アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

リトアニアの首都ヴィリニュス、第2日目。教会の多い旧市街を電動スクーターで走る!

2019-08-18 20:29:54 | 日記

ウジュピス、「川向こう」という名前のエリアにあるチベット広場の石の上で。

リトアニアの首都ヴィリニュスの第2日目は晴れて、白い雲の浮かぶ青空の下、雨の前日よりずっと綺麗な街に見えてきました(笑)。


アパート近くの広場。


旧ソ連時代には「無神論博物館」だったという教会。


小径のカフェにて。


旧市街の目抜き通りでアイスクリームを買う。

旧市街はかなり小さくて、目抜き通りが1、2本しかないのです。団体の観光客が、ウクライナの小都市で世界遺産の街リヴィヴより多いのは、
やはり首都だからでしょうか?


街の中で唯一ゴシック建築の聖アンナ教会。その後ろにあるのは違う教会ですが、名前忘れちゃった・・・


教会の中。


その後ろの教会の中

ヨーロッパの街には教会がたくさんありますが、その中でも抜きん出てヴィリニュスには多くあるような気がします。
一つゴシック様式の教会がある以外、あとはそれほど背の高くない教会で、他の建物もせいぜい2、3階建て。
旧市街には高い建物がほとんどなく、それものんびりした印象を与えているかもしれません。


大聖堂、晴れた空の下でさらに壮観です。


大聖堂の内部は割とあっさり。


大聖堂や鐘楼あるの広場で電動スクーターを乗り回す。

娘が乗りたがっていた電動スクーターは、アプリを自分のスマホにダウンロードし、クレジットカード情報を入力して使います。
道に乗り捨ててあるスクーターのバーコードをスキャンして、電池の残り具合などをチェックしてスタート。乗り終わった時に
終了ボタンでまたスキャンして終わり。使えないエリアに駐車すると、終了できないシステムです。


川を渡ると、ウジュピスという、以前は労働者のエリアで今はアーティスティックなエリア。1年に一度だけ独立共和国になるらしい!


川を渡ってすぐのチベット広場


天使の像のある広場。

教会がたくさんあり、(また特に他にめぼしい建物もないせいので・・)いろんな教会に入り、その都度キャンドルを灯して
お祈りしておりました。


娘の一番のお気に入りだったこじんまりとした教会。


この絵に一番惹かれたそうです。

「お祈りって何するの?」と娘。
カトリックの幼稚園、聖公会の中高大学に通った私は、「天にまします我らが父よ」で始まる「主の祈り」をかすかに覚えていて、
娘に伝えようとしましたが、「わかんない」というので、「静かに目を閉じて、お願いしたいことやありがとうって言いたいことを
考える。あるいは、うんと静かにして、何か神様からメッセージがくるかどうか、聞いてごらん」と言ってみました。


公園で遊ぶ。

どの教会だったか忘れましたが、最初にキャンドルを灯した教会で娘が「なんだかメッセージが聞こえた気がする」と言いました。
「何て言ってた?」と聞くと「う〜んとね、ようやくやったね、みたいな感じがした」と娘。
「ようやく来たね、ってこと?」と聞くと「ううん、やったね、っていう感じ」と娘。
「よくわからないけど、やっとちゃんとお祈りしてくれたねってことかなあ?」などと娘とおしゃべり。


公園にあった回転木馬。

基本的に法事にお寺に行き、お正月に神社にお参りし、クリスマスもお祝いする普通の日本人的な宗教との関わりを持つ娘は、
キリスト教の教会に行くことはあまりありません。

教会という日常とは一線を画した空間で、祈る、あるいは静かに過ごす、という瞑想的な経験は悪くないと私は思っています。
またそれについて話せたのは、ちょっと嬉しいことでした。


手前は酢漬けのニシン、娘はまたもやポテトフライ!


向かって左はポークカツレツ、右はシャンテレル茸のクリーム和えにマッシュポテト。


シナモン入りクリームのかかった、サワーチェリーのコルドゥナイ。ポーランドのピエロギと同じ、餃子みたいなもの。

この日の夕食も、一応リトアニア料理をいただきました。ホテルにあるお店なので、少し上品な味付けでしたが、まあ、基本的には粉物や芋を使った、
でんぷん質の多いお料理ですな(笑)。

テラスでご飯をいただいていたら、弦楽の4重奏がストリート・パフォーマンスをはじめました。
クラシックから映画音楽まで色々演奏し、なかなか聞かせるので、周りに人がたくさん集まってきた。



「音楽がよく聞こえて、特等席ですね」とウエイターさんが微笑みました。

あれ、珍しくフレンドリーな・・・??

英語はあまりできないけれど、一生懸命答えようと、とても親切に対応してくれた人の多かったウクライナのリヴィヴから来ると、リトアニアのヴィリニュスの人々は、もっと英語は通じるけど、ちょっとそっけないというか必要最低限のことしか言わなくて、ちょっと冷たい感じがしていました。

リトアニアは、16世紀後半から18世紀末にかけて、ポーランド・リトアニア共和国として存在し、見かけは平等な国同士の連合だったけれど実質は
ポーランドがリトアニアを支配していたそうです。
ウクライナのリヴィヴもポーランド領だったから、リトアニアの人もリヴィヴの人と同じような感じかと思ったら、もっと「北欧的な」というか、控えめ
なのか、シャイなのか、あまりフレンドリーな感じがしないね、と夫と娘と3人で話していたのでした。

まだ2泊残っているヴィリニュス、どんな顔が見えてくるのでしょうか??

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