small daily happiness

旅人の私が探す日常の小さな発見

シャンティ

2006年02月13日 | インド
今回の中国・インド旅行本当にトラブルもなく、大きなセクハラもなく、楽しい毎日だった。

この旅行で出会ったすべての人に・・・
この旅行中、私を見守ってくれたすべての人に・・・
本当にありがとう

日本にいても、インドにいても、どこにいても、シャンティシャンティシャンティ

体調はよくなりつつあり・・・ただ水下痢続行中!!!
インド旅行経験者たち曰く「初インド帰国後は体調を崩す」とのこと。

エルビスゲストハウス

2006年02月13日 | インド
夜に到着したバナーラス駅からオート三輪タクシー運転手オススメ『エルビスゲストハウス』怪しい名前でしょ?オーナーが、あのエルビス・プレスリーファンなんだって。もちろんインド人。かなり部屋はキレイ、屋上のゴハンは美味しい、ビールも買ってきてくれる。ただ従業員たちが親切すぎて、うざい。ここのオーナーの願いは『地球の歩き方』に掲載されること。掲載されたら、本持参者には宿泊料を30%オフにするとのこと。誰か載せてあげてください。

この宿の周辺はバナーラスのメインから外れているので、静か静か。イスラム人街になるので、頭からスッポリと黒いベールをした女性なども見掛ける。ここの子供たちは外国人を見ると「ハロー」と気軽に声を掛けてくる。カワイイなー。

そうそう、ここの近くに日本人が経営するカフェを偶然発見。インドらしくない外観のi:baは、メニューもインドらしくない。ラップサンドやケーキなどがメイン。内装もソファー席があり落ち着くし、まるで今話題の表参道にありそうなカフェ。オーナーのアキオさんは穏やかで、いつも微笑んでいるよう。ホームページを見てみると、カフェはアンテナショップで色々とインド関係で仕事をしているよう。カレーに疲れた時、インドに疲れた人にはオススメ。ぜひ行ってみて。

沐浴と火葬場

2006年02月13日 | インド
私の宿泊先からガンジス川沿いに火葬場マニカルニカー・ガートへ徒歩で向かう。ガンジス川では洗濯をしている人々、沐浴しているの男性、泳いでいる男の子たち、川岸で遊んでいる子供たち。

途中にある小さなガードに人垣ができていた。なんだろうかと立ち止まっていると、丸太が四角形に組まれ、金色のビニールに包まれた亡骸が運ばれ、突然そこで火葬は始まった。亡骸は一度ガンジス川で清められ、丸太に乗せられ、火を点けられる。まず亡骸を運ぶ人は四人。毎回、人を変えるとのこと。火は決められた火種から運ばれ、マッチやライターで火を点けてはいけない。その火種は何年も絶えたことがない。もちろん火を点ける人も決まっていて、丸太の周りを家長とともに何周かして火を点けていた。ワラや何か臭い消しのスパイスも一緒に燃やし、2~3時間で、すべて燃えきるらしい。ただ男性は胸、女性は腰が燃え残るので、それらはそのままガンジス川に流すとのことだった。そして10歳以下の子供、妊娠している女性、ヘビに咬まれた人などは燃やすことが出来ないので、亡骸に重しの石をつけて、そのまま流すらしい。
ヒンズー教徒の人々にとって、ガンジス川で死ねるということは最高の喜びのため、一日中火葬場の火が絶えることはない。丸太が組まれた場所から1メートル横には別の丸太という感じで、この狭いガート内にも六体ぐらいの火葬が行われていた。このガート周辺の道路沿いは、すべて火葬するための店だった。ガンジス川で来る途中で亡くなる人を拾うためのトラックも数多く並んでいた。

このガートで知り合ったインド人カーンに、色々と英語で説明してもらった。ガイドではないと名乗るが・・・すごく分かりやすく、インド人にとって死とは特別なことではないことが理解できた。火葬している横を人々は普通に歩いているし、死体を流した川の水で歯を磨く。インド人の考えはシンプルな気がする。インドの街は汚いかもしれないが、人間が食べ残したものを牛・豚・犬・猿が食べる。多くを持っているモノが、持っていないモノを助ける。

始まりの時

2006年02月13日 | インド
バナーラスの朝は早い。

日の出を見るために、早朝一人でボートに乗る。暗く霧がかったガンジス川に無数のボートの姿が現れた。私のように客とボート漕ぎだけの人、大人数でワイワイ言いながら乗っている人々。皆の目的は、あと数分後の朝日・・・

ボート漕ぎのオジサンが、ある方向を指差す。
そこには、真っ赤で丸いモノが今にも出現しようとしている。それは徐々に何かに押されるように昇ってきた。真っ赤な色が、赤に、オレンジに、そして黄になり、空に溶け込んだ。すべては、本当に一瞬だった。だが私の胸はいつまでも、その光景にドキドキとしていた。

インドの列車内

2006年02月13日 | インド
ハリドワールからバナーラスまでは、エアコン付き二等寝台特急へ乗った。さすがに値段が高いだけあり、寝具(シーツ・毛布・枕)の貸し出しあり。二段ベッドだし、個々にカーテンがあった。そりゃ、グッスリ眠れた。

バナーラスからデリーまでは、二等寝台特急だった。値段は前者の三分の一ほど。ベッドも三段、昼間は二段目をたたみ、一段目が座席になる。私は一番上だったので、昼間もゴロゴロ、夜もスヤスヤ。しかし、明け方などは寒い。毛布持参だったので助かった。寒さの原因は、近くにいた早起き子供が全開の窓に大はしゃぎ。寒いし、うるさいし・・・

その二等寝台の中で、事件は起きた。
私の下の段や周辺は欧米人旅行者ばかりだった。私としては安心していた。ベッドの下の段から手が伸びてきて、体を触られまくるという噂だったから・・・それはまったくなく、良かった。良かった。
さて、斜め前のベッドにはインド人家族が寝ていた。早朝、そのベッド上段に見覚えのないインド人男性が座っていた。「この人って、ここにいなかったよな」と私は昨夜のボンヤリした記憶を思い出していた。そのインド人は突然、ベッドから降りると目の前の欧米人の荷物を手にしようとした。「えっ、何?」という間に、彼は走り出し列車から飛び降りた。荷物は鍵で繋がれていて未遂で終わった。未遂だったが、驚いたって。

リシケシで知り合った友人は、列車の中でお金をすべて盗られたらしい。いったい、何が起きたのだろうか?

プージャーの火

2006年02月11日 | インド
実際に日没後のプージャーに参加してみると、すごい。インド楽器の演奏に合わせ、少年僧が祈りを歌い、見ている人々がリズムをとる。もう、それだけで一体化した空気が流れている。あー、今日も幸せだったなーって気分。
そこへ礼拝僧が登場すると、場の空気がピリッと神聖なモノに変化した。彼の祈りの歌声の中、燭台の火が会場内に回される。誰も彼もが、この時は平等になっている。燃える火を眺めていると、すべてのことが小さなことに思えてくる。
次々と人々がガンジス川に花を流していく。あー、自然に感謝。あー、今日出会ったすべての人に感謝。あー、インドに来れて感謝。そんな気分になれる。