した教会で娘が「なんだかメッセージが聞こえた気がする」と言いました。
「何て言ってた?」と聞くと「う〜んとね、ようやくやったね、みたいな感じがした」と娘。
「ようやく来たね、ってこと?」と聞くと「ううん、やったね、っていう感じ」と娘。
「よくわからないけど、やっとちゃんとお祈りしてくれたねってことかなあ?」などと娘とおしゃべり。


公園にあった回転木馬。

基本的に法事にお寺に行き、お正月に神社にお参りし、クリスマスもお祝いする普通の日本人的な宗教との関わりを持つ娘は、
キリスト教の教会に行くことはあまりありません。

教会という日常とは一線を画した空間で、祈る、あるいは静かに過ごす、という瞑想的な経験は悪くないと私は思っています。
またそれについて話せたのは、ちょっと嬉しいことでした。


手前は酢漬けのニシン、娘はまたもやポテトフライ!


向かって左はポークカツレツ、右はシャンテレル茸のクリーム和えにマッシュポテト。


シナモン入りクリームのかかった、サワーチェリーのコルドゥナイ。ポーランドのピエロギと同じ、餃子みたいなもの。

この日の夕食も、一応リトアニア料理をいただきました。ホテルにあるお店なので、少し上品な味付けでしたが、まあ、基本的には粉物や芋を使った、
でんぷん質の多いお料理ですな(笑)。

テラスでご飯をいただいていたら、弦楽の4重奏がストリート・パフォーマンスをはじめました。
クラシックから映画音楽まで色々演奏し、なかなか聞かせるので、周りに人がたくさん集まってきた。



「音楽がよく聞こえて、特等席ですね」とウエイターさんが微笑みました。

あれ、珍しくフレンドリーな・・・??

英語はあまりできないけれど、一生懸命答えようと、とても親切に対応してくれた人の多かったウクライナのリヴィヴから来ると、リトアニアのヴィリニュスの人々は、もっと英語は通じるけど、ちょっとそっけないというか必要最低限のことしか言わなくて、ちょっと冷たい感じがしていました。

リトアニアは、16世紀後半から18世紀末にかけて、ポーランド・リトアニア共和国として存在し、見かけは平等な国同士の連合だったけれど実質は
ポーランドがリトアニアを支配していたそうです。
ウクライナのリヴィヴもポーランド領だったから、リトアニアの人もリヴィヴの人と同じような感じかと思ったら、もっと「北欧的な」というか、控えめ
なのか、シャイなのか、あまりフレンドリーな感じがしないね、と夫と娘と3人で話していたのでした。

まだ2泊残っているヴィリニュス、どんな顔が見えてくるのでしょうか??

リトアニアの首都、ヴィリニュス第1日目。

2019-08-18 13:13:40 | 日記

夜の旧市街にて。

ウクライナの小都市で世界遺産のリヴィヴから、大雨の中40分ほどのフライトで到着したリトアニアの首都ヴィリニュス。
Uberで旧市街にある借りたアパートまで移動する街並みは、まばらで、旧ソ連時代の建物がリヴィヴより荒れ果てていて
なんだか拍子抜けでした。
「ここの人たち、つまんなそうじゃない?」と車の中で娘が呟き、私も思わず「そうだね〜」。


旧市街の観光名所の一つ、夜明けの門。


そこから歩く。




ハレス市場。


市場の中。

17度くらいですが、雨のせいか、うすら寒く感じ、1997年ごろに訪れた東ドイツを思い出しました。
共産圏時代の四角く灰色の建物が煤けて、その昔の装飾の美しい建物は荒れ果て、なんとも侘しい気持ちになった
のですが、夫にそれを伝えると「うん、なんかそんな感じだねえ」。

でもね、リトアニアって旧ソ連から独立してEUにも参加した国で、バルト3国としてだいぶ発展してきてるんじゃないの??


借りたアパートは真新しくて清潔。

借りたアパートに到着すると、そこだけ浮き上がったように改築されて新しい建物で、ちょっとホッとしました(笑)。


さらに歩く。


手縫いの洋服を売る可愛いお店。


旧市街の一番の目抜き通り。

ネットで調べて評判のいいリトアニア料理のお店、Etna Dvarasに行くと私たちのような観光客が行列していました。

https://etnodvaras.lt/


壁に手描きの花などの模様が可愛らしい。


クワス。ライ麦を発酵させた、ロシアあたりの飲み物。微量のアルコールの入った甘酸っぱい飲み物で、ちょっとだけマッコリ風??


手前がひき肉入り、もちもちしたじゃがいも団子のツェッペリン。向こう側が豚の首のグリル。

リトアニア料理は、ポーランド料理と似ていますが、ちょっと違うのが、このツェッペリン。ドイツのじゃがいも団子みたいに、もちもち
しています。まあ、豚肉とじゃがいものコンビネーションは同じなんですけどね(笑)あとは、ライ麦パンもソウルフードだと観光ガイドに
書いてありました。


レンタル自転車のある目抜き通り。


大聖堂と鐘楼がそびえ立っています。

お腹がいっぱいになって、外に出ると、雨が上がっています。近くに大きな広場があり、ライトアップされた大聖堂と鐘楼と王宮が
現れ、壮観です。


水があると触りたがる8歳児。

「この街、もしかしたら結構いいかも?」と事前学習をしない私たち、勝手な感想を言い合いながら、観光客の
溢れる夜の旧市街をぶらつきました。

明日はお天気らしいから、だいぶ印象変わるかな?

雨の中、リヴィヴからヴィリニュスへ。

2019-08-14 23:11:52 | 日記

屋台でプーチン模様のトイレットペーパーが売ってました

ウクライナのリヴィヴ第3日目は、23度くらいで曇り。涼しくて歩き回るのに最適でした。


薬局博物館

夫がオンラインで見つけて仕事をお願いしたことがある方がたまたまリヴィヴ在住のウクライナ人だったので、連絡して初めてお会いすることになりました。



30歳くらいでしょうか、ハイキングや登山が好きという好青年のY君は、私たちがろくに観光していないと知ると、
親切にもあちこち案内してくれたのでした。
まずは薬局博物館へ。今でも少しだけお薬を売っていますが、メインは昔の薬局の様子の展示です。


ルボミルスキー宮殿、でも貴族の邸宅といった趣き。

次に旧市街の市庁舎近くにあるルボミルスキー・パレス博物館に連れて行ってもらいました。パレス、宮殿という名前ですが、
貴族の邸宅といった趣の建物です。


同じ邸宅博物館内で。

ソ連時代には、素晴らしい天井や壁の装飾は全て安い素材で隠されて、何の装飾もない一般人の質素な住宅として使われおり、
ウクライナとして独立してから、元の状態に戻し、博物館として復活させた、という話でした。

「え、ママ、どういうこと?」と娘が、Y君の英語の説明が理解できずに、私に説明を求めてきました。

「ええとね、この街のあるウクライナっていう国はね、ソビエト連邦っていう違う国に入れられちゃったことがあって、その時に、お金持ちや貧乏は人がいるのはいけない、違うのはいけない、みんな同じように暮らさなくちゃいけないっていう考え方だったから、お金持ちや王様の贅沢なお家を普通の人が住むようなものに変えちゃって・・・」
小学2年生にわかるように説明するのに四苦八苦・・・。


この素敵なお部屋は、一体どんな安っぽい住宅になっていたんでしょうか?

自分なりに理解しようと、娘は色々質問してきます。その度に「いや、そうじゃなくてね・・」とうまく説明できない自分がまどろっこしくなる(笑)

娘が生まれたオーストラリアは、元々はアボリジニの人たちの国にイギリス人がやってきて植民して、独立してオーストラリアになってから200年ちょっとの歴史しかない国だし、今住んでいる日本は、他の国になったことがないので、ヨーロッパ、特に東欧のように国境がなんども変わり、その国がなくなってしまったり、また戻ったり、というコンセプトがなかなか理解できない。まあ、私だってろくにわかってないんですけどね・・・。

なんとなくモヤモヤしたまま、次に近くの教会に連れて行ってもらったら、中は絶賛修復中。今は煤けて、欠けたりしているものの、
元の装飾の素晴らしさは、足組が組まれた隙間からも見て取れます。


名前は忘れましたが、レノック広場の近くにある教会。

この教会、ソ連時代には、記録文書の倉庫として使われ、荒れ放題のままだったそうです。修復が終わったら、さぞかし素晴らしい教会に
戻ることでしょう。



さらにこの教会には、戦死したウクライナ軍人の方々の顔写真と、その子供たちの写真が折り鶴と共に飾られていました。
クリミア紛争で亡くなった軍人さんたち、まだ数年前のなんとも生々しく痛ましい現実です。

これも娘に説明すると「え!お父さんたちが戦争で死んじゃったの?やだなあ、パパが死んだら、困る」とこれは実感できたようです。



旧市街から数キロ離れた、東欧一美しいと言われる「リチャキフ墓地」にも連れて行ってもらいました。
大きな彫刻があちこちにあり、樹木が鬱蒼としていて公園のようです。


ネットより借用。ポーランド軍隊の墓。実はここまでたどり着きませんでした・・・!

ワルシャワにあるポヴィオンスキー墓地をもっとう〜んと広く、立派にした感じ、同じように著名人の墓やポーランド軍隊記念碑などが
あります。


ネットより借用した写真。同じリチャキフ墓地です。

Y君が、いくつかのお墓を指し「あの人は有名な作曲家、この人も有名なアーチスト、みんなKGBに暗殺されたと言われてるんだ」。
あからさまに反ロシアでなくても、ウクライナ支持を表明するだけで、知名度がある人は影響力があるということで危険に晒された。
没年が2000年あたり、「冷戦後」であるはずの今世紀。

Y君がいろいろと英語で話してくれる内容が理解できない娘は、私に説明を求めましたが、これも難しい・・・3分の1くらい見たところで「もうやだ〜、疲れた、お腹すいた!」と娘が喚くので、旧市街に戻ることにしました。


Y君イチオシのEpic Cheese Burger Cafeにて。

ハンバーガーが食べたいという娘に「僕が思うにリヴィヴで最高のチーズバーガーを出すお店」に連れて行ってくれました。
英語のメニューがあって、わかりやすいです。

バンズもお店で焼いていて、ブリオッシュのようにちょっと甘みのあるものだそう。でもね、Y君はバンズ抜きの、お肉とサラダ
だけの注文。ジムで鍛えてるらしい体つきの彼は、お酒も飲まない健康志向の青年のようです。


メニューをみていたら・・・

バーガーを頬張りながら、今度はY君自身の話を色々聞きました。ガールフレンドのことを聞いたら、嬉しそうに二人で
トレッキングした時の写真を見せてくれました。

小学校に入る頃にはソ連ではなく、ウクライナになっていたそうです。でもソ連時代をちょっと経験したんだろうな・・・詳しく聞くのは
なんとなく憚られ、たまたま墓地の後に医科大学の前を通ったので、大学について質問してみました。

大学はたくさんあって、いい大学なら卒業すれば仕事はあるけれど、レベルの低い大学は卒業しても仕事はない。特にIT関係なら
レベルの低い大学に行くくらいなら、独学で通信講座でも取った方が仕事に就けるよ、とあっさり言い切るY君。
学費は学部によるけれど、年間数百ドルから数千ドル。西欧やアメリカの大学よりはずっと安いので、中近東やアフリカから
留学生がたくさんくる、とのこと。


あれ、私のために用意してくれた!?

Y君は大学でITを専攻している間に、プログラミングの仕事を請負い、卒業と同時に起業したそうです。「就職しないで企業するのは
普通なの?」と聞いたら「いや、珍しいですよ。でもそっちの道があるなって思ったから」。


注文しました、I was born in Tokyo バーガー!鶏肉の照り焼きに焼いたトーフにスイートチリソース、結構いけます

最近、新卒をリクルートしようといろんな人を面接したけど、ウクライナでもトップの大学や数学専門の特別な高校に行った人たちはやっぱりすごく優秀で、使いたい人が多かった、とY君。「英語ができるし、技術もあるから、外国の企業でインターンをした人たちが多くて、彼らはそういった大企業に誘われるから僕のオフィスにはなかなか来てもらえない・・・」


デザートはブルーベリーのストルーデル。

お別れの時に、お礼を言いながら、「ウクライナについて何も知らないままリヴィヴを訪れたけれど、とても素敵な街で人々も暖かく親切で、娘はまた来たいってなんども言ってるし、私も同じです」と言うと、
Y君は「そう、それが問題なんですよね・・・誰もウクライナのことを知らない。何がウクライナで起こっていようと、どの国も気にしない・・」とポツリとこぼしたのでした。


リヴィヴでの最後の夜。

え、どうしてそんなこと言うんだろう?とちょっと不思議に思ったのですが、そのままにして、「次はガールフレンドにも会わせてね」とお別れしました。

あとで夫が「1994年にアメリカ、イギリス、ロシアが、ウクライナの領域を保障する条件で、ウクライナは2千ほどあった核兵器を放棄することに同意したんだけど、結局ロシアは侵略してきて、アメリカやイギリスは結局何もせず、ウクライナはクリミアを取られてしまったんだよね」と話してくれ、なるほどそう言うことだったのか、と改めて自分の無知を思い知らされました。


ハンモックでぶらぶら。

ちょっと調べてみたら、IMFの一人当たり名目GDPランキングによるとウクライナは131位で一人当たりのGDPは3000ドルに満たない。ウクライナの前130位にフィリピン、ウクライナの後、132位にラオスがあります。ちなみにポーランドは59位で1万5千ドル強、日本は26位で3万9千ドル強。

https://www.globalnote.jp/post-1339.html

フィィリピンには行ったことないですが、ラオスには10年以上前に訪れたことがあります。隣国のベトナムやタイに挟まれて、カンボジアよりさらにのんびりとして、まあ当時の正直な印象をいうと、貧しい東南アジアの国。もちろん10年以上経ってかなり変化したとは思いますし、また必ずしも一人当たりの名目GDPが全てではないけれど、ある指標になると考えると、ウクライナが、ラオスと同じくらいというのは驚きました。


リヴィヴの空港にて。

ウクライナの首都キエフよりリヴィヴの物価は安いらしいですが、ポーランドと比べてびっくりするくらい安いわけではありません。というかポーランドより
う〜んと安いだろうと期待していた私たちは、ちょっとがっかりしたくらい(笑)。

街並みを見ても、私の目には、少なくともリヴィヴはそれほど貧しい感じはせず、物価と同じように、ポーランドよりやや遅れているくらいな感じ。
自国の通貨で見ると、独立してから一人当たりのGDPは右肩上がりなのですが、米ドル換算だと、ジグザクで大きな落ち込みが2度ほどあり、2009年と2015年。2015年はクリミア危機、ウクライナ東部紛争でしょう。2009年はガス紛争なのかな、よくわかりません。


リヴィヴ空港で朝ごはん。

リヴィヴは安全で、娘が腕時計をレストランのトイレにおき忘れて、あとで取りに行くと誰かがウエイトレスさんに渡しておいてくれるくらいですが、
いまだに東部は危険です。経済成長しようとしても、ロシアがちょっかいを出して、その度に成長が止まると言うか落ち込んでしまう、ということなのかなあ。

ゆえにトイレットペーパーにプーチンの顔、か・・・。


さよなら、リヴィヴ

わずか3泊で、事前に全く何も調べず、ろくに観光もせず、お店を冷やかしたり、飲んだり、食べたり、踊ったり、やっと最終日にY君に案内してもらっただけのリヴィヴ滞在でしたが、最後の夜はぐるぐる頭の中をいろんなことがよぎり、あまり眠れないまま、大雨の中、朝8時のフライトでリヴィヴを発ちました。


リトアニアのヴィリニュス国際空港。

予定より20分ほど早く到着したヴィリニュス空港は、電車の駅みたいに簡素で、でも実用的で機能的でした。
飛行機からみたヴィリニュスは、濃い緑が多くて、北方にきた感じがします。

さてさて、これから3泊、どうなりますやら。

クラクフからリヴィヴへ、合間に夫がぎっくり腰!

2019-08-12 14:49:17 | 日記

ヴロツワフからクラクフへの車中

義姉宅のあるグオグフから電車2時間乗ってヴロツワフにいき、1時間待って、次の電車に3時間乗ってポーランドの古都クラクフに来ました。


ヴロツワフ駅で時間つぶしに漫画を読む。

今回はポーランド滞在中にバルトの国々を旅行したいと思っていたのですが、
2年前に訪れたクラクフ近くのヴィエリチカ塩鉱山の写真をみた娘が(その時、娘はもう旅行が嫌だと言って義姉宅に一人でお留守番していた)、
「ここに行きたい」というので、まずはクラクフへ。


airbnbで借りたお部屋、広々と明るくて快適です!

airbnbで借りたお部屋で荷ほどきをし、とりあえず旧市街を目指しました。


元カルメル会教会、現在は聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会

この教会の外側にあったキリストの磔の像をみたいと娘がいい、そのまま教会の中にも入ると言い張りました。
偶然に「願望成就の特別なお祈り」(夫によると)という、マントラのように同じお祈りを繰り返す礼拝が始まり、
私たちもお祈りを捧げました。


旧市街の真ん中にあるアダム・ミシキェビッチの銅像。

普段教会に興味を示さない娘に導かれて、教会に入ったら、特別な礼拝が行われていたなんて、なんだか幸先のいい始まりです!


マーケットは楽しい!




妙にハイな母娘。


夜の馬車に乗って。

さて、次の日、バスツアーに参加してヴィエリチカ塩鉱山へ。


壁も床も塩。舐めるとしょっぱい。


昔の塩の運搬方法。




こんな大きなホールが地下に。


地下に掘られた人口の湖。危険な仕事なので、塩山の中、あちらこちらに礼拝堂やキリスト像。


この壁の実物を娘は見たかったらしい。

今回、唯一のはっきりした目的地だったヴィエリチカ塩鉱山を見学している間に、娘と私が些細なことで大ゲンカ。
おかしいな〜、特別な礼拝に出て、幸先がいい旅のはずなんだけど(笑)?まあ、でもすぐに仲直りしましたです。


普通のバーガーを注文したのに、なぜかベジバーガーが来た。

また一泊して、次の日、ウクライナのリヴィヴへ移動すべく、荷造りをしていたら、「痛い!!!!」と夫の叫び声が。


寝ぼけてます。

どうやらぎっくり腰のようで、なかなか動けません・・・これからまだ旅は続くのに・・・
おかしいなあ、特別礼拝で幸先がいいはずなんだけど??


上から見るとポーランドと同じような風景。一時はポーランドだったエリアですが。

痛み止めの軟膏を塗ったり、薬を飲んだりして、どうにか飛行機にのり、クラクフから40分でウクライナのリヴィヴに到着しました。


思ったよりモダンなリヴィヴ国際空港。

今回はバルトの国々に行こうと思って格安フライトを探していたら、クラクフからワルシャワを経由してバルトの都市に入るより、
まずはクラクフからウクライナのリヴィヴに飛び、そこからリトアニアのヴィルナスに飛ぶ方が安上がりだとわかったので、まずはリヴィヴに行くことにしたのです(笑)。
いや、もともとウクライナに行ってみたいとは思っていたし、リヴィヴは世界遺産の美しい街だと聞いていた、という理由もあります!


娘が選んだ滞在型ホテル。airbnbみたいなものです。

リヴィヴ国際空港は「意外に」新しくてきれいなな建物でした。というのも、若者が170万人国外に出稼ぎに出ているポーランドに、ウクライナから100万人ほど出稼ぎにきていると聞いたので、かな〜り貧しい国なのでは、と勝手に想像していたのです。


まずは腹ごしらえ。カツレツという名前のミートボールに、ししゃもみたいな魚のフライ、きゅうりのサラダなど。

空港のタクシーはボラれるから気をつけるように、とネットで調べた時に買いてありましたが、本当にそうでした(笑)。首からなにやらパスを
下げている「公式」な感じのタクシーの運転手も、あらかじめ調べた値段の5、6倍の値段をふっかけてきて、あまり交渉に応じません。
なのでUberを使いました。


ツーリスト用の乗り物。

あとで地元の人に聞いたら「タクシー乗り場でタクシーに乗るとボラれるってみんなわかってるから、地元の人間はUberの現地版を使うんだよ」とのこと。
でもウクライナ語ができないと辛いかも・・・。Uberも英語ができない人が結構いて、ウクライナ語でメッセージがきて、返事に困っている間に待機時間超過で
キャンセルされた上にキャンセル料取られました・・・。


可愛らしいお店のならぶ小径。

なんだかなあ・・・特別礼拝に参加して、幸先がいい旅のはずなのに・・・と不審に思いながら(?)、やっと捕まえたUberに
乗りこみ、ポーランドの共産圏時代のものよりややくたびれたソ連時代の四角い建物が続く道を眺めながら、リヴィヴの中心地に入って行きました。


旧市街の元中心地だった広場で、なぜか韓国だか朝鮮の踊り。

旧市街に入ると、ポーランドのヴロツワフなどの街並みと似ていて、なるほど長い間ポーランド領土だったのがよくわかります。
さすが世界遺産の街、とても雰囲気があります。やや落ちていた気分が、だんだん上がってくる(笑)。



若い人は英語ができる人がいますが、できない人も結構います。ウクライナ語とポーランド語は似ているので、夫がポーランド語を話すと
通じることが多かったです。もしかしたら似ているだけでなく、ポーランドに出稼ぎに行った人も多いのかなあ?


旧市街の中心地での屋外ミロンガ。観光アトラクションになりました(笑)

さて、アルゼンチンタンゴを踊ろうと、あらかじめ調べておいたミロンガに行くと、主催者の人がにこやかに迎えてくれてました。



英語はあまり通じないけれど、踊りに言葉はいりません(笑)。みなさんフレンドリーで、いろんな人と踊り、とっても楽しかった!!
みなさんとても気軽に楽しそうに踊っていて、暖かくていい雰囲気です。


広場にはいろんな見世物があります。

私が踊っている間に、ぎっくり腰の夫と娘は広場をゆっくり回って、大道芸を見たり、お店を冷やかしたり、「とっても楽しかった!」と
喜んでおりました。


踊った後の夜食。分厚い豚肉の塊の挟まれたポークサンドイッチ。

ミロンガが楽しいと、その街の印象が10倍くらい良くなります(笑)娘も夜の広場の大道芸などが楽しかったらしく、
「リヴィヴ、いい街だよね〜!!」と夜食を頬張りながら、すっかりみんなニコニコ。


注文が楽なので2日続けて朝食兼昼食に通いました

遅くまで夜遊びしたので、次の日はゆっくり起きて、近くのウクライナ料理のチェーン店、ザハタ・ハタでご飯。三人分、あれこれ
頼んで、1500円くらい。ウクライナ語ができなくてもお料理を見て指差して注文できるのが楽です。
ウクライナ料理はポーランド料理と似ているので、特に目新しくはないのですが、ちょっと違うなと思ったのは、あげてないピロシキ
みたいな、肉まんのあんみたいなのが入ったパン。


社食とか学食みたいにお料理がザ〜っと並んでいます。


夫が頼んだ、きゅうりのサラダ、チキンカツ、チーズクレープ、ポテトフライ。


娘が頼んだマッシュポテト、ポテトフライ(芋づくし!)、いちごのクレープに揚げてないピロシキみたいなパン。


トマトときゅうりのサラダ、冷たいスープ、フォドニク(でもポーランドのジュレックみたいな味)、ほうれん草入りクレープに、チーズの入ったチキンカツ。

湿気は少ないけれど、31度もあって、歩くのが辛いほどの日差しで、あまり観光気分ではなかったのですが、オススメされた市庁舎の屋上に登り、
リヴィヴの風景を眺めたのは気持ちよかったです!



リヴィヴは13世紀くらいからポーランド領土になり、18世紀にポーランドが3分割された時にはオーストリアの支配下になり、第1次世界大戦後にポーランドが復活した時にはポーランド領土に戻り、第2次世界大戦後にソ連になり、1991年にウクライナが独立した時にウクライナの都市になった、というのがリヴィヴの大雑把な歴史だと夫の説明。



カトリック教会、アルメニア教会、ユダヤ教のシナゴーグなどあり、昔は東方カトリック教会の総本山があったそうです。



たまたま入った教会で、夕方の礼拝が始まり、素晴らしい声をもつ青年の祈りがうっとりとするような歌に聞こえ、いつまでも
聞いていたいようなアカペラのコンサートのよう。今回は礼拝にご縁があるのかしらん??


イコンがたくさんある東方カトリック教会。


本屋さんでウクライナ語の本を買った娘。






立派なオペラ座。残念ながら私たちの滞在中には何も公演がありませんでした・・・






暑いから、モヒート風のスプライトが美味しい!




夜は踊る(笑)




夜は運転する!?


ミロンガの人々にサマープロジェクトのインタビューをする娘。

暑くてまだよくこの街を見ていませんが、なんとなく居心地がいい街だなと思っていたら、娘は「ここに住みたい!」らしい。
痛み止めのおかげで少しずつぎっくり腰がよくなってきた夫も、「ポーランドの20年前の街って感じで懐かしい」と気に入った様子。

まだリヴィヴにもう1泊するので、もうちょっと見てみます!

ポーランドで合流!

2019-08-07 08:18:36 | 日記

空港で1週間ぶりに再会。

蒸し暑い東京を出て、私もポーランドに来ました。


お迎えに来てくれた3人。

空港に来てくれた娘は「ママ、ママ、ママ〜!!」と私を見つけて走ってきました。嬉しいな〜!

以前東京に遊びに来てくれた夫の姪の配偶者(義理の甥っていうんですかね?)は、お土産のバナナTシャツをきて
お迎えに来てくれました(笑)



ヨーロッパに熱波が押し寄せた7月頭、ポーランドは日本よりずっと暑かったようですが、今は落ち着いて、最高気温27、8度、最低気温13、4度くらいで、
とても快適です。お庭で食事するのがとても気持ちいい。


ブランチでいただいたracuchy(ラツヘ)という名前のリンゴのパンケーキ。

今回は2番目の義姉は、3番目の義姉の住むシドニーに滞在中なので、1番目の義姉の家にお世話になっております。
お料理上手な義姉に甘えまくって、上げ膳据え膳。


変顔してる二人。

私がいない間、娘はお隣さんの姉妹、9歳と5歳とほぼ毎日遊んでいたそうです。普段はスコットランドに住む、ポーランド人のお母さんと
ギリシャ人のお父さんの子供達で英語、ポーランド語、ギリシャ語を話すらしい!
ちょうど私が到着した日にスコットランドに戻ったようです。


いとこの飼い猫と遊ぶ。

また車ですぐの所に住んでいるいとこ(といっても40歳過ぎ)が飼い始めた子猫と遊びたくて、というか遊んでもらいたくて、でもなかなか懐かないので、
自分に懐かせるために、夜は猫参りをしていたそうな(笑)。


以前よく遊んでいた2番目の義姉の犬。

合間に2番目の義姉の家に行き(義姉はいないけれど、義兄や甥がいるので)、そのお隣さんで、以前よく遊んでもらった
16歳と11歳の姉妹の家にも遊びに行ったり、屋内プールや室内遊技場に連れて行ってもらったり、私がいない1週間、毎日
忙しく過ごし、なかなか娘とは話ができませんでした(笑)


室内遊技場で。

はるか昔、私が小学低学年の頃、祖母の実家の山梨にいき、年の近いお隣さんの姉妹がよく遊んでくれるので嬉しくなって、
親が東京に戻ってからも、一人で残って、お隣さんに毎日遊んでもらったのを思い出しました。


バドミントン、ちょっとだけ上達??

朝ごはんが済んだ頃「あそぼ〜」とお隣さんが呼びに来てくれ、来てくれないときは私がお隣にいき、お目当の子供がいないと「帰ってくるまで
待ってなさい」とおうちにあげてもらってとれたてのトマトなどをご馳走になったのでした(笑)。

そんな素朴でのんびりしたご近所付き合いが、まだここポーランドの田舎では残っているようで、なんだか嬉しくて、ありがたいです。