アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

10月の花火、「猫が教えてくれたこと」来日、私の腰痛と夫の鼓膜切開

2017-10-22 01:09:29 | 日記

小雨でもたくさんの人出でした。

先週末、小雨の中、近くの川原での花火大会が決行されたので、ブラブラとお散歩がてら見に行きました。


歩きながら途中で見た花火。

花火の始まる時間に家を出て、川原についていいポジションが確保できる頃にはすでにフィナーレになり、終わるやいなや
さっさと帰り道に着きました。



寒くて小雨の降る中、ビニールシートにお弁当を広げてる人たちもたくさんいたのですが、風邪引かないといいんだけど。


寒いけど、花火きれいだった〜!

歩ける距離にあるし、あまり混んでないのがよかったのですが、ここ数年人気が出てきたようで混雑し始めました。
10月という、ちょっと夏の花火大会からずれた時期なのも、人気が出てきた理由なのかな?


11月18日封切りです。

イスタンブールの猫ちゃんたちと街の人々との交流を描いたドキュメンタリー映画「猫が教えてくれたこと」の
ジェイダ・トルン監督が来日し、通訳させていただきました。


http://neko-eiga.com/



「レンタネコ」の荻上直子監督とのトーク。

この映画を見ると、猫好きな人はみんなイスタンブールに行きたくなると思います!
たくさん猫がいて、レストランや魚屋さん、あるいは他のお店の人や近くに住んでいる人が
餌をあげたりして、猫の方も人懐こくて、餌をおねだりしたり、そばに寄って撫でてもらうのが嬉しそうなのです。

様々な猫ちゃんたちの姿、それらの猫と交流する人々の話を、美しいイスタンブールの街の風景の中で見ていくこの映画、
見終わった後に、なんとも後味のいい、心温かい気持ちになれるのです。80分に満たない、歯切れのいい編集も魅力です。


猫カフェに行くと、監督のそばに猫が自然と寄ってきます。

10年くらい前にイスタンブールに行き、大好きになりましたが、残念なことに猫はあんまり覚えていません。
なんだか勿体無いことをした、とこの映画を見ながら、監督の話を通訳しながら、悔しがっておりました(笑)。


店員さんの背中が大好きな猫ちゃん。

猫カフェ、今回の取材で、初めて行きましたが、思ったより広々としたスペースで、ホッとしました。
以前フクロウカフェに行った時は、ごちゃごちゃしていて、周りのものに気をつけながら動く感じだったので、
猫がのんびりうろつけるスペースがあるお店だったので、よかったあ、と思ったのでした。



お恥ずかしい話ですが、実はこのお仕事の直前に腰を痛めてしまいました。



普段は腰痛持ちではないのです。
腰痛ではなく、全身の疲れを取ろうと鍼灸に行った後、いつものスポーツジムのプールで、マッサージ水流に当たっていたら、急に腰に
激痛が走りました。
でも動かした方がいいかも、と頑張ってノロノロ泳いで、ジムのお風呂に入ったら、もっと痛くなってきた・・・。
一晩寝ても、まだ痛いままです。
これはダメだ、と整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったら「一番下の椎間板にちょっと炎症があります」。



動かさないように、寝てるのが一番、と言われたのですが、そうもいかず、湿布に飲み薬、さらにもう一度鍼灸に行って
応急の置き鍼もしてもらって、背中にやたらいろんなものを貼り付けて通訳しておりました。
鍼灸の先生曰く「この前きてほぐした後、そのまま休んで入ればよかったんですよ。さらに水泳したり、マッサージプールに入ったり
してやりすぎちゃったんですよお」とのこと。とほほ。

最初は椅子に座るのも恐る恐る、通訳するときのメモも取りづらい感じでしたが、
3日間、猫カフェに行ったりして、楽しみながらのお仕事だったせいか、おかげさまでだいぶ良くなってきました。



この仕事の直後、風邪を拗らせて咳喘息と滲出性中耳炎にかかっていた夫をまた耳鼻科に連れて行きました。
この日の検査でよくなっていなければ、鼓膜を切開するのです。

シドニーで一般医(General Practitioner)をやっている義姉から「やたらに鼓膜なんか切開しちゃダメ。
なるべく薬で治療して」と言われていたので、東京の耳鼻科の先生が「本当は切った方がいいんですけど」というのを
何度か押し切ってより強い抗生物質、そしてステロイドとお薬を処方してもらっておりました。
でもね、どうもよくならない。

もしかしたら、体質が違って日本人の用量では少ないのではないか、とお薬の量を増やしてもらったのですが、
芳しくない。

検査結果も症状もあまり変化がないので、とうとう、この日に鼓膜切開をすることになりました。
麻酔液を10分くらいまずは左の耳に入れて横になった後、診察台に座り、キリみたいなものを耳鼻科の先生が夫の耳に入れた直後、
「あれ?深いですね」と先生の焦った声が・・・。
どうやら、一般的な日本人よりも鼓膜が深くて、なかなか切れないらしい!

どうしよう??と私も焦りましたが、少しして先生が「あ、大丈夫です、切れました」とおっしゃるので、ほっ。

次に右の鼓膜も切ったのですが、やはり「う〜ん、普通の日本人より数ミリ深いです。」と先生。

無事に鼓膜両方とも切開できましたが、「もし耳の中が乾かないうちに穴が閉じてしまったら、3回くらいまで切開し、
それ以上は、ビーズみたいなのを入れて、鼓膜に穴を開けたままにして換気をよくする治療をすることがあります。その場合、
ご主人の鼓膜は深いので、ちょっとやりづらいかもしれません」と先生。

とりあえず、切開直後から耳鳴りとか閉塞感が取れてきたので、このまま治ってくれるのではないかと楽観してますが、
それにしても鼓膜の深さって人種によって違うんですかね??

以前、夫の大腸内視鏡検査の時も大変で、どうやら大腸の角度、腸壁の暑さは人種(というか肉食メインで食べてきた人たちか
そうでないか、などの違い)がある、と知ったのですが、鼓膜もそうなんでしょうか・・・??

山形国際ドキュメンタリー映画祭で家族旅行、そしてちょっと考えた。

2017-10-14 12:51:45 | 日記

「弟」と山形で合流したよ〜!

今年初めて、山形国際ドキュメンタリー映画祭で通訳させていただきました。


ネットよ借用。今回の受賞者たち、おめでとうございます〜!

山形駅に降りるのも生まれて初めてでしたが、改札をでた途端に「山形国際ドキュメンタリー映画」のデスクが
ど〜んと構えていて、町ぐるみの映画祭だと実感しました。


受賞作の一つ、香港の雨傘革命を細かく追った「乱世備忘-僕らの雨傘運動」のシーンより。

山形の目抜き通りを中心に、市民会館、中央会館、山形美術館、フォーラム映画館など、それぞれ徒歩15分くらいずつの距離に、
上映会場があり、つらつら歩いていると、映画祭関係者によくぶつかります。


会場の一つ、市民会館。

ポスターもあちこちに貼ってあり、それほど大きくない町全部が映画祭会場になったようなアットホームな感じです。


そこで働く(?)バクちゃん。

15年くらい通訳させていただいている東京国際映画祭も、渋谷がメイン会場だった時は、渋谷駅から東急文化村までの道のり、
映画祭関係者がたくさんいて、渋谷の一部がそのまま映画祭になった感じがして、楽しかったことを思い出しました。


これから新幹線に乗るよ〜!

映画祭中、私は5日間滞在し、最後の1泊2日、娘と夫がジョインしました。


会場の一つ、フォーラムにて。映画見なかったけど(笑)!

映画祭に誘ってくれた通訳仲間のお友達も同様に息子さんとパートナーが途中から遊びに来ました。
娘が「東京の弟」と読んでいる2歳の男の子、半年以上ぶりに会ったら、ものすごく成長していて、びっくり!


お蕎麦屋さんではしゃぐ「姉弟」。

通訳やっているママたちは結構忙しく仕事をしていたので、パパ同士、子供同士で遊んでもらいました。


芋煮会で、むしゃむしゃ。

途中みんなで一緒にご飯食べたり、ダブル家族旅行みたいで楽しかった〜!


赤提灯で、お店のお兄さんと仲良くなったよ。

ただ、仕事としては、量、質ともに、かなりハードでした。
ドキュメンタリー映画祭ということで、世界中の紛争やら様々な差別、抑圧などいろんな問題を掘り下げた作品が多く、
普段はぼーっと過ごしている私には、かなり頭と心が揺さぶられる経験でした。


カウンターで親父さんとおしゃべり(笑)。

私が担当した作品の中で「Mogadishu Soldiers モガデシュ・ソルジャー」というタイトルの映画は、ソマリアの首都モガデシュでの内戦、政府軍を支援するアフリカ
連合に参加する実際の兵士にカメラを渡し、内側から1年撮影するという貴重な映像をまとめたものでした。



大人たちに誘拐され、洗脳され、操作され、テロ軍も政府軍もほとんど少年兵同士が戦っている現実、連合軍は平和維持peacekeepingという名の下に
派遣されているが実際は武器を使って殺戮を犯している peacemakingを行なっている現実、でも広報が検閲して兵士たちは建前を強要されるCNNでのインタビュー
など、普段のテレビ、新聞では見ることのできない映像を目の当たりにして、かなりの衝撃を受けました。


これも受賞作の一つ、「翡翠之城」。ミャンマーにおける翡翠ラッシュを描く

今回、山形国際ドキュメンタリー映画に来る前に、うちに遊びに来てくれた人たちと話をして、生まれつき、が環境よりずっと大きいのかも、
と思いましたが、それはあくまでもかなり恵まれた環境下にあるから言えることなんですね。選ぶ自由がある、選択肢がある。まあ、
そういう環境に生まれたことも、「生まれつき」なのかもしれないけれど・・・。


駅ビルでポーズ。

ドキュメンタリー映画に描かれた過酷な現実を見ると、生まれつきの資質や才能よりを凌駕する環境の力を見せつけられます。
ただ、そういった状況もやがて変化し、より良い状況になっていくこともありますし、悲惨な状況から抜け出す努力が実る人々もいます。


山形のマスコットと共に。

まだうまく頭がまとまらないままに、東京に戻り、風邪をこじらせて中耳炎、咳喘息になった夫の診察、検査に通訳兼付き添いとして同行し、
娘がらみのイベントに付き合い、自分の鍼治療に通い、さらにこれから始まる仕事の準備に追われています。


ママの口紅のキスマーク。

ただ、いまだにはっきりと感じているのは、この映画祭の「熱さ」です。大学生の合宿みたいだな、と新鮮に思いました。

ドキュメンタリーを作る仕事は、おそらくあまり儲かりません。
でも何かを伝えたくて作り続ける人たちが世界中から集まり、それをわざわざ山形まで見にいく人たちがたくさんいる。
町おこしもあるのでしょうが、町全体が映画祭を温かく見守っている。
そこにいること、少しでも関わっていることの暖かさ。


パーンチ!

娘は、映画祭の作品は見ていませんが、「弟」と一緒だったのが楽しかったらしく、また町を歩くと知り合いにぶつかり立ち話が始まる
映画祭全体のアットホームな雰囲気もよかったのか、「今度はもっと長く山形に行きたい!」そうです。
次回は2年後、ま、また考えましょ。

風邪ひとまわり、「ル・コルビュジェとアイリーン 追憶のヴィラ」学芸員来日&35ヶ国語話す人

2017-10-03 21:54:23 | 日記

スーパーヒーローになったつもり!

ズルズルと鼻風邪が治らない娘、でも熱も出ず、元気なので病院にも行かないままです。


祖母宅で叔母が捕まえたハチ、娘のために標本(?)にしておいてくれました。

娘にうつされた夫、かなり鼻も咳もひどく、鍼灸治療を2回受けてもよくならず、熱が出て、ついに耳がおかしいというので、
耳鼻科に行ったら「滲出性中耳炎」と診断されました。


スープおいし〜!

夫の耳鼻科についていき、そういえば喉がイガイガする私も診察していただいたら「喉、かなり赤く腫れてます」。鼻も出てるし、
頭痛もするし、あ〜あ、うつってしまいました・・・。


10月14日(土)から公開です。

先週、「ル・コルビュジェとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画の主人公、アイリーン・グレイの研究家である、
アイルランド国立博物館の学芸員、ジェニファー・ゴフ博士が来日なさり、通訳させていただきました。

http://www.transformer.co.jp/m/lecorbusier.eileen/


アイリーン・グレイが建築し、家具、ラグなど全てデザインした「E1027」の居間。

学芸員で研究者の方なので、雑誌などの取材を受けつつ、大学で特別講義をしたり、国立西洋美術館で建築評論家の方と対談を
したり、といつもの映画の来日よりアカデミックな内容でした。


FB公式ページより拝借、大学院建築学科の特別講義。

「私はアイリーン・グレイの専門家ではなくて、熱狂者なんです」とおっしゃるジェニファー・ゴフさん。本当に
アイリーンを愛しているんだなあ、と思わせる情熱的な語り口、学者としての見識の広さに、通訳しながら感服しておりました。


国立西洋美術館でのトーク。

国立西洋美術館の建物は、ル・コルビュジェの建築として世界遺産登録されました。まさにその建物の中で、ル・コルビュジェと
ル・コルビュジェがその才能に嫉妬したとされるアイリーン・グレイにまつわる映画が試写上映され、トークがなされるというのは
なんとも贅沢ですよね。



先週末には、お客様が続けて我が家に遊びに来てくれました。

一人は、ドイツ在住のオーストリア人の方。お友達のお友達で、「何ヶ国語もできる人なのよ」とは聞いていましたが、実際に
お話ししてみたら、なんと全部で35ヶ国語話せるそうです!!
「忘れてるのもあるし、流暢でないのもあるけれど」とおっしゃいましたが、娘の名前をヒンディー語、ヘブライ語、アラビア語、
韓国語、ロシア語でサラサラと書いてくださいました。


パパを持ち上げるぞ〜!!

13、4歳の頃、エジプトだかトルコだかに家族旅行し、ヨーロッパと違う言語に魅了され、個人的に習い始めたそうです。
親友がリセに行くから、というだけの理由で、それまで普通のドイツ語の学校に行っていたのに高校からフランス語の学校に
転校し、大学では政治を専攻したけれど、ヒンディー語に興味をもち、4年ほどインドに住んだことがあるらしい。

去年旅行したナミビアの現地の言葉の美しさに打たれ、学びたいと思っているとか、ポリグロット(多言語話者)の会議に出席し、
他に10とか20カ国語話す人々と交流した、とか、いちいち新鮮なお話に私も夫も「へ〜」「ほ〜」と感心しまくりでした(笑)。

ドイツ語の教材を作る出版社で、教材を作ったり、営業をしているそうですが、「他の人が語学学習するのをみて、なんでみんなすぐに
覚えられないのか、理解に苦しんだりしないの?」と意地悪な質問をしたら、「いや、そんなことないです。僕にもわかりますよ」
というお答え。本当かな〜〜〜??


駅のベンチでパクリ。

次の日には、出張&休暇で東京に来ていた、25年ぶり(いやそれ以上か?)の友達に会いました。

はるか昔、イギリスに高校留学した時の同期生で香港出身の彼女は、結婚して上海にすみ、今はまた香港に戻って来たそうな。
カナダの大学に通うお嬢さんと一緒に出張後のホリデーを楽しんでるそうです。

「東京は物価は安いし、美味しいものたくさんあるし、お買い物も楽しいし、大好き!今の時期、香港の友達もたくさん東京に来ているのよ」。
昔は、「香港は物価が安くて、食べ物も美味しい、ショッピングも楽しい」と日本人が言ってたんですけどね・・・

それはさておき、お母さんとは広東語で話し(お父さん家族とは北京語)、私たちとは英語で話す娘さん、途中から日本語を話し出しました!
「実はアニメが大好きで、ドラゴンボールを4年間毎日見ていたら日本語を覚えちゃったんです」
大学で1学期だけ日本語の授業をとったけれど、それはあまり役に立たなかったそうな。


またトーフバナナココアケーキ作りました。

来日した学芸員のジェニファーさん、35ヶ国語話す人、友達の娘さん・・・好きこそものの上手なれ、だなあと実感しましたですよ。
(真逆の「下手の横好き」っていうのもありますけどね)
さらに、人生を決めるのは、好き嫌いを含む、生まれ持ったものが7割、環境が3割くらいじゃないか、とさえ思ってしまいました。

ジェニファーさんは、高校時代の美術の先生にちらりと聞いたアイリーン・グレイの話に惹かれ、その後大学、大学院、博士課程、
そして博物館でも学芸員としてアイリーンを追いかける人生を送っています。ご両親は特に建築とか美術関係ではないようですし、
そういうものに囲まれた環境でもなかったようです。

35ヶ国語話す人のご両親は特に何ヶ国語も話す人ではなく(ヨーロッパの方々なので、母語と周りの国の言葉は話すようですが)、
特に語学教育に力を入れていたわけでもなく、ご本人が勝手に興味を持ったそうです。ただ、フランス語の学校に転校したいとか、
アラビア語を習いたいと行った時にすぐに語学学校に入れてくれた、というように応援は惜しまなかったようですが、イニシアチブは
あくまで本人。

アニメが好きで好きで、ひたすら見ていたら日本語を覚えてしまった友達の娘さん。まあ、言語感覚が鋭いっていうのもあるんでしょうけれど。

それを仕事にするかどうかは別にして、そこまで好きになれるものがあるのって、いいなあ。
一時的に熱中しても、やがて飽きてしまう私には、なんとも羨ましく思えるのでした・・・。