アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ベルリンから電車でポーランドに戻る。

2019-08-21 20:05:55 | 日記


リガからベルリンの空港に到着し、電車で中央駅に移動しました。


駅前に屋台が出ていました。


Tシャツ屋台の前で。


え、タンゴ・フェスティバルが中央駅であるんだ!

最初はバスでポーランドに戻ろうかと思い、バスの時間まで4、5時間あるので、どうやって潰そうか、あるいは一泊しようか、とベルリンに詳しい友人たちに
相談し、みなさん親切にいろんなアイディアをくださいました。


駅前エリアでの大道芸

でもね、ポーランドに戻る早めの時間の電車が見つかり、ベルリン中央駅前の中で迷いながらロッカーや洗面所を探したり、駅前の屋台や出し物を見たりしていたら、あっという間に時間が経ってしまい、結局どこにもいかず、そのままポーランドに行く電車に乗りました。
(ということで、アイディアをいただいた方々、どうもありがとうございました。お騒がせしてごめんなさい・・・!)


ホットドッグ、美味しい!

私にとっては20年ぶりくらいのベルリン。ウクライナやリトアニア、ラトヴィアから比べると、全てがスムーズで気楽です。
さらにベルリンの空港や駅の人たち、英語が通じやすいし、通じない人も、道を聞くと、わざわざ一緒に歩いてそこまで連れてってくれたりして、とても親切・・・ドイツの人ってこんなに親切だったっけ(笑)?

安心感と共に、先進国の都会に戻ってきたんだ、と現実に少し引き戻された感じ・・・。



電車に乗り込むと、3年前にポーランド国内を回った時に乗った電車とは違い、新しく快適な電車で、冷房も効き、お手洗いもね、「穴」ではなくて、水洗です(笑)。



ポーランドに入ると何もない平原が続き、また現実から少し浮遊する感覚が始まります。

ベルリンから2時間40分で、薄暗いグオグフ駅に着きました。


うちに戻ってきた〜!と喜びの「グオグフ」ダンスをする娘(笑)

駅を出ると、これまた何もなくて真っ暗。目を凝らすと義姉の車が待っていてくれ、ドアを開けて義姉が大きなハグで迎えてくれました。

今まで旅してきたどの街よりもっと小さくて何もない、くらい道路を通り、ポーランドの我が家である義姉宅に戻ると、
バプチャ(おばあさん)やブヤック(おじさん)も大きなハグでおかえりの挨拶。

「おうちに帰ってきて、よかった〜」と娘。
まだあと1週間ほどお世話になりますが、よろしくお願いします!

リガで最後、旅の最後の夜。

2019-08-21 13:00:43 | 日記

リガ空港にあったスシ店!

リガ最後の日(もう一泊しますが次の日は移動日なので)だというのに、相変わらず午前中はダラダラして動きません(笑)。


さあ、出かけるぞ!

やっと外に出て、まずは電動スクーター探し。ヴィリニュスほどたくさん見かけませんが、ちらほら見かけました。


電動スクーター、ゲット!

まずはアール・ヌーボー様式の建物が並ぶアルベルタ通りを目指します。


他の街で見なかった木造の建物もいくつか見かけました。



その通り全部がアール・ヌーボー様式の建物なのかと思ったら、通りの一方がそうなんですね。
「戦艦ポチョムキン」のセルゲイ・エイゼンシュタインのお父さんで建築家のミハイル・エイゼンシュタインの建物だと「地球の歩き方」に
書いてありました。



リガの街の40パーセント以上がアール・ヌーボー様式ということで、無理にこの通りにこなくても以前は「バルト海の真珠」「バルトのパリ」など
と呼ばれた片鱗が感じられます。





今は煤けたアール・ヌーボー様式の建物がたくさんあり、これらが修復されたら昔の呼び名にふさわしい街として、さぞかし
美しくなるんだろうなあ、と想像しながらスクーターを走らせました。




旧市街の周りに美しい公園がいくつもあります。




またきたよ、この広場。


あ、昨日の大道芸と同じ人!


娘はまた最後までみて、一緒に写真も撮ってもらいました。ちなみにフランスからきたそうです。


マクドナルドはどこにでもあります(笑)。




お土産やさん、マトリューシカやニットもの、琥珀が多い。

ちょっと休憩しようと、Double Coffee というチェーン店に入ったら、カフェでなくてファミリーレストランのように
食べ物、飲み物がたくさんありました。メニューはカラフルな写真入りでわかりやすい。


抹茶ラテもあります。


ライ麦パンのお菓子。ベリー類とクリームで和えており、ボリュームあります。

上から街を見下ろしてみたかったのですが、この日はコンサートのため聖ペテロ教会は閉鎖されており、結局見れないまま。
でも川から街を見てみたいと、ボートクルーズに参加してみました。


なぜか子供は救命具をつけさせられました。



ラトヴィアの首都リガはバルト三国の首都の中でも一番大きく、人口は70万人。一時は100万人を超えていたそうですが、EUに参入してから
外国に出稼ぎに出る人が多くなり、人口が激減。それでもリトアニアの首都よりはずっと活気があり都会的な印象。

旧市街にあり、訪れなかった王宮がボートから見え、音声ガイドが「この王宮は一時はポーランドやスウェーデンに占拠されたことがあり・・」
というのが聞こえました。



ああ、そうか、ここもポーランドの支配下にあったんだ。

今回バルト3国を見たいと思いながらも、なぜかタリンは今回はいいや、とスキップしました。タリンの写真を見た娘が、なぜか「行きたくない」と言ったのも理由の一つ(笑)。ポーランドのクラクフから始まり、格安チケットがあるから、という理由でポーランド国境近くのウクライナの都市リヴィヴに入り、そこからリトアニアの首都ヴィリニュス、ラトヴィアの首都リガを回ることになりました。これらの都市は、すべて一時はポーランドの支配下にあったところばかりです・・・。


最後もバーガーで締める(笑)!

「ここはロシア語の人が多いね」と、ロシア語が必須だった共産圏時代のポーランド育ちの夫。エストニアとラトヴィアには25%くらいロシア人がおり、
リトアニアは人口の9割近くがリトアニア人でロシア人は5%にも満たず、あとはポーランド人などで、民族的にバルト3国では一番安定している、と
「地球の歩き方」に書いてあった、と夫に伝えると、「なるほどね」。



ハンバーガーを食べたお店の若いウエイターさんの英語がとてもアメリカンなアクセントだったので「アメリカに留学したの?」と
聞いてみたら「ううん。ラトヴィアの教育はいいんだよ。みんな若い人は英語ができる」ついでに、「ロシア語の人が多いみたいだけど、
学校はラトヴィア語なの?」と聞いてみたら「うん。ロシア人も多いけど、公用語はラトヴィア語だから、学校はラトヴィア語で教えられている。
ロシア語は第一外国語で教わるから、みんなわかるよ。あとは英語。僕はあとドイツ語も話すけど、若い人たちは、僕みたいに4ヶ国語できる人は結構いる」


この店名に娘が大反応(笑)!

「ロシア語の人がたくさんいるみたいだけど、学校では外国語なんだね」と尋ねると「うん。ロシア人はラトヴィアにたくさんいるけど、ラトヴィア人のパスポートはもらえなくて、外国人パスポートしかもらえないんだ。僕の父はラトヴィア人だからラトヴィアのパスポートだけど、母はロシア人だから外国人パスポートなんだよ。差別だよね・・・ごめん、仕事に戻るね!」


アパートの棚にあった額縁

そうかあ・・・。
今回の旅は、どうもソ連、ロシアが悪者に見えがちだったけど、逆に差別されているロシア人もいるんだよね、と目を開かれた気がしました。


さて、リガ空港に向かいましょう!

3年前初めて夫の故郷ポーランドを訪れた時は、ポーランドのいろんな街を見て回り、たくさんの教会やお城をみるたびに、一時は自国が3分割されなくなるという悲しい歴史、ある意味で被害者としての歴史を感じ、去年はチェコのプラハやハンガリーのブダペストを訪れ、ポーランドの同盟国、仲間だった街を見て、今年は、かつてのポーランド領だった街を訪れ、侵略者としてのポーランド(つまりは一時期大きな国だった、と言うことですが)を見た気がします。


バイバイ、リガ!

ではベルリン経由してポーランドに戻ります!