small daily happiness

旅人の私が探す日常の小さな発見

プチ放浪 虹のち涙

2009年12月13日 | 京都・山陰
ヴィパッサナー瞑想中に思ったこと。
今回の私のプチ放浪は、なんか島根で終わりそう。
なんでそう感じたか分からないけれど、そんなことを確かに感じた。

そして、それは現実となった。
島根を脱出して、鳥取を経由して、京都へ向かっていた私たち。
その後、滋賀を経由して、奈良へ向かう予定だった。
もう限界だったみたい。
疲れや溜まっていたものが溢れ出したみたい。
友人たちが、「ごめんね」から始まり、それぞれの思いを言葉にする。
私は、私は・・・

もう大丈夫だと思っていた。
だけど・・・
車を運転出来ず・・・
ナビ下手で・・・
無計画で・・・
私が彼女たちに役立っていることって?
気付けば、二人の旅に同行している状態だった。
私たちの旅から、彼女たちの旅になっていた。

いつも後部座席から、そんなことを感じていた。
仕方ないと思いつつも、自分を責めていた。
自分を嫌悪し、自分を貶め、自分でサンカーラを作り出す。
涙が出始めたら、いつまでも涙が止まらない。
自分が感じている以上に、深く傷ついているよう。
ヴィパッサナー瞑想10日間コース後だから、心の壁はいつも以上に薄く、すべてに対して感じやすく、傷つきやすいのかもしれない。

色々な浄化をして、変化中の私。
自分でも変化した自分とどう付き合うか、他の人とどう接すればいいか戸惑っている。
浄化前の私は、自分の心のまま単純だった。
今より自分の意見や考えを押し付け、必要以上にお喋りだった。
ヴィパッサナー瞑想を始めて、自分の本質が少しづつ出てきている。
今までの経験・コンプレックス・トラウマが自分を守るすべとして、本質に色々な殻を被せる。
それが一枚一枚取り除かれている状態なのだ。
コース終了後には、何かしら変化がある。
今回も変化の途中なのだろう。
10日間コース中に解消されなければならなかったサンカーラ(反応・反発)の影響でか、いつまでも涙は止めどなく溢れる。

もう彼女たちと一緒に旅を続けることは無理だった。
私は京都で彼女たちと別れた。
楽しい旅を、ありがとう。
そして、ごめんなさい。
静かに泣かせてくれて、ありがとう。
こんな私だけど、これからもよろしくね。

プチ放浪 やっと島根脱出

2009年12月13日 | 京都・山陰
本当に島根はいいところ。
三瓶山をハイキングしたり、温泉津で温泉へ入ったり、琴が浜の古民家へ泊まったり・・・
行く場所、行く場所、どこも満足。
行きたい場所が次々と現れ、私たちを誘う。
なかなか島根県を脱出することが出来なかった。

そんな私たちが、なんとか松江へ到着。
松江も見どころ多そう・・・
だけど、ここでノンビリしていたら次へ進めず・・・
ってことで、横目で宍道湖を眺めながら鳥取県へ向かった。
まったくノーマークだった鳥取。
鳥取といえば鳥取砂丘、それしか浮かばず・・・
一応、ちらりと行ってみた。
感想は、どっちでもいいかな。

友人たちと旅を開始して、早数日。
少しづつ調和が整ってきたような・・・
そろそろ疲れも出てきたから、違う不協和音も聞こえるような・・・
やっと馴染めたと感じていた私だけど・・・
友人が日に日に疲れていくのを目にする度に、自分の不甲斐なさを感じていた。
私に何か出来ないだろうか。
私は彼女の役に立っているだろうか。
旅というスピードが早すぎて、実際の私たちを追い越してしまっていたのかもしれない。
もっと、ノンビリしていたら違った結果だったのかもしれない。

プチ放浪 佐田という町

2009年12月13日 | 京都・山陰
私と同じ名字の町がある。
ただそれだけで、行こうと決めた佐田町。
実は、すごいパワースポットの須佐神社がある町。
あの江原さんが本で紹介したり、あの美輪さんが訪れたりしてるんだって・・・

神社へ行くなら、朝早い時間。
ってことで、朝もやが漂う須佐神社へ到着。
出雲大社とは違い、こじんまりとした町の神社。
天照大神の弟・須佐之男命がご祭神。
拝殿に上がらせてもらっただけで、神さまを感じました。
特に右側・・・
どうやら神さまが中央ではなく、右側に鎮座しているとのこと。
本殿の外をグルリと回ると、気がガラリと変わった。
手がピリピリとして、体は右回りで、芯がシャンとする。
神聖なものを身近に感じる。
神話の中では、暴れ者だった須佐之男命だけど、私が感じた気は穏やかだった。

須佐神社を後にする頃には、空は青く澄み渡り、紅葉した山と稲刈りが終わった緑の田が調和した風景だった。
自然と神さまの佐田町。
いつかまた来たいところ。
いや、いつかまた訪れる予感。

プチ放浪 稲佐の浜

2009年12月13日 | 京都・山陰
出雲大社を後にして、出雲大社の門前町へ繰り出した。
神在月だからなのか、出雲の人々は親切で優しい。
島根県を旅している間、ずーっと感じていたのだけど、島根の人々はのんびりしていて優しいんだよね。
心に余裕があるというか、人との交流を大切にしているというか・・・
ガツガツしていないし、エゴを押し付けてこないし・・・
すごく癒される出会いばかりでした。

この時も、一軒の古民家を訪れた。
若いカップルが雑貨屋さんを営んでいて、彼らに色々な情報を戴いた。
ここの蕎麦屋が美味しいとか、あそこの山がいいとか・・・
こういう出会いって、海外放浪と同じ。
計画ってあってないようなもの。
彼らとの出会いによって、私たちの次の旅先も変更された。
点のような情報が、線へと変わっていく瞬間。

神さまたちが最初に降りるという稲佐の浜へ。
荒くれた日本海というイメージを払拭するほど、穏やかで澄んだ海。
そこは白い砂浜と青い海、どこか島にいるよう。
神さまの島の根っこ、そこが島根県。
だから、島にいるっていうのは正しいのか。

プチ放浪 出雲大社

2009年12月13日 | 京都・山陰
〝日本の神さまカード〟というのを持っている。
これはエンジェルカードとかオラクルカードのようなもの。
初めて引いたカードは、出雲大社のご祭神である大国主命だった。
「自分のハートと繋がれ」というメッセージ。

あれから10ヶ月・・・
ご縁があり、神在月に出雲大社へご参拝。
太陽暦では、10月が神無月。
ここ出雲では、全国の神さまが集合することから神在月となる。
旧暦の神在月に合わせ、11月26日~12月3日まで神在祭が行なわれる。
私たちが訪れた日は、縁結大祭なるものが・・・

初めて訪れた出雲大社は、他のどこの神社とも違って感じた。
しっかりと地に落ち着いた印象。
伊勢神宮に似た雰囲気の神社は時々ある。
シーンと透き通る天の感じ。
現在の出雲大社は平成大遷宮でご祭神は仮殿へ、平成25年に完成となる。
仮殿前は縁結大祭のテントが並び、なんだかガッカリ。
縁結大祭は、玉串料3,000年ってことで参加せず・・・
その奥の修復中の本殿へと足を運ぶ。
私の中では仮殿ではなく、こちらに神さまがいるように感じた。
こちらで二礼・四拝・一礼のご挨拶。
やっと訪れられたこと、友人たちと来れたこと、いつも導いてもらっていること、多くの感謝とお礼を思いつつ・・・

出雲大社といえば、ビックリ大きさの注連縄でも有名。
本殿にあると思っていた私・・・
実は神楽殿にあったわ。
横から見ても、下から見ても、大きい。
よく下から見ると、硬貨が挟まっている。
投げて、うまく挟まると、願いが叶うとか・・・
もちろん、やってみた。
何度目かで、やっと挟まった。
これで願いが叶うかな。
って、私の願いって何だっけ?

プチ放浪 ついに出雲

2009年12月11日 | 京都・山陰
京都より深夜バスで、早朝出雲駅に到着。
ありゃ、思ったより駅周辺栄えてないわ。
こりゃ、どこで時間を潰そう・・・

それから四時間後、関東から車でやってくる友人たちと合流。
一人は旅友、もう一人は二度ほど会った友人。
深夜に高速を飛ばしてきた彼女たちは異常にテンションが高い。
すっかり二人の世界が完成しているようで、その中に入れない。
私がヴィパッサナー後で、気後れしているだけなのか・・・
それとも会ったばかりで馴染んでないだけなのか・・・
人に合わせたり、その場を楽しめるから大丈夫なはず・・・
こうして女三人旅は始まった。

一日目は、出雲市内でまったりと過ごした。
出雲そばを食べたり、グルグル散歩したり・・・
明日は、ついに出雲大社。

プチ放浪 鞍馬山と貴船神社

2009年12月09日 | 京都・山陰
ヴィパッサナー瞑想終了後・・・
毎回ダンマバーヌのセンターを出て、下界に戻ると心身ともに辛い。
それは音だったり、色だったり、人の多さだったり・・・
とにかくゴチャゴチャしたものが、一気に押し寄せてくるのだ。

そこで、今回は・・・
コース終了後の一泊をセンターで過ごした。
サスケア先生の指示の元、雑草を取ったり、草花を植えたり。
私は瞑想とかしていると気が上に上がりやすい。
だから、土いじりはグランディングになって良かった。
一緒のコースだった人やコースマネージャーやコース間にやってきた人々と色々とお話出来たのも良かった。
会ったばかりの人に悩みを相談出来る。
なーんか、ここだと自分の素をさらけ出せちゃうんだよね。

その次の日に、センターを後にして鞍馬山へと向かった。
京都でパワースポットといえば〝鞍馬山〟らしい。
一回目のときにそう教えてもらい、二回目のときに行こうと思っていたが時間なく、やっと三回目にして実現。
センターから近くの駅へ向かうバスの中はクラクラしていたが、いつもより下界に馴染みやすかった。
やはりセンターに一泊したのは正解。

紅葉で染まった鞍馬山は、古くから大切にされている雰囲気。
クネクネした山道を登り、色々な神さまにご挨拶。
ここも天狗信仰の場であり、静かな頃の高尾山と似ているって思った。
地蔵堂を過ぎると、突然ピーンとした空気に変わった。
それは木の根道のところまで続いた。
奥の院魔王殿に到着すると、普通の空気に戻った。
私の奥はスゴイ神話崩壊。
一番自然が深いところ、一番標高が高いところ、パワーがあるところ。

そのまま山を下ると、貴船神社へ到着。
なんと今日まで、もみじ灯篭というイベントでライトアップ中。
更に、バチホリックという太鼓集団の演奏あり。
その演奏は日本そのものであり、心を体を魂を動かすもの。
今まで静の状態が、突然動の状態に・・・
この極端なシフトチェンジ・・・
なんか気持ち良い。
神社と太鼓、演奏と観客、月と紅葉、すべてが調和している。

この流れで、出雲って最高。

プチ放浪 青不動明王

2009年12月07日 | 京都・山陰
外は寒いが、心はホッコリ。
そんな温かな気持ちで、青蓮院へ向かった。
1000年ぶりに、ご開帳された青不動明王が目的である。
この寺院でご開帳されるのは平安時代ぶり。
あまりに遠すぎる時の流れに、まったく実感なく・・・

ただタメ息・・・
言葉が出ない・・・
掛け軸の中の青不動明王は尊厳。
落ち着いた色目が、1000年という時の流れを感じさせ、いつまで眺めても飽きることがない。
雨だったので、そこまで混雑することなく、ゆっくりと向き合えた。
いつまでも、いつまでも静かに眺めていたい。

その内、ご住職の講和が始まった。
引き続き、お護摩焚きも始まった。
一日二度、11時と14時に行なわれるお護摩焚き。
やはり京都らしくシットリとしている。
静かな中にある熱い炎。

さぁ、これで京都での用は終了。
心おきなくヴィパッサナー瞑想に集中出来るはず。

プチ放浪 東寺の老夫婦

2009年12月07日 | 京都・山陰
横浜から京都へ深夜バスで向かった。
京都へ近付くほど、雨は大降り・・・
紅葉の京都、だけど雨・・・
雨って浄化の意味もあるんだっけ?
そんなことを思い出しながら、早朝の京都駅に降り立った。

暗い道を、トコトコと東寺へ歩く。
東寺は真言密教誕生の地。
早朝6時から弘法大師空海の住居であった御影堂(大師堂)で、生身供が行なわれる。
一の膳・二の膳・お茶を備え、弘法大師空海を思う時間である。

一人静かに座っていると、気の良さそうなご老人に声を掛けられた。
「どっから来たん?」
「こっち座り」
あれこれ気に掛けてくれ、この生身供の流れを教えてくれた。
最初に、ハンナリと般若心経。
とにかく優しい、京都らしい般若心経。
続いて、弘法大師空海の一生が綴られた文章を独特の節に合わせて詠む。
老人が教本を貸してくれていたので、何とか皆さんと一緒に声を合わせてることが出来た。
最後に、弘法大師空海が中国から持ち帰ったという仏舎利を眉間と手に戴く。
その香に包まれ、本当に弘法大師空海は愛されているなと感じた。

終了してから、気の良さそうなご老人と会話再開。
「おっちゃん、いくつに見える?」
「70歳ぐらいかな」
「いや85歳やで。しかも病気だらけや」
お話を伺うと、ハリのある健康そうな顔色だけど、各所に癌が発見されたり、仙骨を損傷していたり、とにかく一般的には重病人なのだ。
だけど、毎朝必ず弘法大師空海に手を合わせに来る。
それで病気もどこ吹く風状態。
医者が驚く状態らしい。
これって信仰の強さだろう。

「今日がダメでも、明日がある」

そんな一言を残して、寄り添っていた奥さまと帰られた。
すごく心が温まった出会いだった。

京都→島根→鳥取→京都

2009年12月05日 | 京都・山陰
今晩、関東に戻ります。
長かったような、短かったようなプチ放浪。

色々な場所へ行った。
色々な景色を眺めた。
色々な人に出会った。
色々な神さまを感じた。
色々なご縁が繋がった。
色々なことがあった。
色々な感情が現れた。

色々とありがとう。
そして、色々とごめんなさい。

詳細は追って報告します。