んー、節分なのに大雪・・・
立春という時節で春のはずなのに・・・
東京地方は2年ぶりの大雪であり、外の世界は真っ白。
昨日、鎌倉の建長寺へ座禅に行った。
この時期に座禅へ行くこと自体、私の頭のネジは狂っているみたい。
気温5℃前後の寒い大部屋で、裸足になって、ナムー。
最初に、参加者全員で般若心経を木魚に合わせて唱える。
それから10分の座禅タイムへ突入、ここからは何があっても動いてはいけない。
クシャミをしたり、咳をしたりしてもいいが、拭ってはいけない。
鼻チョウチンになっても、痰が出ても、そのままの状態にするのだ。
それが禅なのだ。
ここでの座禅法は数息観という方法。
「一つ」と心の中で数え、「ヒト」ってところで鼻から息を深く吐き、「ツ」ってところで鼻から息を深く吸う。それを1~10まで数え終ったら、また1から始める。とにかく、ゆっくりと呼吸を行う。ヘソの下にある丹田まで呼吸を届かせるように行う。
あれっ、これってハタヨガの呼吸法と同じじゃない?
心の中で数を浮かべてカウントするが、頭には雑念が次々と浮かぶ。
座禅後は何を食べに行こうか、この寒さじゃ風邪引くかもとか、もう足が痛いから早く終らないかななど・・・
とにかく雑念三昧、まったく座禅三昧の境地に達せず。
ご住職が警策のために、のんびりと部屋を回る。
ここまで来たら、やはりバシッと肩を打たれたい。
が、相変わらず私の肩は少々痛い。
この状態で打たれて大丈夫だろうか、心配しつつも打たれたい。
これが禅の醍醐味だろう。
最初の座禅が終了し、しばらく休憩。
もう足を崩すまでが大変、痛さも麻痺しているほど。
次の座禅には、必ず警策を受けようと決心しつつ座禅開始。
早速、ご住職が目の前に来た瞬間に合掌。
手を胸の前に交差して、体を60度に傾ける。
さー、いつでも打ってください、どちらからでも打ってください。
右肩を「ハシッ」と二度、左肩を「バシッ」と二度打たれる。
あれーーー、何か拍子抜け。
音は鈍いわ、痛くはないわ、本当に拍子抜け。
座禅といえば「パシッッッーーー」って、あの天井へも響くような音が特徴でしょ。私はあれを求めていたよ、あの気合を注入して欲しかったよ。
隣からは、私の望んでいた音が聞こえる。
ご住職ってば、女子を打つときと男子を打つとき違うんだわ。
女子には痛くしないように、男子には厳しくしてるみたい。
そんな優しさいらないのに・・・
禅の前では平等であるべし。
最近、文章のキレが悪く、ブログもマンネリ化。
自分でも気付いていた。だって私自身が楽しくないって感じていた。
だから少しブログを休んでみた。
今回の座禅によって、自分に少し喝が入ったような気がする。
〝寒い中で静かに座る〟時には良いものです。
本日の節分に備え建長寺で豆まきの準備をしていた。
鎌倉八幡宮では弓の練習をしていた。
それなのに雪・・・無事成功したのだろうか。
立春という時節で春のはずなのに・・・
東京地方は2年ぶりの大雪であり、外の世界は真っ白。
昨日、鎌倉の建長寺へ座禅に行った。
この時期に座禅へ行くこと自体、私の頭のネジは狂っているみたい。
気温5℃前後の寒い大部屋で、裸足になって、ナムー。
最初に、参加者全員で般若心経を木魚に合わせて唱える。
それから10分の座禅タイムへ突入、ここからは何があっても動いてはいけない。
クシャミをしたり、咳をしたりしてもいいが、拭ってはいけない。
鼻チョウチンになっても、痰が出ても、そのままの状態にするのだ。
それが禅なのだ。
ここでの座禅法は数息観という方法。
「一つ」と心の中で数え、「ヒト」ってところで鼻から息を深く吐き、「ツ」ってところで鼻から息を深く吸う。それを1~10まで数え終ったら、また1から始める。とにかく、ゆっくりと呼吸を行う。ヘソの下にある丹田まで呼吸を届かせるように行う。
あれっ、これってハタヨガの呼吸法と同じじゃない?
心の中で数を浮かべてカウントするが、頭には雑念が次々と浮かぶ。
座禅後は何を食べに行こうか、この寒さじゃ風邪引くかもとか、もう足が痛いから早く終らないかななど・・・
とにかく雑念三昧、まったく座禅三昧の境地に達せず。
ご住職が警策のために、のんびりと部屋を回る。
ここまで来たら、やはりバシッと肩を打たれたい。
が、相変わらず私の肩は少々痛い。
この状態で打たれて大丈夫だろうか、心配しつつも打たれたい。
これが禅の醍醐味だろう。
最初の座禅が終了し、しばらく休憩。
もう足を崩すまでが大変、痛さも麻痺しているほど。
次の座禅には、必ず警策を受けようと決心しつつ座禅開始。
早速、ご住職が目の前に来た瞬間に合掌。
手を胸の前に交差して、体を60度に傾ける。
さー、いつでも打ってください、どちらからでも打ってください。
右肩を「ハシッ」と二度、左肩を「バシッ」と二度打たれる。
あれーーー、何か拍子抜け。
音は鈍いわ、痛くはないわ、本当に拍子抜け。
座禅といえば「パシッッッーーー」って、あの天井へも響くような音が特徴でしょ。私はあれを求めていたよ、あの気合を注入して欲しかったよ。
隣からは、私の望んでいた音が聞こえる。
ご住職ってば、女子を打つときと男子を打つとき違うんだわ。
女子には痛くしないように、男子には厳しくしてるみたい。
そんな優しさいらないのに・・・
禅の前では平等であるべし。
最近、文章のキレが悪く、ブログもマンネリ化。
自分でも気付いていた。だって私自身が楽しくないって感じていた。
だから少しブログを休んでみた。
今回の座禅によって、自分に少し喝が入ったような気がする。
〝寒い中で静かに座る〟時には良いものです。
本日の節分に備え建長寺で豆まきの準備をしていた。
鎌倉八幡宮では弓の練習をしていた。
それなのに雪・・・無事成功したのだろうか。
大きな跳躍・・・そう思いたい。
つい早急な答えを望んでしまうもの。
とにかく前へって思っている私は、やはり未熟モノ。
動くときには、きっとすべてが動くんだよね。
そう、きっと・・・
全てのことに言えるのだが。。。
大きい跳躍に必要なのは、長い助走。
または、
レベルが上がれば上がるほど、完成までの練習時間が多くなる。
前へ前へと行けるうちは、
その段階は、まだまだなのだと私は思うが。
前へ前へと行けなくなってからが、人生の本番だと思うよ。
先日はありがとう。
自分の状況を理解してくれる人がいるだけで、話を聞いてくれるだけで、ホッとします。自分を肯定してくれるだけで安心します。
前へ前へ進むしかないことは分かっていても、それが難しいときってあるから・・・
まだまだ未熟ものだな・・・
また語りの昼下がりしましょ♪
そういう時期は、モテ期が人生に3度あると言われるように、人生には何回かあるんだよね。
それを、静かに禅の時のように達観できるのが、人生の達人ではないかと思われる。
という、わちきは、もちろん人生の達人でないので、うろたえる。
いや、うろたえまくるのも、わちきらしくていいのか?
ayamは禅で取り戻せたみたいで、さすがなのだ