アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ポーランドに戻って、あっと言う間に1週間。

2019-08-27 06:37:43 | 日記

たくさん野の花摘みました〜

ウクライナ、リトアニア、ラトヴィアの旅からポーランドに戻り、1週間経ちました。今日、東京に向けて出発します。


最後の日は、湿原で従兄弟と写真撮影。


塔の上から見た湿原。


湿原の日暮れ。

この1週間、ほとんどの日々が娘のサマープロジェクトに費やされ、おかげさまでポーランドでやろうとしたことは達成したようです。


道で人にインタビューしてます(パパの通訳付きで)


なぜかソファの上で作業。


なぜかベランダで作業。

合間に近くの川岸に遊びに行ったら、たまたまこの近くで実際に12世紀にあったドイツ軍とポーランド軍の戦いを記念したイベントがありました。


ポーランド人の子供を盾にドイツ軍が攻めてきた、と言う再現劇を野原で実演中


本当に干し草を燃やして煙モウモウで、戦いを再現


再現劇の後、役者さんが霧シャワー浴びてました。


これ以外にも首吊り用の縄などもありました!


当時のカリグラフィーを体験。


川岸で日向ぼっこ。

去年も遊びに行った姪っ子のおうちにお呼ばれ、去年よりだいぶ家も出来てきてました(笑)!
東京にも遊びに来てくれた姪っ子夫婦、東京の話も出てきて楽しく、姪っ子の旦那さん、お料理上手なので、お料理も美味しかったです!


そろそろ始まりかな〜


人数増えて、宴もたけなわ。料理人の姪っ子の夫はいつも立ってます(笑)。

お料理上手の義姉、ポーランド料理をたくさんご馳走してくれました。ウクライナ料理やリトアニア料理など、今回旅した国の料理は
ポーランド料理と似ていますが、どこのお店より義姉のお料理が美味しかった!


トマトソースをかけるマッシュルーム入りナレシンキ(ポーランド式クレープ)、お庭のインゲン、チキンカツレツなどなど。


最後の夜はお庭で、キャンドル。

お料理が美味しく、止められないのがわかっていた夫はあらかじめ東京で数キロ減量してきました。そして順調に復活(笑)。


この日は珍しく夫と私が作りました。


外で食べたランチ、大量です・・・。

娘も縦横共に伸びたようです。東京では白いご飯が大好きで、ご飯ばっかり食べるのですが、ポーランドにくるとジャガイモばっかり
食べて、白いご飯が欲しいと一言も言わないのがすごい(笑)。


朝食(だいたいブランチの時間ですが)はお庭で。

東京に帰ったら、自分たちでご飯を作って食べるのが面倒だねえ、と夫と私で今から嫌がっています(笑)。


親子でなにやら大笑い。

夫のポーランド語通訳を介して、ウクライナのリヴィヴが今回一番好きだったとに義母にしたら、義母が若い時、リヴィヴにお買い物に
行くのが楽しみだった話をしてくれました。

今はベラルーシという違う国になっているエリアで義母は生まれ育ち、当時はウクライナのリヴィヴもまだポーランド領だったのですね。
まだ小学生の頃に第2次世界大戦が始まり、終わった時には今住んでいるポーランドの西部に強制移住させられ、最初は他の家族と一緒に住まわされ、
大変な生活だったそうです・・・。


娘が摘んだ野の花を飾る。

戦中、戦後の大変さは、私の両親や祖父母からも聞いていましたが、国境が変わってしまう話はありません。
苦労話の後に「あなたは私のお花ちゃん。お人形ちゃん。大切な義理の娘」と義母が私に言ってくれるのを聞くと、とってもありがたい気持ちになります。


ソーセージ屋さんのウィンドウ

いろんなお土産も買いました。夫は自分用に(笑)、日本では手に入りにくいソーセージ類も買いましたよん。


お揃いのシャツもついでに。


ピクニック用ウォッカショットグラス!(買いませんでしたけど)

そろそろ支度して、出発します。車で2時間くらいかけて、ヴロツワフ空港に連れて行ってもらい、フランクフルト経由で東京へ。
空港からの送迎両方とも、姪っ子の夫が担当してくれます。ありがたい!
そして今回のフライト、乗り換えの時間が短いのもありがたい。ポーランドから三人一緒に帰国するのは初めてなので、娘は喜んでいます。


義姉宅から見た夕暮れ。

ポーランドのみなさま、また今回もいろいろと大変お世話になりました!おかげさまで、また楽しく過ごせました!
またよろしくお願いします(笑)

ベルリンから電車でポーランドに戻る。

2019-08-21 20:05:55 | 日記


リガからベルリンの空港に到着し、電車で中央駅に移動しました。


駅前に屋台が出ていました。


Tシャツ屋台の前で。


え、タンゴ・フェスティバルが中央駅であるんだ!

最初はバスでポーランドに戻ろうかと思い、バスの時間まで4、5時間あるので、どうやって潰そうか、あるいは一泊しようか、とベルリンに詳しい友人たちに
相談し、みなさん親切にいろんなアイディアをくださいました。


駅前エリアでの大道芸

でもね、ポーランドに戻る早めの時間の電車が見つかり、ベルリン中央駅前の中で迷いながらロッカーや洗面所を探したり、駅前の屋台や出し物を見たりしていたら、あっという間に時間が経ってしまい、結局どこにもいかず、そのままポーランドに行く電車に乗りました。
(ということで、アイディアをいただいた方々、どうもありがとうございました。お騒がせしてごめんなさい・・・!)


ホットドッグ、美味しい!

私にとっては20年ぶりくらいのベルリン。ウクライナやリトアニア、ラトヴィアから比べると、全てがスムーズで気楽です。
さらにベルリンの空港や駅の人たち、英語が通じやすいし、通じない人も、道を聞くと、わざわざ一緒に歩いてそこまで連れてってくれたりして、とても親切・・・ドイツの人ってこんなに親切だったっけ(笑)?

安心感と共に、先進国の都会に戻ってきたんだ、と現実に少し引き戻された感じ・・・。



電車に乗り込むと、3年前にポーランド国内を回った時に乗った電車とは違い、新しく快適な電車で、冷房も効き、お手洗いもね、「穴」ではなくて、水洗です(笑)。



ポーランドに入ると何もない平原が続き、また現実から少し浮遊する感覚が始まります。

ベルリンから2時間40分で、薄暗いグオグフ駅に着きました。


うちに戻ってきた〜!と喜びの「グオグフ」ダンスをする娘(笑)

駅を出ると、これまた何もなくて真っ暗。目を凝らすと義姉の車が待っていてくれ、ドアを開けて義姉が大きなハグで迎えてくれました。

今まで旅してきたどの街よりもっと小さくて何もない、くらい道路を通り、ポーランドの我が家である義姉宅に戻ると、
バプチャ(おばあさん)やブヤック(おじさん)も大きなハグでおかえりの挨拶。

「おうちに帰ってきて、よかった〜」と娘。
まだあと1週間ほどお世話になりますが、よろしくお願いします!

リガで最後、旅の最後の夜。

2019-08-21 13:00:43 | 日記

リガ空港にあったスシ店!

リガ最後の日(もう一泊しますが次の日は移動日なので)だというのに、相変わらず午前中はダラダラして動きません(笑)。


さあ、出かけるぞ!

やっと外に出て、まずは電動スクーター探し。ヴィリニュスほどたくさん見かけませんが、ちらほら見かけました。


電動スクーター、ゲット!

まずはアール・ヌーボー様式の建物が並ぶアルベルタ通りを目指します。


他の街で見なかった木造の建物もいくつか見かけました。



その通り全部がアール・ヌーボー様式の建物なのかと思ったら、通りの一方がそうなんですね。
「戦艦ポチョムキン」のセルゲイ・エイゼンシュタインのお父さんで建築家のミハイル・エイゼンシュタインの建物だと「地球の歩き方」に
書いてありました。



リガの街の40パーセント以上がアール・ヌーボー様式ということで、無理にこの通りにこなくても以前は「バルト海の真珠」「バルトのパリ」など
と呼ばれた片鱗が感じられます。





今は煤けたアール・ヌーボー様式の建物がたくさんあり、これらが修復されたら昔の呼び名にふさわしい街として、さぞかし
美しくなるんだろうなあ、と想像しながらスクーターを走らせました。




旧市街の周りに美しい公園がいくつもあります。




またきたよ、この広場。


あ、昨日の大道芸と同じ人!


娘はまた最後までみて、一緒に写真も撮ってもらいました。ちなみにフランスからきたそうです。


マクドナルドはどこにでもあります(笑)。




お土産やさん、マトリューシカやニットもの、琥珀が多い。

ちょっと休憩しようと、Double Coffee というチェーン店に入ったら、カフェでなくてファミリーレストランのように
食べ物、飲み物がたくさんありました。メニューはカラフルな写真入りでわかりやすい。


抹茶ラテもあります。


ライ麦パンのお菓子。ベリー類とクリームで和えており、ボリュームあります。

上から街を見下ろしてみたかったのですが、この日はコンサートのため聖ペテロ教会は閉鎖されており、結局見れないまま。
でも川から街を見てみたいと、ボートクルーズに参加してみました。


なぜか子供は救命具をつけさせられました。



ラトヴィアの首都リガはバルト三国の首都の中でも一番大きく、人口は70万人。一時は100万人を超えていたそうですが、EUに参入してから
外国に出稼ぎに出る人が多くなり、人口が激減。それでもリトアニアの首都よりはずっと活気があり都会的な印象。

旧市街にあり、訪れなかった王宮がボートから見え、音声ガイドが「この王宮は一時はポーランドやスウェーデンに占拠されたことがあり・・」
というのが聞こえました。



ああ、そうか、ここもポーランドの支配下にあったんだ。

今回バルト3国を見たいと思いながらも、なぜかタリンは今回はいいや、とスキップしました。タリンの写真を見た娘が、なぜか「行きたくない」と言ったのも理由の一つ(笑)。ポーランドのクラクフから始まり、格安チケットがあるから、という理由でポーランド国境近くのウクライナの都市リヴィヴに入り、そこからリトアニアの首都ヴィリニュス、ラトヴィアの首都リガを回ることになりました。これらの都市は、すべて一時はポーランドの支配下にあったところばかりです・・・。


最後もバーガーで締める(笑)!

「ここはロシア語の人が多いね」と、ロシア語が必須だった共産圏時代のポーランド育ちの夫。エストニアとラトヴィアには25%くらいロシア人がおり、
リトアニアは人口の9割近くがリトアニア人でロシア人は5%にも満たず、あとはポーランド人などで、民族的にバルト3国では一番安定している、と
「地球の歩き方」に書いてあった、と夫に伝えると、「なるほどね」。



ハンバーガーを食べたお店の若いウエイターさんの英語がとてもアメリカンなアクセントだったので「アメリカに留学したの?」と
聞いてみたら「ううん。ラトヴィアの教育はいいんだよ。みんな若い人は英語ができる」ついでに、「ロシア語の人が多いみたいだけど、
学校はラトヴィア語なの?」と聞いてみたら「うん。ロシア人も多いけど、公用語はラトヴィア語だから、学校はラトヴィア語で教えられている。
ロシア語は第一外国語で教わるから、みんなわかるよ。あとは英語。僕はあとドイツ語も話すけど、若い人たちは、僕みたいに4ヶ国語できる人は結構いる」


この店名に娘が大反応(笑)!

「ロシア語の人がたくさんいるみたいだけど、学校では外国語なんだね」と尋ねると「うん。ロシア人はラトヴィアにたくさんいるけど、ラトヴィア人のパスポートはもらえなくて、外国人パスポートしかもらえないんだ。僕の父はラトヴィア人だからラトヴィアのパスポートだけど、母はロシア人だから外国人パスポートなんだよ。差別だよね・・・ごめん、仕事に戻るね!」


アパートの棚にあった額縁

そうかあ・・・。
今回の旅は、どうもソ連、ロシアが悪者に見えがちだったけど、逆に差別されているロシア人もいるんだよね、と目を開かれた気がしました。


さて、リガ空港に向かいましょう!

3年前初めて夫の故郷ポーランドを訪れた時は、ポーランドのいろんな街を見て回り、たくさんの教会やお城をみるたびに、一時は自国が3分割されなくなるという悲しい歴史、ある意味で被害者としての歴史を感じ、去年はチェコのプラハやハンガリーのブダペストを訪れ、ポーランドの同盟国、仲間だった街を見て、今年は、かつてのポーランド領だった街を訪れ、侵略者としてのポーランド(つまりは一時期大きな国だった、と言うことですが)を見た気がします。


バイバイ、リガ!

ではベルリン経由してポーランドに戻ります!

ラトヴィアの首都リガではリガ・シティ・フェスティバル開催中!

2019-08-20 22:23:43 | 日記

フェスティバル・ステージでChris Noahというバンドがまず演奏してました。

リトアニアのすぐ上にある国、ラトヴィアの首都リガには飛行機で40分くらいで着きました。



ヴィリニュスよりはずっと大きく、もうちょっと進んだ感じ(?)のリガ空港。
やはり白タクに注意、とネットに書いてあったので、Uberを調べたら範囲外とのこと。

空港に窓口のあったBaltic Taxiに行き、行き先を伝えると15ユーロのチケット買わされ、それを持って外に出るとBaltic Taxiと大きく
書かれた緑色の車の行列がタクシーの行列とは別にありました。


空港から中心地へ行く間の風景

英語の堪能な運転手さんは、とてもフレンドリーで、あれこれ話してくれました。
「昨日までずっと雨で寒かったんだよ。今日がやっと夏らしい初日だ。君たちはラッキーだね!それにリガ・シティ・フェスティバルもちょうど始まったよ!いろんなイベントがあるし、マーケットやコンサートもあるから楽しいし、今夜は花火があるよ!」



おお、いきなりラーメンのお店!

「なんだかこの街、楽しい気がする!」と娘。
お天気もいいし、街並みもヴィリニュス空港周辺と比べると、だいぶ発展している様子で、あまり旧ソ連時代のくたびれた建物が
見えません。



煤けた外観からは想像できないアパートの内部。

Airbnbで借りたアパートに着き、ドアを開けると、広々とした素敵なお部屋が見えて、「おお、いいじゃない!」とさらに気分が盛り上がります。



ベッドも快適でした。



荷ほどきをしてすぐに外に出てみました。今回は旧市街からは歩いて20分ほどのやや遠いところですが、通りは広く、道はわかりやすいし、荒れている建物は結構あるけれど、よく見るとアール・ヌーヴォーの建築がところどころにあって、上を向いて歩くのが楽しい。


ネットから拝借。救世主生誕大聖堂。ロシア正教教会。


ネットから拝借。内部は写真撮影禁止でした。こういう絵が天井や壁を覆い尽くしていて圧巻です。

立派なロシア正教の教会に入り、素晴らしい内部をみて、まだキャンドルを灯して、歩き続けます。



近くの広場でマーケットが立っていました。フェスティバルの一環かな?

広場でマーケットやら何からコンサートが行われている様子、中に入ってみました。









子供用のトランポリンもあり、娘は大喜び!


おばあさんたちの力強い歌声のコンサート。ちょっとブルガリアン・ボイスみたいな地声のポリフォニー。

目抜き通りらしい道を行くと、真ん中に何か記念碑が建っていました。タクシーの運転手さんが教えてくれた「自由の記念碑」です。
旧ソ連時代は、確かスターリン記念碑と呼ばれていたと、運転手さんが言っていたような?




自由の記念碑を背に。

記念碑前の広場で、一輪車乗りの大道芸が行われていて、たくさんの人が輪になってみていました。


娘が釘付けになって、最後までみてしまった。夫や私にはあんまり面白くなかったんだけど(笑)。

旧市街に入ると、ゴシック様式の高い建物が多く、ドイツの町みたいで、低い建物の多いヴィリニュスと全然違います。バルト3国と一括りに
してしまいますが、歴史も違うし、当然街並みも違いますよね・・・。

12世紀からドイツ人の入植が始まり、ハンザ同盟に加盟した、とウィキペディアにありましたので、その時の街並みが今でも旧市街に
残っているということなんでしょうか。



下から見上げた聖ペテロ教会。

今回は持参したまま開かずにいた「地球の歩き方」を飛行機の中で読んでおいたので、「まずは聖ペテロ教会に登って街全体を
見下ろそう、それからドーム教会をみて・・・」と私なりにコースを考えていたのですが、フェスティバルの出し物などあちこちに引っかかり、
やっと教会についた時には18時過ぎて、閉まっていました・・・。



Tokyo City という後ろのお店、チェーン店らしくあちこちに見えました。


屋外ビヤホールみたいなところで一息。

何やら音がする方に行くと、川のそばに大きな舞台に大画面スクリーンが設置されて、何やら演奏されている様子。



Chris Noahのボーカルの声が好き、と娘。

DJ、地元のChris Noahというバンド、あとは懐メロなのかなあ、もっと年配の人たちがコーラスと一緒に歌ったり、オーケストラが
登場したり、夜中まで演奏が続いていました。



向かい側に座った人たちの食べかすがみえてますが、屋台のお店で買ったチキンやじゃがいも、サラダ、美味しかった!
白っぽい炭酸の飲み物は、洋梨のシードル。うっすら甘くてなかなかいけます


大きな舞台前にはたくさんの人々。両側に屋台が並び、お祭り感満載。


ほとんど食べ終わってますが、じゃがいもを回転してスライスして揚げたポテトチップ。

タクシーの運転手さんに10時から花火が始まる、と聞きましたが、実際には11時でした。屋台を冷やかして、買い食いして、
まだうっすら明るさが残っていた空が真っ暗になったのが11時近く。




川べりの壁に捕まって、目の前で花火が始まりました!こんなに近くで見たのは初めてです!!


うわ〜!!

最初からものすごい勢いでたくさん花火が打ち上げられ、フィナーレみたい・・・と思っていたら15分足らずで終わっちゃった!
8歳児にはちょうどいい時間です(笑)。




たくさんの人がごった返す屋外コンサートや花火で、とても盛り上がっていた川べりの夜。
フェスティバルは8月16日から18日までで、後1日あるみたいですが、もうフィナーレにきた感じ。



ライトアップされた旧市街にあるブラックヘッド会館。

ついでに、あと1泊となった私たちの今回の旅もフィナーレが来てしまったようで、花火後、ぶらぶらとアパートに帰る道すがら、
ちょっと寂しいような気持ち。



最後の朝だよ〜。

さてさて、リガ最後の1日、今回の旅の最後の1日、どうなるかな?

リトアニアの首都ヴィリニュス、第3日目にしてやっと全貌が見えた!

2019-08-19 01:34:26 | 日記

ゲディミナス塔にて。

3日目のヴィリニュス、さらにお天気が良くなり、空が高い!


いつも娘が食べていた朝食のシリアル。


チーズとサラミにシリアルをのせてみる(笑)

朝ゆっくり起きて、朝食を食べたり、お洗濯をしたり、夫は仕事をしたり、となんとなく昼過ぎになってから動く私たち。
半分住んでるような、旅行してるような、というペースが好きみたいです。


借りたアパートのある通り。黒っぽい建物が借りたアパート。


アパートのすぐそばにある緑地。

なので、普通に歩けば1泊で十分に見終わってしまう街も、私たちには数泊必要になります(笑)


まだ中を見ていなかった教会を電動スクーターで訪れる。 


祈祷祈願みたいな用紙に、日本語で世界平和をお願いしてました。

また教会を見たり、ぶらぶらあたりを散策してから、やっと観光ガイドでイチオシになっていたゲディミナス塔に登りました。



なるほどヴィリニュスが世界遺産の街であることが納得できました(笑)
上から見ると、なんと緑の多いことか。そして高層ビルがいくつも立ち並ぶ新市街が旧市街とは違うエリアにしっかり存在している
ことがはっきりわかりました。
もちろん最初に空港から旧市街に入る車の中から見た、旧ソ連時代の質素な四角いビル群のエリアも。







この塔は博物館にもなっており、丘から見た景色の変遷を見せてくれたり、人間の鎖「バルトの道」の展示があります。



観光ガイドで見たときにちらりと「歌う革命」とか「人間の鎖」のことが触れられていましたが、私はそれ以上のことを
知りませんでした。


こんなに長い距離を人間が手を繋いで鎖を作ったとは・・・!

人間の鎖とは、1989年8月23日にバルト3国で行われたソ連からの独立運動のひとつで、同年5月13日から14日にかけて、リトアニアのビリニュスからエストニアのタリンまで、約650kmの道路に、およそ200万人が手を繋いで一本の人間の鎖を作り上げた運動で、別名を「バルトの道」とも言う、とのこと。



駐日リトアニア共和国大使館のHPを見ると【ヴィリニュスから延々とタリンまで人々が 手をつないで完成させた「人間の鎖」は、・・・中略・・・宇宙空間からも観測され、最も長い「人間の鎖」としてギネスブックにも 認定されている。1989年8月23日に出現したこの「鎖」は、虐げられてきた小国が立ち上がり、支配国の圧政に屈しない決意を世界に向けて表明した、力 強いメッセージであった。・・・中略・・・「バルトの道」は、中央・東ヨーロッパの解放を象徴する最も重要な歴史的な出来事である。ま た、「人間の鎖」は2009年7月30日にユネスコ世界記憶遺産に登録された。】とあります。


リトアニア最大のゴシック式教会、聖パウロ&ペテロ教会まで電動スクーターで移動。

人間の鎖のビデオや様々な写真を見ていたら、思わず涙が出そうになりました。
涙をこらえて(?)、電動スクーターで1キロほど走り、聖パウロ&ペテロ教会に行きました。


真っ白な内部は圧巻!

中に入ると、無数にある真っ白い漆喰彫刻群に息を飲みます!!2000以上ある彫刻は同じものが二つとしてないらしい。
ヴィリニュスの教会の中で、私が一番感激した美しさです。


教会のそばにあったポーランド料理店で。

たまたま礼拝が始まってしまったので、そのまま席について参加しました。
「あれ、この礼拝、全部ポーランド語だよ」と囁く夫。なるほど、だから玄関のあたりにポーランドの誇り、ヨハネ・パウロ二世のパネルがたくさん
飾ってあったんだ・・・。教会にある張り紙も全部ポーランド語だそうで、夫によると「これはポーランド人の教会だね」。かつてポーランド領だった
名残なんでしょうかね?


ゴンドラに乗ってみました。

ゴンドラからみると、さらにヴィリニュスが緑多く、新しく開発された地域が旧市街と川を挟んでくっきりとコントラストを見せているのがわかりました。
ゆっくりと進むゴンドラに乗って、だんだん日が暮れて行くのを眺めるのは、なんともゆったりした時間です。



ゴンドラツアーは壮観な眺めを提供してくれるということはないのですが、ゲディミナスの塔から見た美しい街並みを堪能したあと、ゴンドラの低い地点で川から街を眺めると見ると、街が立体的に見えた気がします。



普通なら1日で見て回れるであろうサイズの街ですが、私たちには3日かかりました(笑)。



リヴィヴの時と違って、誰も知り合いがいず、タンゴを踊ろうとしてもミロンガも見つからなかったので行かず(!)、お店の人たちもなんとなくそっけない感じで、あまり地元の人たちとおしゃべりする機会がなく、ここの人たちってどんな人なんだろう、よく見えないな・・・と思っていたのですが、「バルトの道」の写真やビデオを見たときに、涙が出そうになったのは、ここの人たちの強い魂に触れたような気がしたから・・・?いや、単なる旅情かもしれません。


ゴンドラ終わって一休み

娘も最初はあまり感心していませんでしたが「だんだんいい街に見えてきて、楽しくなってきた!」とのこと。


旧市街に続く、新市街エリアには広い大通りがあります


電動スクーター乗り回してます。

娘が楽しくなってきた大きな理由は、この電動スクーターです(笑)

ちなみに私たちが使ったのはCity BeeとBoltと言う二つの会社。
他のいろんな国にもあるようで、Boltについてはアフリカからイラク、オーストラリアにまであるようです!

https://www.citybee.lt/en/scooters

https://bolt.eu/scooters-platform/

それほど建物が密集していず、広場もあるし、新市街は通りも広いので、電動スクーターを乗り回すのが断然楽しい!
3日目には、夫も私もレンタルして、3人でスクーター移動しましたが、ぐんと楽しさが増します!


広場の噴水で遊ぶ。


夜の通りも電動スクーターで。


ヴィリニュスの最後の夜食、チーズが伸びるピザ、堪能しました!

「もう明日他の国に行くの?もっといたいなあ。スクーターもっと乗りたかった」と娘。


ヴィリニュス空港のカフェにて。

教会がいっぱいあって、緑豊かで、あまり高い建物がなくて、穏やかでのんびりした世界遺産の旧市街があるヴィリニュスは、EUに参入してから
どんどん経済発展しているリトアニアの首都として、これからさらに発展して行くのでしょう。

リトアニアの物価はユーロを導入した直後から高騰して、当時は多くの人が隣国のポーランドに日常の買い物に行ったらしいです。
今の物価は東京と同じ、あるいはやや安いくらい。ポーランドより物価は高いけど、街の様子を見ていると、ポーランドの街の
方が発展してるよね・・・などと夫と話しながら、次の目的地、ラトビアの首都リガに向かいました。