アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

扁桃腺と中耳炎 in ポーランド。

2024-08-18 21:05:10 | 日記
グオグフでトランポリン!

ベニスからポーランドのグオグフに戻り、喉の痛み、鼻詰まりに加え、耳の痛みが出てきた娘は、小児科医に行くことに。

イーストを使ったプルーンのケーキ。

シドニーで医者をやっている3番目の義姉の同級生だったという女医さんは、娘を診察し、ポーランド語でいろいろ話し、それを夫が英訳し、わからない部分を私が和訳し、娘が英語や日本語で答え、またそれぞれを訳し、と映画祭なみの3ヶ国語通訳。「扁桃腺と軽度の中耳炎」という診断でした。


姪っ子のうちにお呼ばれ。

娘は元気な時もあり、仲良しのお家に遊びに行ったり、いとこのお家にお呼ばれしたりしていたのですが、もっと安静にしていれば良かったのかな?


グオグフの中心街。

グオグフにしては暑い日中最高気温30度を超える日々、「暑さ警報」が出てしました。東京やベニスから比べると温度も湿度も大したことないのですが、エアコンがないので、逃げ場がないのは辛い。


スーパーの中はエアコンがあって涼しい(笑)。

いよいよ明日、娘と私の二人は帰国します。私は仕事もあり、体調もかなり良くなってきたので、予定通り出発のつもりですが、今朝まで耳に膜が張っていた感覚のある娘はフライトを遅らせたほうがいいかもしれない・・・?


夫が10日ほど残るので、少しずらそうと娘に言っても、断固「ママと一緒に帰国する、気力で治す!」と言って聞きません。
明日にはずっと良くなっていますように・・・!

体調不良のまま、ゴンドラに乗り、帰路に着く。飛行機で逮捕劇あり。

2024-08-15 18:29:30 | 日記
フラフラしながらゴンドラに乗っている娘。

出発前日、体調が悪化した娘はかなり熱がありそうでした。ずっとベッドで過ごし、行きたかったアカデミア美術館は諦め、お薬が効いてきた頃に、ゴンドラだけ乗ることにしました。



かなり水が臭いけど、ゆったりと進むゴンドラは心地よかったです。



「ベニスの地元の人は何をして暮らしているの?観光業?」とゴンドラ漕ぎのお兄さんに質問したら、ベラベラと訛りの強い英語で答えてくれました。

「もちろん観光業だけじゃないよ。ベニスは塩水に浸かっている街で、建物がすぐに痛むから、4年おきに修復する仕事や、古い建物を修復したり、電気工事をしたり、ゴミもアマゾンも船で運ぶからね、そういう仕事もいる。僕の両親はムラノ島でガラス職人をやってる。いろんな仕事をしてるよ」

やっと見つけた猫。借りたアパートの近所の風景。

「ベニスって沈んでなくなるの?」と聞いたら「海だから潮の満ち引きがある。満潮の時に水浸しになることもあるけど、干潮なら元に戻る。そんなもんだよ」
じゃあ、しばらく大丈夫なのかな?



「お土産屋さんをやってる人、南アジアの人が多いみたい。バッグ屋さんは東アジア人が多い。移民が増えたの?」という質問には「ベニスは昔からいろんな人を受け入れてきたんだ。税金さえ払ってくれれば誰でも住める。外から来て、許可取って仕事して税金払うなら、どこの人だって歓迎だよ」との答え。



出発の朝、娘の体調はさらに悪化。かなり高熱。ロキソニンを飲んで、どうにか起き上がれるようになったところで、アパートを出て、水上バスとバスを乗り継いで空港へ。

ベニスを出るとこんな風景。

搭乗もかなり遅れましたが、機内に入ってからも、離陸せず、そのまま1時間くらい待たされた。イラついた三十代くらいのカップルが、機内トイレを使った後で、「トイレットペーパーがない!お金払ってるのに、こんなに待たされて、どういうこと!」とんでもない勢いで、中指をたて、Fワードを連発し、客室乗務員を怒鳴っていました。


ドブロブニクにもあったダックやさん。

「怒鳴らずに話してください。そういう態度はいけません。2度もやりましたね。3度目は通報します」と客室乗務員。女性の方がそれをきいてさらに、怒鳴りながらFワードと中指をたてて、席に戻りました。


これはドブロブニクのダックやさん。

ほどなくして「お待たせしておりますが、警察が来ますので、それが終わるまでお待ちください」。

ええ!?本当に通報したんだ!!

4、5人の警察官がゾロゾロと機内に乗り込んで、くだんのカップルと激しい応酬、そしてそのまま連行。飛行機を出る時、女性の方が客室乗務員一人ずつに中指を立てていた・・・。

彼らの荷物を出すのにまた時間がかかり、合計1時間半くらい待ってやっと離陸しました。


だんだん遠ざかる・・・奥の方に水の都が見えます?

1時間15分くらいでポーランドのブロツワフ空港へ。外に出ると30度とグーグルお天気が教えてくれますが、湿度がなくて涼しく感じます。ホッとしました。


無事に着陸、涼しくて安堵。

タクシーに乗り、ヴロツワフ中央駅の手前の無人駅でおり、5年前に乗ったのよりずっと新しくてきれいな電車に乗り、義姉の住む街の近くの駅へ。

無人駅。車椅子用のレール付き階段。

娘が行きたがっていたベニスです。どうだった、と聞くと「臭かった。ごはん美味しくないし、暑いし。ゴンドラは良かったかな。憧れが強かったんだけどね・・・一回でいいわ。」


新しい電車、きれいでびっくり!

ベニスに入る飛行機も遅れ、乗り継ぎ便を逃し、予定より5時間遅れで到着しました。ベニスから帰る飛行機もこの通り。滞在中はずっと体調が悪くて、観光も楽しめず・・・。

車窓から。

ポーランドの田舎の義姉の家に戻った時は、本当に「帰宅した!」という安堵の気持ちで一杯でした。娘も「本当に帰って来れて良かった。イタリアはしばらくいいや」だそうで(笑)。

グオグフ駅、以前はなかったエレベーターができて、駅もすこしきれいになっていました。

30年以上前に前夫との新婚旅行で訪れたフィレンツェで、なんとなく相性の悪さを感じていたイタリアですが、まだ改善していないみたい・・・? フィレンツェもベニスも舞台のように美しい街なんですけれど。

ただし、夫は至って元気で「20年前はすごく臭かったんだよね。水路もかなりきれいになって、ベニスに行って良かったなあ」と満足そうです!


炎天下のベニスで寒気に襲われる。

2024-08-12 21:14:27 | 日記
サンマルコ広場にて。

東京ではあまり踊らなくなりましたが、旅行先でアルゼンチンタンゴのミロンガを見つけて踊るのが好きです。でも今回はドブロブニクでもヴェニスでも、タンゴ関係者らしき人に聞いてみたら「夏休み中。暑すぎて誰も踊りたがらない」とのこと。

"Por Una Cabeza"の生演奏に、思わず足が動いてしまったところを娘が撮影。

たまたまサンマルコ広場でタンゴの曲が生演奏されていました。ろくに踊れない夫を引っ張り出して、踊っちゃいました。もうひとカップルもジョインしてくれて、ちょっと嬉しい。


ペギー・グッゲンハイム美術館。

実はこの日の日中、娘の体調が悪化しました。いつもはものすごく熱い体が、なぜか冷たい。頭痛とむかつきを訴え、ぐったりしています。午後遅くまで休んで、予約してしまったペギー・グッゲンハイム美術館にとりあえず向かうことに。


ペギー・グッゲンハイム美術館のカフェ。元気になった後。

カフェで一服して、甘いものや冷たいものを摂取したら、元気になりました。美術館も楽しんだらしく、「やっぱり抽象画はあまり好きじゃない。キリコはいいかな?あとジャン・コクトーの特別展は面白かった」と生意気なことをいうまでに復活。



それにしてもベニス、日中は本当に暑い!天気予報で、日中は35度くらいになる、暑いとは分かっていましたが、来てみると耐え難い暑さ・・・建物がひしめいていて、水路もちょっと臭ったりするから?

夜も下手すると30度を超えます。ちなみに昨夜は「31度、体感38度」とグーグルお天気情報。


マジパンでお魚!日本人おすすめのお店、というサイトで見たお店、カルボナーラが
美味しかった。スズキのグリルもなかなか。イカ墨とポレンタ、イワシの南蛮漬け、鱈のクリームは懐かしい感じの味。

夜は元気になり、ご飯も楽しみ、あちこち歩き回って、ドブロブニクよりやや物価が安いので、お店を冷やかすのを楽しみました。


ドゥカーレ宮殿。

そして、次の日の朝、今度は私に寒気がきました!
喉も痛いし、頭痛もする。ビタミンCのサプリを飲んで、朝食の買い物をしようと外に出ましたが、炎天下なのに、寒くて仕方がない。アパートに戻ると、震えが来ます。ベッドに潜り込み、毛布を何枚も重ねても、震えて口がガチガチするほど。


ドゥカーレ宮殿からの眺め。

鎮痛剤を飲んで、少しおさまったので、とりあえずドゥカーレ宮殿を見に行きました。絢爛豪華、見事です。でも暑い中歩いて、またぐったりしてしまった娘と二人で「暑すぎて、楽しめない・・・」。

世界でも最大級という油絵「天国」を見ても「こういう天国は行きたくないよね」と文句を言い、金箔が重厚に施されたな装飾が「暑い中で見ると重すぎる」(笑)。

宮殿から見る海の景色と気持ちのいい海風に救われました・・・。


カルボナーラ、ピザ、まあまあかな。ウィンドウが楽しい。

ああ、ヘタレな私たち・・・。

夏の過酷さをちゃんと調べればよかった。ただ、ベニスでは、日本人観光客を結構見かけて、ちょっと安心(?)しました。ウィーンでもドブロブニクでもほとんど見かけず、80年代バブルの東京に留学していたウィーンの友人に至っては「日本人はもうウィーンに飽きて来なくなったのかと思った」。いいえ、違うのです、日本の経済力が落ちて簡単には来れないのです・・・。

ドブロブニクを上から眺めて、ウィーン経由でベニスに移動。

2024-08-11 18:47:57 | 日記

ドブロブニク最終日、やっとスルジ山頂に行き、旧市街を上から眺めてみました。観光写真で見てはきたけれど、はあ、きれい・・・。旧市街の反対側にはゴツゴツした平べったい山並みに囲まれた緑の大地。

7世紀から海上交易都市として栄え、12世紀から17世紀に作られた城壁に囲まれた要塞都市。1991年から1992年にユーゴスラビア軍から爆撃を受け、破壊され、内戦が終わるとすぐに修復し、今の姿になった、とあります。

最後の夜もハンバーガー(笑)。全部で120ユーロちょっと、2万円弱。

ドブロブニクの最後の朝早く、寝ている娘と仕事の夫を置いて、一人でアパートから10分ほど歩き、サンセットビーチで泳ぎました。小さなウニや魚がいっぱいいて、水もそれほど冷たくなく、人もあまりいなく、ゆっくり泳げてとっても気持ちがいい。もっと朝の海水浴を楽しめばよかった!


旧市街では猫の外でご飯。いつも出迎えてくれる3本足の猫ちゃんと最後のお別れ。

飛行機の都合で6泊になってしまったドブロブニク。なんだか馴染んでしまい、近所の猫数匹とも仲良くなって、離れ難い。素晴らしいテラスのあるアパートもとても快適でした。物価が高いのが辛いけど!

クロアチアの一人あたりのGDPは、世界順位57位、21,347ドルですが、ドブロブニクの物価は、今回最初に訪れたウィーンよりも、やや高いです。ちなみにオーストリアは17位、57,081ドル。ついでにポーランドは52位、21,996 ドル、日本は34位、33,806ドル。

物価について、タクシーに乗った時に、おしゃべりな運転手さんがいたので聞いてみました。

「物価はすごく上がってるよ。コロナで観光業が打撃を受けて、それを取り返そうと値段を30〜50%あげて、さらに去年ユーロになったから、便乗して2倍くらいになった。レストランやカフェに、地元の人はいけないね。観光ハイシーズンは、スーパーでも10%くらい値上げするから、地元民は大変だよ。」


ウィーンの空港で、シュニッツェル・サンド、リンゴのシュトルーデル、ソーセージにホースラディッシュ。テーブル角の木彫りのバーコードは、機能せず(笑)。

さて、ドブロブニク空港からウイーンに飛び、そこからベニスに飛びました。

空港からバスと水上バスに乗って、エアビーで借りたアパートへ。ドアを開けると、受胎告知のタペストリーや聖人の像が!

コロナを経て5年ぶりのヨーロッパ、娘が「水没するらしいから、その前にいつか行ってみたい」(!)と言っていたベニスも、格安チケットが見つかったので(笑)、訪れることにしたのです。

イカ墨のパスタ、魚介のグリル、ラビオリ。お値段はドブロブニクと同じくらい。アパートの大家さんが紹介してくれたお店で、大家さん割引がありました!

ベニスは夫は2回目、20年ぶりくらいとか。私は初めてです。


借りているアパート、折衷様式?

実は私、イタリアにあんまりいい思い出がないのです。

30年以上前、最初の結婚で、2度目の披露宴を前夫の故郷、イギリスで行った後、パリからフィレンツェに寝台車で行き、寝ている間に現金を取られました。よくある話らしく、警察はろくに取り合ってくれない。公休日が続いて銀行も閉まったまま。前夫はパリで食中毒を起こし、絶不調だったので、泣きっ面に蜂。散々なハネムーンでした。

フィレンツェの街自体は素晴らしく、クレジットカードは取られていなかったので、奮発して行ったエノテカ・ピンキオーリは素晴らしかった記憶があります。

でもね、なんとなくイタリアにはその後、足が向かなかった・・・。今回はしっかり楽しめますように!

ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産モスタル、クラヴィツェの滝へ。

2024-08-09 20:34:48 | 日記

朝早いアドリア海沿岸、少し走ると、内陸部の山がちなエリアに入り、葡萄畑などが見えます。

朝6時50分に集合の1日バスツアーに参加し、クロアチアの隣、ボスニア・ヘルツェゴビナの街と滝を訪れました。

出発して1時間弱で、国境につきました。クロアチアと違い、EUに入っていないボスニア・ヘルツェゴビナに入国するにはパスポートが必要です。観光客はバスに乗ったまま、ガイドさんが手続きをして、30分くらいで国境を通過。


ボスニア紛争で壊れた建物をそのまま残している。近くの河原でとれた石をそのまま使った道路、厚い石壁が残された世界遺産のモスタル旧市街。

ガイドさんの説明によると、旧ユーゴスラビアにはセルビア、クロアチア、北マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボの7つの国で構成されており、それぞれの国が高い税金を首都のベオグラードに納め、それを各国のニーズに応じて再分配されていたけれど、再分配される分はわずか。だったら税金を納めずに自国で独立した方がいい、ということでユーゴスラビア紛争が起こった、とのこと。

わかりやすい説明!

ユーゴスラビア紛争で、中にはひどく長引いたものまり、いろんな国が次々に独立していったのをニュースで見た記憶はあるのですが、そうか、そういうことだったのか、とスッキリしました。もちろん、もっと複雑な事情はあるんでしょうが。

15世紀から19世紀までオスマントルコの支配下にあったモスタルは、なんとなくイスタンブールを思わせる風情です。ハマム博物館、魔除けの目のお土産、トルコで見たような陶器があったり。

特にボスニア・ヘルツェゴビナはキリスト教でも正教のセルビア人とイスラム教のボスニア人の激しい戦いが長引き、国連が安全地帯と定めたスレブレニツァの虐殺というボスニア人の男性をセルビア人が8000人以上虐殺した事件があったり、悲惨を極めた・・・。ユーゴスラビア紛争のニュースで、民族浄化、という言葉をよく聞いたことを思い出しました。

ボスニア紛争中に壊され、再建された16世紀オスマントルコ時代に作られたモスタル橋から飛び込もうとお金を集める人と、川原でそれを見物する人たち。

ボスニアはイスラムの人が多く、ヘルツェゴビナはカトリックの人が多いそうです。

紀元前1世紀にはローマ帝国、6世紀からスラブ人が定住し始め、中世にはカトリックと正教会が布教争いをし、12世紀にはボスニア王国、15世紀にはオスマントルコ帝国、19世紀にはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下になり、第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国、第2時世界大戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国。

オスマントルコ時代が長かったので、イスラムの影響が強いのですね。


激しく爆撃を受けたエリアなので、世界遺産の旧市街以外は、真新しい建物が多いですが、たまに銃弾の跡が残る建物も見かける。お土産に銃弾のキーホルダーなども売ってます!

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、社会主義ではあるけれど、冷戦下では中立の立場を貫いたというユニークな立ち位置、というのはなんとなく覚えています。

イギリスの高校に交換留学していた時に、ホストファミリーの知り合いがユーゴスラビアに休暇に行き、「社会主義だけど、ソ連下にないから行きやすいし、アドリア海きれいでいいわ。お手頃だしおすすめ」といっていたのを妙に覚えているのです(笑)。

ひき肉を棒状に固めたチェバプツィにピタパンとフレンチフライ、ニジマスのグリル、キャベツやパプリカにひき肉とお米を詰めたドルマ。どれも美味、そしてドブロブニクの半分くらいのお値段で嬉しい(笑)。

モスタルの天気予報を見ていると連日最高気温36度とか37度、最低気温も24、5度とかなり高くて、さらに現地ガイドさんが「モスタルは40度を超えることもあるし、50度になって地面で卵焼きを作ろうとする」と冗談を言っていたので、どうなることかと戦々恐々としていました。しかし、この日は曇りで、途中から雨が降り、それほど暑くなくてホッとしました。恵み、というか救いの雨です。



車でさらに1時間ちょっといったところに、クラビツェの滝がありました。


高さ25メートル、幅120メートルの滝。

泳げると聞いていて水着も用意したのですが、モスタルで雨に降られ、水温も思ったより高くなかったので泳がずじまい。あとでちょっと後悔・・・。


バスからの眺め。

朝7時前に集合、解散は夜8時過ぎと長い日帰りツアーでした。

参加してとても良かったと家族3人の一致した意見でしたが、集金の仕方が謎でした。最初に半額払って、残りはバスの中で現金で払う。滝に行くのに税金などお金がかかり、それをまたあとで現金で集金する。どうせかかるお金ならば、参加費に含めて、最初から集金すればいいのにね?と夫と不思議がっておりました。

また参加者名簿がなく、予約したグループの代表者の名前のみ、ガイドさんの携帯に入っていたようです。ツアー中に、残金が残っているグループの代表者の名前を連呼していましたが、名乗りあげない(笑)。ツアーの途中で密かに名乗りあげたらしく、バスを降りたところで揉めていたようです。

ツアーに参加する時も、道路にスタンドを出しただけのイケメンのお兄さんに、参加費の半額を現金で払い、彼は誰かに電話をかけてから、手書きしたメモのような予約票をくれただけだったので、バスに乗るまで、もしかして騙されたかも、と不安でしたが、単におおらか、というかいい加減だったのね(笑)。



バスから降りて借りているアパートまでの道のり、またいつもの猫ちゃんたちがお出迎え。3本足ちゃんは、娘に懐いています。

出かける気力もなく、昨日の残り物に、インスタントのマッシュルームスープなどの夕食。スーパーで買ったソーセージが、チェバプツィのクロアチア版だったのでなんだか嬉しく、美味しくいただきました。

いつも見えていた大きな客船が出航したらしく、見当たりません。どこからか"Just the Two of Us"や"Time After Time"などの歌声が聞こえます。「なんだかずっとここにいるみたいだね」などと話しておりますが、この夜景を楽しめるのもあと一晩です・・・。