アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

グオグフのナディアちゃんたち、プチェムクフ村でお墓まいり。

2016-07-31 09:09:10 | 日記

プチェムクムのおじさんが森で採ってきのこ。

グオグフの一番上の義姉がフランスのお友達のお家に2週間ほど遊びに行くので、義母はプチェムクフ村の2番目の義姉の家に移動することになり、
私たちも便乗しました。


グオグフからプチェムクフ村に向かう途中の風景。

義母は二人の娘の家を行ったり来たりしています。2番目の娘が退職してから住んでいる今の家は、もともと義母の家ですが、相続する時に、義母の部屋を
確保する、という一文を契約書に入れたそうです。法律で決まってる、らしい。


コウノトリの巣。よく見かけます。

でも一番上の義姉の家にも義母の部屋があるので、気分によって往復しています。オーストラリアの国籍も持っているので(子供の半数以上がオーストラリアに
いる場合、親は国籍を取得できる時代があったらしい)、シドニーの義姉の家とポーランドの義姉たちの家を往復していた時代もあります。


グオグフの義姉の家の近所。

グオグフの義姉の家のお隣さんに、スコットランドのエジンバラから帰省していた娘さんと5歳と2歳の孫娘さんたちナディアちゃんとアンニャちゃんがいて、娘と何度か遊んでくれました。ナディアちゃんのお父さんはギリシャ人だそうで、アンニャちゃんもナディアちゃんもギリシャ人っぽい顔立ち。
娘はナディアちゃんを見かけると、「あそぼ〜!」と遊び始めます。そして気がつくとナディアちゃんちに入り込んで、ご飯までごちそうになったりして(笑)。


同じくグオグフの義姉の家の近所。

ナディアちゃんのお母さんは英語を話すので、ちょっとおしゃべりしました。
「実はエディンバラから夫の実家のあるギリシャに引っ越そうかって話してるの。夫も私もお互いに大家族的でキリスト教色が強い
中で育ってきてるから、スコットランドはちょっとね・・・冷たいっていうか、途中までしか人を受け入れない感じじゃない?子供たちも、こうやって近所のお家を気軽に行き来しないし。ポーランド人ってすごく差別されるのよ。確かに大量に移民して、イギリスの社会保障制度を濫用してる人もいるのは確かだけど・・・。
私もギリシャ人に間違えられるけど、ポーランド人よりは扱いがいいのよ。お医者さんに行っても、私がポーラン人ってわかるとあからさまに嫌な顔をするの・・・
まあ、ポーランド人だって、ロシア人を馬鹿にしてるし、ウクライナからの労働者を差別してるけどね」


グオグフの夕焼け。

そう、ポーランドには100万人近いウクライナからの出稼ぎ労働者がいる、と聞きました。ポーランドよりさらに物価が安く、今は治安にも問題があるウクライナの人にとって、ポーランドは言葉も習慣も近いし、隣の国なので働きにきやすいらしい。西欧の国ならもっと稼げるでしょうが、ポーランドは手軽に稼げるってことなんでしょうね。


さらにグオグフの夕焼け。

さて、プチェムクフ村で私には初めての、義父のお墓詣りに行きました。
本当は日中に行こうと思っていたのに、ダラダラと時間が過ぎ、少し暗くなってきちゃいました。
自転車で5分くらいのところにある墓地は、綺麗な造花がたくさん飾られ、瓶に入ったロウソクの灯があちこちに並んで、ちょっと神秘的でした。


プチェムクフの義姉の家にも私がシドニーで描いた絵が飾られています。真ん中と向かって右側の絵。

写真のついたお墓には義父の名前と誕生年と逝去年が彫られています。もう20年ほど前に亡くなったのです。
新しいロウソクを灯し、手を合わせてひとしきりお祈り。
なんとなく歓迎されているような、暖かい優しさに包まれたような。


プチェムクフの散歩道。

お祈りが終わったら、娘が空を指して「飛行機雲だよ!あれはおじいちゃんだ!おじいちゃん、ピョントゥカ(ハイタッチ)!」
夫が「あ、見てみて、飛行機雲のそばにハイタッチしてる手の形の雲が出てる!」
・・・確かに・・・!


散歩の途中、ビーバーのダム。

娘が大喜びで「ピョントゥカ、ジャドゥカ!(ハイタッチ、おじいちゃん!)」を空に向かって何度か繰り返している間に、
ハイタッチ形の雲はす〜っと消えて行きました。


いとこに肩車されて、いい気分。

「おじいちゃんには英語でなくてポーランド語で話したかったから、ピョントゥカって言ったんだよ!」と娘。
嬉しくなった私たち、帰宅して義姉や甥っ子たちに報告しました。


小さい蛇ちゃんも登場。

甥っ子一人が思い出したように、「そういえば、おじいちゃんはよく、ピョントゥカってやっていたよね」。

明日から、夫のシドニーからの知り合いや同級生を訪ねながら、ここから北西にある小さい町デブノ、ポーランドの真ん中ら辺にあるトルン、
その近くにある小さい町リピン、ワルシャワ近郊の町を経て、首都ワルシャワを見に行きます。

「帰宅」して、名前のお祝い、またサマーキャンプ。

2016-07-27 23:40:35 | 日記

スープ「ロスル」の麺をよそる。

ヴロツワフとグダンスク、ソポト、グデーニャの三都市を回って、再びグオグフにある一番上の義姉の家に戻りました。
1週間ちょっとぶりに戻ると「あ〜、帰った」という気分になるのが不思議です。

帰った次の日、プチェムクフ村に住む、2番目の姉の「名前のお祝い」がありました。ちょっと前にも、義母の「名前のお祝い」がありましたが、昔は実際のお誕生日よりも、「名前の日」の方を盛大にお祝いしたそうです。同じ名前の人は、「名前の日」が同じなので、同じ日にお祝いすることになります。
若い人はお誕生日のお祝いをもっと大事にするようですが。


お天気が良かったので、お庭で食事。これで夜の8時くらいです。

義姉たちはみんなお料理上手です(ポーランドの女性はみんなそうかと思ったら、全く料理しない人もいると最近わかってきて、ちょっとホッとしています・・・)。普段はお肉料理にジャガイモ、あるいはスープにハムやソーセージにパン、くらいな感じですが、集まりがあると
スープは必ず作り、お肉料理を2、3品、お野菜料理も何種類も用意します。


お皿にぎっしりのせちゃいます

今回はチキンのローズマリー焼き、ローストポーク、ジャガイモにベシャメルソース、人参とりんごと玉ねぎとチーズのサラダ、お庭のきゅうりの自家製ピクルス、さらにミゼリア(きゅうりのサワークリーム、ヨーグルト和え)、お庭のモロッコいんげんのアジア風マリネ。デザートにこれまたお庭のリンゴを使ったケーキとフルーツサラダの生クリーム添え。美味しくて食べてしまうのですが、旅行で結構疲れた胃腸は、悲鳴を上げ始めています・・・。


隣の子供たちも遊びに来て、ブランコしてます。

お隣さんで、娘の仲良しの姉弟ユリアとマテウシュは、「まだ来ないの?何度も聞きに来たよ」と娘がこの村に戻るのを楽しみにしていてくれたそうです。
(ちなみにご近所の仲良し姉妹、ズージャとカーシャは夏休みでおじいちゃんのお家に滞在中らしい。)

言葉はほとんど通じませんが、5歳、7歳、9歳の子供たちは思い切り体を使って遊ぶので、「こっちに来て」「駄目!」くらいは娘も覚えたので、あとは身振り手振りでどうにかなるようです。


サマーキャンプで作ったクッキー。

旅行先のグデーニャでは、泊めてもらった夫の同級生の8歳の息子さんを追いかけて回っていた娘です。オプス・デイ系列(「ダヴィンチコード」でカルト扱いでしたが、ちゃんとしたカトリックの一派なんですね)の男子校に通うシャイな男の子で、女の子になれていないのもあるのでしょうが、娘の執拗なアタックに最初はかなり動揺していました。2日目には二人仲良く遊び、でも3日目には娘が「あの子は私が嫌いなのよ。でもいいの」と素っ気なく公園で他の子供と遊んでいました。
そのくせ最終日には「あの子と結婚したいの。このお家から離れたくない!」と言いながら、電車の窓の向こうとこちらで別れを惜しんでいたのです。


今日のサマーキャンプでは、ペットボトル人形を作ったよ!

でもグオグフ駅についたら、迎えに来ていた義姉を見て「チョーチャ(おばさん)!!会いたかった〜!」と抱きつき、家に着くと「バプチャ(おばあちゃん)、ブヤック(おじさん)!寂しかったよ〜」と大興奮。サマーキャンプに再び行けばいったで「ずっと行きたい」というし、プチェムクフ村では、大好きなズージャ、カーシャ(今は休暇でいない)や、お隣の姉弟と遊びまくっています。5歳なので、少しずつポーランド語も覚えてるみたい。


近くの公立スイミングプール。一回1時間11ズロチ、280円くらい?水温が日本並みに高いのでよかった!

我が娘ながら、順応性が高い、というか忘れっぽいというか、とりあえずどこでも楽しそうなので感心しています(笑)。
あちこち旅行に行くのも平気だし、両親と一緒だけれど初めてのお家に何泊しても平気。

娘を妊娠している時からあちこち飛行機に乗って動いていましたし、生後4、5ヶ月でオーストラリアから日本に移動し、経由地のバンコクや
シンガポールで数日滞在したりしたので、割と移動には慣れている子供だとは思いますが、今回は初めての国で言葉も普段聞き慣れている英語は日本語とは
違いますが、平気なのね。


スーパーのウォッカ売り場。さすがに種類多いです!

ただ、一昨年かな、シドニーに1ヶ月ちょっと滞在した時には、これほど人懐こくなかったですし、数週間前に行ったスコットランドのセント・アンドリュースでも、ホストファミリーに懐いていましたが(というか、エバっていました!)、周りの子供とすぐに友達になる、という感じではなかったです。


グオグフのショッピングモール。どこの国も似たようなものですね。

ポーランドには親戚がたくさんいるし、長く滞在している義姉たちの住むエリア、特にプチェムクフ村はかなり田舎なので、子供達が素朴で、半分日本人の娘がいい意味で物珍しいから、近寄ってきてくれる、ということもあるのかもしれません。


ショッピングモールにある映画館も、ハリウッドものがメインでした。

プチェムクフ村の義姉の家には、大きな白い犬もいるし、シドニーにいる時から仲良しの、もう30代ですが、よく遊んでくれるいとこたち二人もいます。
すでに定年した義姉も義兄も、娘をとても可愛がってくれて、「しばらくうちに預けて二人で旅行してくれば?」などと言ってくれます。


最近「オーム」ポーズが大好き。

それはいいかも、と思った夫と私(笑)。
娘に聞いてみました。
「ねえ、パパとママがいないで、チョーチャやブヤックのお家で一人で2日くらいお泊まりしてみる?ユリアやマテウシュたちもいるし、いとこたちもいるし、ずっと遊んでくれると思うけど?」
「う〜ん」と娘はしばらく考えて「平気かも・・・」。

来週あたり、実行してみようかなあ??

バルト海のリゾート、ソポトを散策し、新しい港湾都市グデーニャでタンゴを踊る。(そしてまた「旧式」電車で7時間・・・)

2016-07-26 12:52:28 | 日記

高校生のお姉さんと一緒で嬉しい娘。

グデーニャ滞在3日目は、バルト海随一(?)という呼び声の高い、ソポトの散策から始まりました。


夏になると有料になる桟橋から見たソポト


近いとこんな感じ

19世紀から観光地として栄えたソポトは、一時はナチス・ドイツに併合され、ソビエト赤軍によって街が破壊されたこともあったそうです。
でも戦後また観光地として復活し、ポーランド以外のヨーロッパの国の人たちも訪れる、東欧きっての高級リゾート地らしい。


お店やレストランが並ぶプロムナード、「モンテ・カジノ」、結構な人混み。


「ゆがんだ家」


バルト海のビーチ。見えるのは、ランドマークの一つ、グランドホテル。砂浜がきれいですが、海は寒そう・・・

私たちが訪れたのが日曜日だったせいか、かなりの混み具合でした。
タクシーで行って正解でした。車で行ったら駐車スペースがなくて困りそう。


マリーナもあるよ。


ザピェカンカと呼ばれるバゲットを半分に切ってトーストしたサンドイッチ。これは半分の長さです。

曇り空ですが、サングラスが必要な眩しさです。歩いていると、皮膚がジリジリ焼けてくるのが感じられ、日焼け止めを置いてきたことを
激しく後悔。海辺は日差しが強いですね〜。


なんと白鳥が!


ピエロさん。

一通り歩いた後、ソポト駅から電車に乗って15分くらいでグデーニャ駅に移動しました。


モダンなソポト駅。


箸寿司?お寿司屋さん、結構あります。

グデーニャは、13世紀にはその名前が漁村として記録されている古い町で、一時ドイツになったり、またポーランドに戻ったり、これまた
動きの激しい町ですが、現在の姿は1920年代にポーランド政府が計画して作ったものだそうです。
グダンスク、ソポトと並ぶ三都市のひとつですが、ぐっと新しい印象です。


曲線のある建物が、モダンなグデーニャ様式のもの。超シンプルなアール・デコ??


観覧車がある桟橋エリア。ちょっと横浜みたいな・・・??


子供の遊び場もたくさんあります。後ろに見えるのは新しくできたホテル。

ワルシャワ郊外に住んでいる同級生夫妻は、帰路につきましたが、グデーニャでは、他の同級生がジョインしました。
グダンスク在住だったので、寮生活は共にしなかったけれど、仲が良かった人だそうですが、会うのは大学卒業以来らしい!


少しずつメンバー入れ替わり同級生交歓。


子供用メニューのチキン唐揚げセット

ご飯を食べた後、砂浜にある子供の遊技場で娘がひとしきり遊びました。


砂が細かくて綺麗です。ポーランドの「ダイヤモンドビーチ」のひとつだとか。

娘が一緒になって遊んだ子どものお母さんと話したら、スエーデンから休暇できたとのこと。飛行機で50分でこれるし、
スエーデンからすると物価がものすごく安いポーランドは、安全だし、人気があるのよ、と話していました。
さらに北海道のパウダースノーがスエーデン人にも人気だということでした(笑)。


スエーデンの姉弟

トルコとかエジプトなど中東の治安が危ぶまれる中、ポーランドがEUの中では安全で物価が安いので、
西欧や北欧の人たちのバケーション地になっている、という話は他でも聞きました。


シーソーするところも、砂浜。

なぜか海が目の前にあるのに、「寒いよ〜」と聞いていたので足を海につけることさえしませんでした。バルト海に触れなかった
なんて、なんだかもったいなかったなあ、と今になって後悔してます(笑)。


ミロンガにて。

グデーニャ滞在、最後の夜はアルゼンチンタンゴで締めました(笑)。

日本のタンゴ友達が紹介してくれた、グデーニャ在住のオーストラリア人でタンゴの先生に連絡したところ、「ちょうど日曜日の夜に
いいミロンガがあるからおいで!僕も行くよ!」と誘ってくれたのでした。


グデーニャからの帰りの電車、少しだけ座席とお手洗いが新しいけれど、やっぱり旧式でエアコンなし。


こんな電車です。日本でいうと、鈍行って感じ(笑)??

ポーランド人女性と結婚して、ポーランドに住んで3年半になるという彼とおしゃべりしながら、二人で一致したのは「ポーランドって
思ったよりずっといい国!」ということでした(笑)。二人とも、「元共産圏だし、なんだか暗くて貧しい、悲しい国」のイメージを
密かに持っていたんですねえ。


コンパートメントには私達以外、細身の男性一人だったので、ゆったり。

「特にグデーニャは新しくてきれいで、割とみんな英語を話すし、ポーランド人って実はオーストラリア人みたいにとてもフレンドリーなんだよね」
とブリスベン出身のタンゴの先生。ヨーロッパの他の国々で教えることが多い、つまりポンドとかユーロ、たまにドルで稼ぐことが多い彼に
とって、ポーランドはとても物価が安い国なので、お得感が高いらしい。


6時間乗った後、ジョンナグーラ駅で乗り換え。

そういえば、プチェムクフに住む義姉が、ご近所で最近結婚したカップルの旦那さんがドイツでずっと仕事をしていたイタリア人なので、ドイツの年金をもらってポーランドで暮らしているので、とてもゆったり暮らせている、と話していたのを思い出しました。


あらら、今度は新しい電車でエアコン効いています!短い距離なのが惜しい(笑)。

冬は寒いけど、夏は良さそうだから、言葉の問題はあるけど、若い人は結構英語話すし、ポーランドで年金生活するのもいいかも、なんてちょっと夢想したりして(笑)。ただ、日本の年金はドイツより悪そうですが・・・!


ピカピカの車内(笑)

今回あった夫の同級生の奥さんたちはお医者さんとか歯医者さんなど、医療従事者が多かったです。

実際にお会いしたのはそのうちの二人の奥さんでしたが、がん治療専門医である一人の奥さんが
「ポーランドの医療はひどいと思う。特に一般医は自分が儲けることしか考えていない。だって、ある地域がその医者に割り当てられて、
そこにいる人数分の予想医療費を先に医者に渡すのよ。だから治療しなければしないほど、医者の儲けになるわけ。一番いいのは新興住宅地で若者が
たくさんいるエリアの担当になることね。そうしたら人数分のお金をもらえて、若いからあんまり医者にかからないでしょ?手術とかもね、公立病院だと無料
だけど、すごく長く待たなくちゃいけない。私立はすぐにできるけど、すごく高いし。医者も看護婦も数が足りないから、なかなかこのシステムが変わらないのよ」


コンピューター用に電源まであります!

義姉の一人も、「ここの医者はなかなか検査してくれない」と嘆いていました。検査すると費用がかかるので、医者の儲けが減るから、なんでしょうねえ・・・。

医者や看護婦さんは、イギリスとかドイツで働いたほうがずっと稼げるので(ただし英語とかドイツ語を習得し、その国の試験に受からなくてはいけない)、
国外流失が多いようです。年取ってからの病院事情は大切なので、う〜ん、ポーランド隠居生活は、やっぱり無理かしら・・・??

森の散歩の後、バーベキュー。

2016-07-26 09:21:19 | 日記

3本足の猫ちゃん。この辺りの有名人(猫?)らしい。交通事故にあったんだ、と飼い主の男の子が
この後で説明してくれました


二日酔いの次の日は、みんなゆっくり起きて、近くにある森を散歩することになりました。


線路と住宅の間の道を歩き始めます。

お世話になっているお家から歩いてすぐのところに散策路がありました。
最初は住宅地や線路に挟まれた道をダラダラ歩きます。


青い桑の実。


赤い桑の実。


白い実。糖尿病の薬になるとか?

いろんな色の実があったり、野生のさくらんぼがあったり、つまんで食べるのも楽しいです。


軽く押すとプチっと開いて、丸くなる、マメ科の植物??

小さな黄色い花をつけた植物の、細長くて小さなインゲン豆みたいな実を押すと、プチっと開いて、種が飛び出し、サヤがくるりと
丸くなります。プチ、くるり、が楽しくて、やめられなくなりました(笑)。


保存林の中。

しばらく歩くと、保存林が始まります。いきなりひんやりするので「暑い日にはもってこいの居場所」だそうです。
数日前の豪雨で、倒れている木もたくさんありましたが、ここから移動してはいけないらしい。


コウモリが冬眠する場所になってしまったらしい建物の説明。


気分は「ドーラの大冒険」!

2時間ほど歩いたでしょうか?大人たちは、やっとアルコールと眠気が抜けてきたようです(笑)。


家探し中のカタツムリ、あるいは、単にナメクジ??


お花がたくさん咲くお庭を通って、帰ります。

さて、お家に着いたら、今度はバーベキューの準備。
すでにお肉やソーセージは用意してあったので、近くの「よろづやさん」で、お野菜や果物、お酒などを調達します。


さくらんぼやトマト、他にもいろんなベリー類が並び、教会のバーベキューのお知らせが貼られている店頭。


ガラスケースに入ってないケーキの周りに、ハエがぶんぶん飛んでます・・・


お野菜、いろいろ。

他にも洗剤やシャンプー、クリームなど、日用品が一通り揃う小さなお店でした。
小学生の頃、ええと、40年ほど前ですね(笑)、祖母の実家に遊びに行った時に、こういうよろづやさんがあったような気がします。
あ、そういえば、10年以上前、「東京都」御蔵島に行った時にも、よろづやさんがあったなあ・・・。
でも、ここはグデーニャという都市の郊外で、それほど田舎じゃあないんです。


お庭でバーベキュー始まりました。


たくさんのソーセージ!

ガスでなくてコールのバーベキューなので、火を起こすのに時間がかかります。
空気を入れるマットレスを貸してくれた、近くに住む同級生が「焼き係」として参加してくれたようです。


ハギスみたいな、ブラックソーセージ。

どんどん焼いて、どんどん食べます。
ソーセージが何種類も、さらに牛肉や鳥のモモも焼きます。


ナイフを入れると、マッシュポテトが弾け出る、ジャガイモのソーセージ!

ジャガイモのソーセージ、というかマッシュポテトをソーセージ形に成形したもの、というのは話には聞いていましたが、初めて
食べました。まあ、ひき肉入りマッシュポテトって感じですかね。

さっき買ったお野菜は、さぞかし美味しいグリルになるだろうと楽しみにしていたら、あらら、そのまま台所に放置(笑)。
もろに「ザ・お肉」(と、ジャガイモのソーセージ)なバーベキューです!


ギター曲集を見ながら、思い出の曲を歌う。

夜も更けてきて、いい感じにみんな出来上がってきたら、今度はギターを引っ張り出して、合唱大会(?)。
ジョニー・キャッシュやレナード・コーエンのポーランド語版や、娘がわかりそうな「マクドナルドさんの牧場」(だっけ?)
などを経て、大人たちが妙に盛り上がって歌っていたのは、聞いたことがない曲の数々。

「これは大学生の間で流行っていた反体制の歌で、一般には知られてない曲だよ」と教えてくれました。

寮生活の思い出話で、夏休み中に、二人部屋に七人「違法に」泊まり込んで、監視役の人に怒られ、それでも黙って泊まり込んだ話を聞いていて、
それがどれほど面白くてすごい話なのか、よくわかんないなあ、と思っていたら、同級生の一人が、
「当時は共産主義下だったから、今と全然ちがうんだよ。特に戒厳令があったりしたクレイジーな時代だったんだ」と解説をしてくれました。

80年代に学生時代を送った彼らは、まさにポーランド激動の時代を経験したんですね。
国のシステムがひっくりかえるのを目の当たりにしながら、寮生活を一緒に送った人たちの絆はそれこそ強いんだろうなあ・・・と、
ポーランドとは真逆の、日本の80年代後半にバブリーな大学時代を過ごした私は、ぼんやりと想像しておりました。

グデーニャに電車で到着、次の日にグダニスク工科大学同級生(同僚生)集合。

2016-07-25 16:06:20 | 日記

旧式の電車の中で。

ヴロツワフから6時間くらい、ポーランドにとっても旧式の電車に乗って、グデーニャに着きました。一応1等車に乗ったのですが、一つのコンパートメントに6席あり、エアコンがありません。お手洗いは、一応水洗ですが、穴が開くと下の線路が見えます(笑)。大学生の頃、つまり30年くらい前にフランスからスペインに電車で行ったのですが、その時の電車を思い出しました。


途中の景色。


グダニスク連帯と書かれた元造船所。この後ソポトを通り、グデーニャにつきます。

それでもコンパートメントには私たち3人と割と細身の若い女性が一人だったので、暑かったけれど、割とゆったりと座れました。他のコンパートメントを見たら、
かなり体格のいい人たちが6人座っていて、いかにも窮屈そう&暑苦しそう・・・。


グデーニャ駅の構内。新しくてきれい。

グデーニャの駅も街も新しくてきれいで、海沿いのせいか、とても開放的な雰囲気です。「第2次世界大戦の直前にポーランドが計画して作った都市だから
道路も広いし、建物もモダンなんです」と駅のプラットフォームまで迎えに来てくれた夫の大学の同級生。


グデーニャ駅前。

グダニスク、ソポト、グデーニャの3都市(Tricity)は、切れ目なく海岸沿いにつながって、3つ合わせて100万人弱くらいらしいです。
横に長いせいか、とても広く都市に感じられます。ただ、歴史も雰囲気もこの3都市、全く違う、と3都市をざっと見て回った後に
よくわかりました。


泊めていただいた同級生の住むエリア。

グデーニャの郊外にがん治療専門医の奥さんと高校3年生の娘さん、小学2年生の息子さんと四人で暮らす、駅に迎えに来てくれた夫の同級生宅に4泊させていただきました。
新しい、とご本人たちはいうけれど、それでも義姉の住むグオグフの郊外よりは古く、つまり家やお庭は少し小さめで、四角い箱のような形の家が多く、
でも綺麗に塗り直されたり、改築されていて、雰囲気のあるモダンな感じの建物が多い住宅地でした。


お散歩した後。

ハムやチーズにトマトやピクルスにパンというコラチア(簡単な夕食)の後、娘さんが焼いてくれたケーキに、最近旅して好きになったという
ハンガリーのトカイワインをいただき、夫と娘さんの通訳を介して、おしゃべりしながら、最後の方でわかったのは、なんと奥さんは次の日、
24時間勤務のシフトがあるということ!
そんな大変な日の前に、初めて会う夫の同級生家族三人ももてなしてくださるなんて、と大恐縮。


朝食時に同級生宅に来たもう一人の同級生。

次の日の朝、ゆっくり起きると、テーブルにはハムやチーズやいろんなお魚を使ったサラダ(日本人の私のためらしい!)に卵、いろんなパンなどが
たくさんのお皿が並んだ立派な朝食の用意がされていました。近くに住むというもう一人の同級生が遊びに来ていて「朝食は王様のように、昼食は王子様のように、夕食は貧者のように、というのがポーランドの食事だ」と話してくれました。オランダとかドイツの朝食みたいな感じですかね。

この同級生は、空気で膨らますマットレスを貸しに来てくれたそうです。ソファベッドに三人で眠るには狭いだろうという配慮。うう、皆さんをお騒がせして、なんだか申し訳なく、同時にとても温かい気持ちになりました。


グダニスク工科大学

早めに眠りについた次の日は、夫が卒業したグダニスク工科大学の中を見学するツアーから始まりました。ワルシャワ郊外に住む、他の同級生も
奥さん連れで参加し、ついでに私たちがお世話になっている同級生宅に2泊するとのこと。彼らは8歳の息子さんの部屋を使うことになり、
息子ちゃんはご両親の寝室に嬉々として移動(笑)。


昔のままだという大講堂で、同級生、同僚生たちと娘。

ホストの同級生が、今、大学に勤務している他の同級生たちに連絡をして、夏休み中だけれど特別に教室や研究室を開けて見せてくれる
ようにアレンジしてくれたのです。


昔の研究室にもあったという1904年の電気パネル(っていうの??)


研究室に残った同級生や、今は偉くなった、昔の助手の先生などもいらして、当時の同級生、あるいは学生寮で同室だった同窓生たち、つまり今はおじさんたち(笑)、昔話に花を咲かせていました。夫が11年ぶりに里帰りしたので、みんな集まってくれたみたいです。


研究室にいる、元同級生の一人。日本の会社が置いていたっという富士山のカレンダーを見る娘。

私が理解した範囲の話ですが、どうやら工科大学 Polytechniqueは5年で、卒業すると修士号がもらえるらしい。当時、普通の大学Universityも医学部以外は5年で、卒業すると修士になったそうです。最近は3年で終了し、学士号をもらう短い大学もあるとのこと。


夫がいた学生寮。

「同じエンジニアリングを勉強しても、大学Universityを卒業した人は、ただのエンジニアだけど、工科大学を卒業すると、マスター・オブ・エンジニアを呼ばれる」と鼻息荒く夫が言っていたので、大したことらしい(笑)。


グダンスクの造船所跡。電車からも見えました。造船所は閉鎖されたけれど、記念としてクレーンなど残してあるそう。

グダニスクは、ポーランドの民主化、そして大きな意味での東欧の民主化のきっかけを作ったと言える「連帯」が始まった、造船所のあるエリアです。連隊長、ヒゲのワレサさん、の顔がすぐに浮かぶ人は私の同世代か、その上でしょう(笑)。


グダニスクの旧市街の運河。

都市としてのグダニスクの歴史は中世にまで遡り、様々な国に占領されたり、いろんな国の人を受け入れたり、また一時は独立した自由都市でもあったと言う変遷の多い街です。旧市街の運河のあたりは、個人的にはちょっとデンマークを思わせましたし、旧市街の街中はドイツの街のようで、とても綺麗でした。


旧市街。


ブレイクダンスを見る。


アイスクリームを食べる。


琥珀を得るお店がたくさんあるマリアツカ通り。

あれこれみながら歩いていると、結構時間がかかります。お腹がすいてきたので、「魚とジャガイモ」という名前の
ベイクドポテトのお店でランチ。


小雨だけど、テラス席で。

ベイクドポテトと言っても30だか40種類くらいあります!私はお魚、娘はポテトパンケーキを注文し、夫の注文したベイクドポテトを
味見させてもらいました。


娘が頼んだプラツキ・ジミナチャーナ、ジャガイモのパンケーキ、サワークリーム添え。


夫が頼んだ巨大なベイクドポテト。メキシカンスタイルの辛いひき肉が中に入り、上にサワークリーム、彩りにレッドカラント。


私が注文した魚のフライ、クリームソースにグリンピース、ベイクドポテト。ここにもレッドカラント。

さらに散策を続けたあと、再びホストの同級生宅に戻りました。私たちが一休みしている間に、家の主人は、ハムやチーズやニシンの酢漬け、ピクルスなど、いろいろと小皿を用意して、ウォッカを飲む準備(笑)。


少しずつ夜は更け・・


とっくに夜中すぎてます(笑)。

私たちが持参した日本酒から始まり、ワインに行き、もう一人の同級生の奥さんが作ったという96度のスピリタスを使ったラズベリー酒(推定アルコール濃度30度から40度)に移った時点で、ラズベリー酒を作った奥さんと私、子供達は撤退。同級生達は朝4時までウォッカで乾杯し続けたそうな・・・。

次の日は、さすがにみんな二日酔いで、昼過ぎまで寝ていました(笑)。