アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

30年ぶりのウィーン、30年ぶりの再会、そして6年ぶりの再会。

2024-07-28 21:40:38 | 日記
シェーンブルン宮殿にて。30年ぶりの友人と。

ほぼ30年ぶりにウィーンに来て、同じくらい久しぶりの友人に再会しました。初めての出会いは、私の高校に彼女が1年AFSで交換留学していた時。当時、お茶を教えていた母のところに毎週通っていたのです。その後、私がウィーンを訪れた時に再会しました。そのすぐ後に私がニューヨークに住みはじめ、彼女が遊びにきて会ったのが最後で、ほぼ30年くらい前。


シェーンブルン宮殿内部。

実は元々ウィーンに来ようと思ったわけではないのです。夫の故郷ポーランドに帰省しようと、マイレージでチケットを取ったら、何度も乗り換えることになりました。時間もかかるし疲れそうなので、経由地の一つ、ウィーンで数泊することにしたのでした。

ウィーン旧市街にあるホーフブルグ宮殿、シュテファン大聖堂とその内部、ペスト記念碑

普段はぐうたら観光客な私たちですが、夜遅く到着して、次の朝から友人が案内してくれたので、シェーンブルン宮殿から始まり、旧市街をあちこち歩き回りました。たくさん歩き回って、夕食もろくに食べずにベッドに倒れ込むほど(笑)。

ベルベデール宮殿、クリムト、変顔彫刻(?)、Hundertwasser美術館のカフェ、Glacis Beislでお友達家族、シティホールの夏の映画上映会、国会議事堂。

次の日は、自分たちだけで、やや遅めのスタートながら、ベルヴェデール宮殿でクリムトをはじめ、いろんな絵画をしっかり見て、Hundretwasserハウスを見て、その美術館でお茶をして、6年ぶり(奥さんは数年ぶり、娘ちゃんは初めて)の友人家族にオーストリアの家庭料理のお店でご馳走になり、夜の街を散策して・・・と、これまた2万歩以上しっかり歩きました(笑)。


直線のないHundertwasser美術館。床も壁も歪んでいます(笑)。

次の日はさらに遅めのスタートで、まずは私の大好きなHundertwasser美術館から。初めてここに訪れた時にものすごく感銘を受けた建物や絵だったので、娘にも見せたかったのです。たまたま、まだ存命していたHundertwasser本人と知り合い、その後一緒にニュージーランドに行き、今は美術館に展示されているエコロジカルなトイレを使用したり(!)や船の「雨の日」号に乗ったこともありました。娘の感想は「あんまり好きじゃない。幻覚みたいな絵で、床も波打ってるし、見てるとクラクラする」(笑)。


美術史美術館にて。

ベルベデール宮殿でもそうでしたが、娘はクラシカルな絵の方が好きらしく、じっくり見ては「あ、これ小学校の時にテーマ学習でみた絵だ!遊戯がテーマだったから、この「子供の遊戯」が資料として使われたんだね〜」とか「アートの授業で版画にしたナポレオンの絵がある!うわあ、すごい迫力!」などと楽しんだようです。


ミノリッテン教会の内部、そこにある「最後の晩餐」のモザイク画。

オペラは夏の間お休みなので、教会でヴィヴァルディとモーツァルトの演奏会に行ってみました。ソロのチェリスト二人がダイナミックに演奏していて、ちょっと驚き。


ホテル近くのベーカリーと私たちの朝食。

滞在したアパートメントホテルには簡単な台所が付いていたので、朝食はお店で買ってきたものをお部屋で。パンにハムやチーズ、トマトを挟んだり、ヨーグルトにラズベリーやブルーベリーを入れたり、アップルパイやドーナツのような甘いパンだったり。

オーストラリアの家庭料理のお店にて、じゃがいものお団子に豚の軟骨が入ったクヌードルやキャベツのパスタ、ホースラディッシュたっぷりのスモークベーコン、クレープみたいなデザートやヌガーのアイスクリームにチョコレートのケーキ。

カフェでチーズケーキやチョコレートケーキは注文したのですが、「ウィーンにいるんだからザッハトルテ!」という意識が飛んでしまっていたので、食べずじまい。シュニッツェルやグラーシュはいただいたのですが。


ホテルの周辺、地下鉄の駅、ごちゃ混ぜインテリアのカフェ。

地下鉄やバス、路面電車が充実していて、ホテルのロケーションも便利で、私たちだけでも歩きやすいこともあり、さらに時差ボケも手伝って朝早めに起きてしまったので(笑)、珍しくしっかり観光しました。



ポーランドのヴロツワフに近づいてきました。

30年前もウィーンは壮麗な街だと思いましたが、やっぱり今回も同じ印象。また、今回は、6年ほど前に訪れたハンガリーのブダペストの街を何度も思い出していました。あの街の建物をもっとしっかり修理してきれいに仕上げたら、ウィーンみたいになるなあ、と。


ヴロツワフ空港近く。

オーストリア・ハンガリー帝国時代に、ウィーンが第一の都市で、ブタペストが第2の都市だったから、すごく似てるよ、と友人が教えてくれました。

この辺りの国々、国境がいろいろ動いたエリアで、歴史も複雑です。

今も、ウィーンの街中の小学校は半分くらいが移民や難民などで、ドイツ語が通じない子供たちが結構いる、と子供を持つウィーン生まれ育ちの友人が言ってました。配偶者ビザを取ってウィーンに住み始めた他の日本人の友人は「ビザ取得のために基礎的なドイツ語の検定合格が必須だし、1年後のビザ延長には、さらに上のレベルのドイツ語検定に受からないといけない」と言ってました。ドイツ語ができな人が増えて、困っているということなんでしょうか?

歴史も、今の状況も、ちゃんとあとでちゃんと勉強しなおさないと、などと思いながら、飛行機に乗って、やっと目的地であるポーランドのヴロツワフに到着しました。



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2 コメント

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Unknown (水野衛子)
2024-08-01 19:29:52
ウイーン、懐かしい!私は25才の時だから約40年前に行きました。「第三の男」に出てくる観覧車に乗り、ザッハトルテもしっかり食べ、デーメルの猫の舌というチョコをお土産に買いました。今は日本で普通に買えますが。友人と歩いていると、中学生ぐらいの男の子たちにナンパされたり。その後、「恋人たちの距離」を見て、懐かしく思い出したものです。
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Unknown (Unknown)
2024-08-01 19:47:20
わあ、嬉しい、水野さんにとっても、ウィーンは懐かしい街なんですね〜!

そうそう、プラーターの観覧車、木造で驚いた記憶があります。デメル、今は東京で買えますけど、昔はとても貴重でしたよね。

うふふ、ナンパされて、まさに「恋人までの距離」みたいになっていたかも!?あの映画、二人とも可愛かったですよね。続編でどんどん現実的になっていきましたが(笑)。
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