アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

クラクフからリヴィヴへ、合間に夫がぎっくり腰!

2019-08-12 14:49:17 | 日記

ヴロツワフからクラクフへの車中

義姉宅のあるグオグフから電車2時間乗ってヴロツワフにいき、1時間待って、次の電車に3時間乗ってポーランドの古都クラクフに来ました。


ヴロツワフ駅で時間つぶしに漫画を読む。

今回はポーランド滞在中にバルトの国々を旅行したいと思っていたのですが、
2年前に訪れたクラクフ近くのヴィエリチカ塩鉱山の写真をみた娘が(その時、娘はもう旅行が嫌だと言って義姉宅に一人でお留守番していた)、
「ここに行きたい」というので、まずはクラクフへ。


airbnbで借りたお部屋、広々と明るくて快適です!

airbnbで借りたお部屋で荷ほどきをし、とりあえず旧市街を目指しました。


元カルメル会教会、現在は聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会

この教会の外側にあったキリストの磔の像をみたいと娘がいい、そのまま教会の中にも入ると言い張りました。
偶然に「願望成就の特別なお祈り」(夫によると)という、マントラのように同じお祈りを繰り返す礼拝が始まり、
私たちもお祈りを捧げました。


旧市街の真ん中にあるアダム・ミシキェビッチの銅像。

普段教会に興味を示さない娘に導かれて、教会に入ったら、特別な礼拝が行われていたなんて、なんだか幸先のいい始まりです!


マーケットは楽しい!




妙にハイな母娘。


夜の馬車に乗って。

さて、次の日、バスツアーに参加してヴィエリチカ塩鉱山へ。


壁も床も塩。舐めるとしょっぱい。


昔の塩の運搬方法。




こんな大きなホールが地下に。


地下に掘られた人口の湖。危険な仕事なので、塩山の中、あちらこちらに礼拝堂やキリスト像。


この壁の実物を娘は見たかったらしい。

今回、唯一のはっきりした目的地だったヴィエリチカ塩鉱山を見学している間に、娘と私が些細なことで大ゲンカ。
おかしいな〜、特別な礼拝に出て、幸先がいい旅のはずなんだけど(笑)?まあ、でもすぐに仲直りしましたです。


普通のバーガーを注文したのに、なぜかベジバーガーが来た。

また一泊して、次の日、ウクライナのリヴィヴへ移動すべく、荷造りをしていたら、「痛い!!!!」と夫の叫び声が。


寝ぼけてます。

どうやらぎっくり腰のようで、なかなか動けません・・・これからまだ旅は続くのに・・・
おかしいなあ、特別礼拝で幸先がいいはずなんだけど??


上から見るとポーランドと同じような風景。一時はポーランドだったエリアですが。

痛み止めの軟膏を塗ったり、薬を飲んだりして、どうにか飛行機にのり、クラクフから40分でウクライナのリヴィヴに到着しました。


思ったよりモダンなリヴィヴ国際空港。

今回はバルトの国々に行こうと思って格安フライトを探していたら、クラクフからワルシャワを経由してバルトの都市に入るより、
まずはクラクフからウクライナのリヴィヴに飛び、そこからリトアニアのヴィルナスに飛ぶ方が安上がりだとわかったので、まずはリヴィヴに行くことにしたのです(笑)。
いや、もともとウクライナに行ってみたいとは思っていたし、リヴィヴは世界遺産の美しい街だと聞いていた、という理由もあります!


娘が選んだ滞在型ホテル。airbnbみたいなものです。

リヴィヴ国際空港は「意外に」新しくてきれいなな建物でした。というのも、若者が170万人国外に出稼ぎに出ているポーランドに、ウクライナから100万人ほど出稼ぎにきていると聞いたので、かな〜り貧しい国なのでは、と勝手に想像していたのです。


まずは腹ごしらえ。カツレツという名前のミートボールに、ししゃもみたいな魚のフライ、きゅうりのサラダなど。

空港のタクシーはボラれるから気をつけるように、とネットで調べた時に買いてありましたが、本当にそうでした(笑)。首からなにやらパスを
下げている「公式」な感じのタクシーの運転手も、あらかじめ調べた値段の5、6倍の値段をふっかけてきて、あまり交渉に応じません。
なのでUberを使いました。


ツーリスト用の乗り物。

あとで地元の人に聞いたら「タクシー乗り場でタクシーに乗るとボラれるってみんなわかってるから、地元の人間はUberの現地版を使うんだよ」とのこと。
でもウクライナ語ができないと辛いかも・・・。Uberも英語ができない人が結構いて、ウクライナ語でメッセージがきて、返事に困っている間に待機時間超過で
キャンセルされた上にキャンセル料取られました・・・。


可愛らしいお店のならぶ小径。

なんだかなあ・・・特別礼拝に参加して、幸先がいい旅のはずなのに・・・と不審に思いながら(?)、やっと捕まえたUberに
乗りこみ、ポーランドの共産圏時代のものよりややくたびれたソ連時代の四角い建物が続く道を眺めながら、リヴィヴの中心地に入って行きました。


旧市街の元中心地だった広場で、なぜか韓国だか朝鮮の踊り。

旧市街に入ると、ポーランドのヴロツワフなどの街並みと似ていて、なるほど長い間ポーランド領土だったのがよくわかります。
さすが世界遺産の街、とても雰囲気があります。やや落ちていた気分が、だんだん上がってくる(笑)。



若い人は英語ができる人がいますが、できない人も結構います。ウクライナ語とポーランド語は似ているので、夫がポーランド語を話すと
通じることが多かったです。もしかしたら似ているだけでなく、ポーランドに出稼ぎに行った人も多いのかなあ?


旧市街の中心地での屋外ミロンガ。観光アトラクションになりました(笑)

さて、アルゼンチンタンゴを踊ろうと、あらかじめ調べておいたミロンガに行くと、主催者の人がにこやかに迎えてくれてました。



英語はあまり通じないけれど、踊りに言葉はいりません(笑)。みなさんフレンドリーで、いろんな人と踊り、とっても楽しかった!!
みなさんとても気軽に楽しそうに踊っていて、暖かくていい雰囲気です。


広場にはいろんな見世物があります。

私が踊っている間に、ぎっくり腰の夫と娘は広場をゆっくり回って、大道芸を見たり、お店を冷やかしたり、「とっても楽しかった!」と
喜んでおりました。


踊った後の夜食。分厚い豚肉の塊の挟まれたポークサンドイッチ。

ミロンガが楽しいと、その街の印象が10倍くらい良くなります(笑)娘も夜の広場の大道芸などが楽しかったらしく、
「リヴィヴ、いい街だよね〜!!」と夜食を頬張りながら、すっかりみんなニコニコ。


注文が楽なので2日続けて朝食兼昼食に通いました

遅くまで夜遊びしたので、次の日はゆっくり起きて、近くのウクライナ料理のチェーン店、ザハタ・ハタでご飯。三人分、あれこれ
頼んで、1500円くらい。ウクライナ語ができなくてもお料理を見て指差して注文できるのが楽です。
ウクライナ料理はポーランド料理と似ているので、特に目新しくはないのですが、ちょっと違うなと思ったのは、あげてないピロシキ
みたいな、肉まんのあんみたいなのが入ったパン。


社食とか学食みたいにお料理がザ〜っと並んでいます。


夫が頼んだ、きゅうりのサラダ、チキンカツ、チーズクレープ、ポテトフライ。


娘が頼んだマッシュポテト、ポテトフライ(芋づくし!)、いちごのクレープに揚げてないピロシキみたいなパン。


トマトときゅうりのサラダ、冷たいスープ、フォドニク(でもポーランドのジュレックみたいな味)、ほうれん草入りクレープに、チーズの入ったチキンカツ。

湿気は少ないけれど、31度もあって、歩くのが辛いほどの日差しで、あまり観光気分ではなかったのですが、オススメされた市庁舎の屋上に登り、
リヴィヴの風景を眺めたのは気持ちよかったです!



リヴィヴは13世紀くらいからポーランド領土になり、18世紀にポーランドが3分割された時にはオーストリアの支配下になり、第1次世界大戦後にポーランドが復活した時にはポーランド領土に戻り、第2次世界大戦後にソ連になり、1991年にウクライナが独立した時にウクライナの都市になった、というのがリヴィヴの大雑把な歴史だと夫の説明。



カトリック教会、アルメニア教会、ユダヤ教のシナゴーグなどあり、昔は東方カトリック教会の総本山があったそうです。



たまたま入った教会で、夕方の礼拝が始まり、素晴らしい声をもつ青年の祈りがうっとりとするような歌に聞こえ、いつまでも
聞いていたいようなアカペラのコンサートのよう。今回は礼拝にご縁があるのかしらん??


イコンがたくさんある東方カトリック教会。


本屋さんでウクライナ語の本を買った娘。






立派なオペラ座。残念ながら私たちの滞在中には何も公演がありませんでした・・・






暑いから、モヒート風のスプライトが美味しい!




夜は踊る(笑)




夜は運転する!?


ミロンガの人々にサマープロジェクトのインタビューをする娘。

暑くてまだよくこの街を見ていませんが、なんとなく居心地がいい街だなと思っていたら、娘は「ここに住みたい!」らしい。
痛み止めのおかげで少しずつぎっくり腰がよくなってきた夫も、「ポーランドの20年前の街って感じで懐かしい」と気に入った様子。

まだリヴィヴにもう1泊するので、もうちょっと見てみます!

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