small daily happiness

旅人の私が探す日常の小さな発見

サティパッターナでの気づき

2010年04月04日 | 瞑想のこと
ヴィパッサナー瞑想のサティパッターナコースを終えて・・・
今までで一番静かに座れ、今までで一番大きな気づきがあった。

このコースは、ヴィパッサナー瞑想を初めて一年以上で、10日間コースを3回以上終了し、毎日瞑想する努力をしている人に参加資格がある。

今回の参加者は・・・
男性20名、女性16名。
いつもの半分以下の人数なので、どこも混み合わず、どこも静寂。

それは瞑想同様で・・・
1日目から、通常の10日間コースのヴィパッサナー瞑想が始まる4日目のよう。
誰も動かない。
何の音もしない。
静かすぎて、耳がピキーンってしている。
誰もが真摯に瞑想。
初っ端から、そんな一時間。
んー、噂通り・・・

瞑想を始めると・・・
雑念やら妄想やら、ジャンジャカ現れる。
思考は自分勝手に、あれやこれや脈動なく現れる。
今までは、そんな思考たちに捕われている状態だった。
今回は“今は雑念”“今は妄想”と気づくことに気づいた。
ただ気づきながら観察する。

ヴィパッサナー瞑想とは、呼吸と感覚を観察する。
ただ呼吸と感情を観察する。
そう思っていた。
実は、心を、心の中を観察することを今回知った。
今までは感覚を観察することによって、時々自分の抱えていた心にあるものが表面に現れては消えていた。
今回は、心を観察してみる。
すると、過去に抱えていた虚栄心や自己顕示欲が顔を出した。
本来の自分以上に、他の人に自分を大きく見せたがる。
曲がった自己主張。
本当の自分を表現出来ない。
認められない自分にガッカリし、認めてくれない他人にイライラする。
それは幼少期から大人になるまで、様々な場面が現れては消えた。

春の山の天気は気まぐれで・・・
京都のセンターに到着したとき、ヒョウが降っていた。
夜に雪が降り始め、朝には銀世界の日もあった。
雨降な日が多かった。
強風で庭の木が倒れるかと思った日もあった。
そんな中、見事なブルームーンに照らされた。
庭の木々は芽吹き、少しづつ花が咲き、少し遅い春が訪れている。

静寂な中での瞑想。
心の中も静かになっていく。
気づくと、今まで体験したことのない静けさを感じていた。
それは数秒だったか、数分だったか・・・
ここまで心って静かになれるんだ。

8日間のサティパッターナコース。
いつもより2日少ないのが短く感じる。
終わってしまうと思うと、なんだか寂しくなった。
日常生活から、もっと真剣にヴィパッサナー瞑想を実践しようと誓いつつ・・・
無事、サティパッターナコース終了。

このコースに参加出来たこと、
仕事を休ませてもらえたこと、
色々と気づけたこと、
無事コースを終了出来たこと、
一緒に座れた人々、
コースを支えてくれた人たち、
すべてに感謝。
そしてメッター。

年末年始瞑想キャンプ

2010年01月03日 | 瞑想のこと
寒空の下、千葉に新しく建設中のヴィパッサナー瞑想センター“ダンマディッチャ”で三日間のセルフコースに参加。
初ダンマディッチャ、初セルフコース、初めて会う男性参加者の方・・・
初めてだらけで緊張するな。
私以外の他の方たちはヴィパッサナー瞑想のベテランさんばかり・・・
お邪魔にならないようにせねば・・・
セルフコースといっても、一日のスケジュールは10日間コースと同じで、聖なる沈黙、男女の分離も同様である。

現在のダンマディッチャは、キッチン・瞑想ホール・トイレの建物はあるが、宿泊する建物はなくテントとなるのだ。
広大な元野球場の敷地に、男性テントゾーンと女性テントゾーンと分かれて、テントが点在している。
この広い敷地を男性3名、女性2名の参加者だけで贅沢に使用。
この季節に、寒空のテント・・・
そりゃ強者揃い、かなりのM集団。
静かだし、人のことを気にせず、瞑想だけに集中出来るかも・・・
いや、その考えは甘かった。
自然の厳しさを体感するのである。

早朝4時に、零下の中で目覚める。
霜柱を踏みしめながら、瞑想ホールへ向かう。
山へ沈む月が美しい。
東、南、西、三方を山で囲まれていたので日照時間が非常に短い。
それだけに太陽の有り難さを身をもって感じる。
太陽の温かさで、すべてが融ける。
太陽の恩恵を心から有難く感じる。
普段、当たり前に思っている自分に気付く。
いや、気付かされた。

瞑想はといえば・・・
寒くて集中出来ず…
眠くて集中出来ず…
寒いから眠いのか、眠いから寒いのか・・・
それとも、表面に出るのを嫌がるサンカーラがあるってことか・・・
暖房があるのに、毛布があるのに、大量に服を着ているのに、身体の芯が冷える。
環境に振り回されてしまう私はまだまだ・・・
それでも集中出来た瞑想では、過去に何気なく言われ、傷付いた情景が次々出てきた。
そして、しばらくすると消えた。
時には、フワリと消えた。
いくつかのことは手放せたよう。

サーブなしのセルフコースってことで、食事はコース前に用意。
男性陣が大量にカレーを作ってくれた。
友人がけんちん汁を作ってくれた。
私がうどんを茹でた。
ある寒い朝には玄米粥が用意された。
温かな食事が心身を温める。
聖なる沈黙で話せないからこそ、他の方々のメッターを感じる。
さりげなく用意してくれたほうじ茶、その一杯に救われる。
メッターのあり方を教わったよう。
奉仕って自分を投げ出すことではなく、自分がしっかりと立った上で行なわれることだと気付いた。
昨年の私は、そこを勘違いしていたよう・・・
自分を投げ出すことを奉仕って考えていたよう・・・

2010年は満月からスタート。
山から昇った満月を眺めていると、一瞬だけ雲が龍の形に見えた。
その光景は、この世のものとは思えず・・・
つい合掌してしまう神々しさ。
こんなとき、聖なる沈黙は辛い。
皆に知らせたい。
そんな衝動を抑えつつ、また夜空を眺めた。
すると龍は消えていた。
自然はアニッチャー、すべて移り変わっている。

自然の恩恵、日常の有難さ、メッターの気持ち。
大変だった分、気付きだらけのセルフコース。
最後は感謝で溢れた。
今年もよろしくお願いします。

写真:現在のダンマディッチャ

プチ放浪 ヴィパッサナー瞑想

2009年12月08日 | 瞑想のこと
またまた戻った丹波の山奥。
ダンマバーヌまでの道のりは、一年前を思い出し懐かしかった。
到着したときは、心身ともに緩まるのを感じた。
どんな10日間が待っているのか・・・

今回で、やっとヴィパッサナー瞑想ってものが少しだけ理解出来たよう。
今までは抵抗してばかりで、自分を客観的に捉えようとしながらも、やはり抗っていたのだと感じた。
ヴィパッサナー瞑想とは、自分の呼吸や感覚をただ観察する。
あくまでも客観的に観察する瞑想である。
この客観的ってのが、なかなか難しいものだ。

沈黙の誓いや生活は慣れたもの。
やはり一時間以上座るのが慣れずモゾモゾ。
最初は自分の呼吸を観察する。

初っ端、1日目からやらかした。
夜のグループ瞑想前の休憩時間に、前日の移動の疲れでか仮眠。
鐘の音に気付かぬほどの深い眠りだったよう。
暗い中、誰かの声で目を擦ると、人影がボーっと見えた。
こんなにハッキリと霊が見えるとは・・・
なんて頭で考えていた。
なんてことない、私を起こしにきたコースマネージャーであった。
ご迷惑お掛けしました。

2日目になると、座って5分以内に足に激痛あり。
普段30分は座っても大丈夫なのに・・・なぜ?
溜め込んでいるサンカーラ(反発・反応)が出てきているらしい。
一年分もあるし、もっと古いものもあるし・・・
相当溜め込んでいるから・・・
この日から、睡眠が浅く眠れない。
朝もスッキリ目覚め、寝不足って訳でもない。
瞑想の効果らしい。

4日目と5日目に断食してみた。
塩分補給のため、梅干入りほうじ茶。
糖分補給のため、蜂蜜入りレモネードとプレーン豆乳。
液体もので補う。
断食すると、瞑想に集中出来るっていうけれど、私には変化なし。
ただ食事は少なめにしていた。
内臓が重くなると、感覚を感じにくくなる。
それは食べものによって違うってことも分かった。

6日目を過ぎると、徐々に自分の感覚が鋭くなる。
自分を取り囲んでいる粒子も細かくなっている。
体のあっちこっちが痒くなったり、虫が這っているように思ったり、様々なサンカーラが表面に出てきている。
第三の目、第六チャクラが熱くなる。
そこに青・紫・オレンジ色が交じり合った映像が見えた。

7日目のことだった。
部屋で一人瞑想をしていた時、自分の感覚が膨らんだり、萎んだり・・・
しばらくすると、萎んだまま感覚が消えた。
私という存在が消えたようだった。
これって自意識がなくなり、無我になった瞬間?
ほんの一瞬のことだったけれど・・・
そして、その先に何かがありそうだった。
そこへ向かうのは、まだ少し怖かった。
ここ最近、自意識(エゴ)について考えていたから、それが現像となったのかもしれない。自分が思っていること、考えていること、そんなものが瞑想中に現れるものらしい。それは神の存在であったり、眩しい光だったり、何かの声だったり・・・

8日目に、足が痛くなっても、冷静に観察している自分がいた。
痛みに反応せず、ただ観ていた。
これがヴィパッサナー瞑想なのだろう。
そんなことを3回目にして気付く。
〝抗わずに流れる〟
しばらくすると、また痛みに反応している自分がいた。

出雲の旅が控えていたので、出雲妄想はあった。
でも全体的には、自分を客観的に観察した。
他の人のことも気にならず、食べものも気にならず、静かに座れた。
今回のヴィパッサナー瞑想で、解消されたサンカーラもあるし、まだ抱えたままのサンカーラもある。
毎回違うことを感じる10日間コース。
きっと慣れるってことはないだろう。
〝すべては抗わず流れのままに〟

ヴィッパサナー瞑想とチャクラ

2009年11月14日 | 瞑想のこと
最近の瞑想は朝か晩に30分だけ。
この30分の瞑想でもスッキリとするので、瞑想は私には欠かせない。
来週から行く京都のヴィッパサナー瞑想合宿では、ほぼ一日中瞑想のため沈黙で座る。
んー、ちょっと不安。ちょっと緊張。

先週、地元のヴィッパサナー瞑想会に参加。
一時間座って、休憩、更に一時間座った。
最初はすごく集中出来て、深い瞑想だったのだけど、途中から足が痛み出し・・・
(きっと30分を過ぎたのだろう)
そこで集中力も切れ・・・
正しい姿勢で座るって大切だなって実感。
んー、やはり不安。やはり緊張。

さて、ヴィッパサナー瞑想について。
これは観る瞑想といわれ、自分の呼吸や感覚をトコトン観察する。
普通の瞑想は表面的効果があるが、このヴィッパサナー瞑想は深い深い奥の部分を徐々に表面へと現し、汚れた心を浄化する効果があるといわれている。

ヴィッパサナー瞑想10日間コース一回目
とにかく無我夢中。
何が何だか分からん状態。
ただゴエンカ師の指示テープをそのまま実践するのみ。
そんな状態だったのに、最後のほうで大きなコンプレックスを手放せ、すべてと一つになる体験をした。
今まで主観的だった私が、客観的に物事を捉えられるように変化。

ヴィッパサナー瞑想10日間コース二回目
やっとヴィッパサナー瞑想を把握出来た。
一回目に比べると、かなり辛かった。
愛の渇望がドンドン湧いてきて、妄想三昧だった。
元々かなりの妄想癖があったんだけど、一回目参加以降笑っちゃうほどピタリと止まっていたのに・・・
私の表面に近い深層部にあったのが〝愛の渇望〟だったみたい。
そこで気付いたのが、これって第二チャクラの反応。
前回は家族や同族に関係していたので、第一チャクラの反応だったかも。
もしや関係しているのか・・・
日を追うごとに、色や香りにも敏感になった。
今まで自分のことだけだった私が、他の人に奉仕したいと変化。

今回は三回目。
いったい、どんなことになるやら・・・
期待せず、不安にならず、ただ観察してきます。
すべては移り変わっている。
アニッチャーだから・・・

写真:今日の夕焼けの一瞬

阿字観瞑想会

2009年11月03日 | 瞑想のこと
真言宗好きな私にとって、高野山は憧れの地。
その高野山別院が東京にあるんだって・・・
そこで阿字観瞑想会が月二回ほど行なわれているんだって・・・
阿字観瞑想とは、弘法大師空海が修行僧たちの精神を鍛えるために考案した真言宗の瞑想法である。

更に調査を進めると、茅ヶ崎千手院でも月一回のみ阿字観瞑想会あり。
こりゃ、我が家から近い。
ってことで、早速行ってきました。

現在、本堂を立て替え中である千手院へ到着すると、こじんまりとした仮本堂へ通された。
そこには何本もの阿字観のお軸が立て掛けられている。
好きなお軸の前に陣取り、ご本尊である千手観音さまにご挨拶。
お線香の香りが立ち込める室内は、まるで寺小屋のよう。

時間になると、親しみやすいご住職さん登場。
阿字観瞑想のやり方の説明が始まった。
手の位置、姿勢、座り方、気持ち、呼吸法・・・
力まず、頑張らず、楽な姿勢で座る。
三礼して心拍数を上げ、般若心経を唱える。
いざ阿字観瞑想スタート。
吐く、吸う、呼吸に集中する。
呼吸に集中出来なかったら、「あー」と声を出し響きを追う。
目の前の月が自分の心に入ってくるさまを描き、その月が自分から飛び出て、どんどんと大きくなり、その中心には自分がいるさまを浮かべる。
あれ、これって高尾薬王院の月輪観瞑想と同じ?
そして、今日は満月。
月が徐々に小さくなり、最後は自分の心に戻る。
初めての阿字観瞑想は、よく分からず終了した。
ただ気持ち良い瞑想であったことは確か。

片付けが終わると、ご住職さんを囲みながら、参加者全員15名ほどでお茶会。
阿字観お軸の文字は〝大日如来さま〟を表す。
仏像や真言が先ではなく、文字が一番最初に生まれ、次に色の光だそう。
その後に、仏像や真言が作られたそうだ。
形ではなくイメージ。
これって、頭ではなく心と似ている。
他のお話も興味深くて、ご住職とお寺の雰囲気が寛げた。
もっと阿字観を知りたいと思った。
また通おうっと・・・

外に出ると、満月が輝いていた。

クリスタルボウルの夕べ

2009年08月06日 | 瞑想のこと
今日は満月
月のエネルギーを最大に感じる日。
そんな夕べに、mixiで参加しているコミュニティ【7つのチャクラと倍音ヒーリング】の<しし座の満月 クリスタルボウル倍音浄化の夕べ>なるワークショップに参加しました。

5月に訪れた御岳山の宿坊静山荘で、クリスタルボウルの倍音というものに驚いた。
その体中に共鳴し、各チャクラを刺激する響き。
すっかり魅了されたのである。
そのときの日記はこちら

そんな私のアンテナにピピッと引っ掛かったのは・・・
【7つのチャクラと倍音ヒーリング】というmixiのコミュ。
新月と満月に開催されるクリスタルボウル倍音浄化の夕べ。
一度は参加したいと思いつつ、なかなか日程合わず・・・
今日に至った訳で・・・

訪れた千石空房は、80年前に建てられた木造の古民家。
この周辺だけ昭和の空気がプンプン。
嫌いじゃない、むしろ好きな町並み。
そこで主催者のエムカワ氏に初対面。
脱力系の方で、即リラックス。
他の参加者の方々は少し緊張しているようだったけれど、全体的に和んだ雰囲気。

第一部は瞑想から。
最初に、呼吸や感覚を意識する瞑想。
ヴィパッサーナ瞑想とは違うけれど、体が弛んでいくのを感じる。
続いて、各チャクラに共鳴する音を発する。
一番下の第一チャクラには〝う〟
胸の部分第四チャクラには〝あ〟
眉間の第六チャクラには〝ん〟、本当は〝オーム〟
響く、響いていく。
自分の発する音で、各チャクラが解放されていく。
最後にソーハ瞑想なるモノ。
〝ソ〟の音で息を吸いながら、意識を上へ。
〝ハ〟の音で息を吐きながら、意識を下へ。
天へ、地へ繋がる。
自分の体に一本の芯が通った。

第二部はクリスタルボウルヒーリング。
心地好い状態で寝転び、クリスタルボウルが奏でる倍音に身を委ねる。
あっちから、こっちから、音が響く。
脳の中を、骨や細胞までも、音が駆け巡る。
音が私か、私が音か・・・
前回は各チャクラに響いたことに驚いたけれど、今回は体全体に溶け込んだ。
演奏する人の違いか・・・
クリスタルボウルの違いか・・・
私の調子の違いか・・・
聞くたびに違うクリスタルボウルって、やはり凄いわ。

すべてが終了して、外へ出ると満月が雲の合間から顔を出した
エムカワさん、ステキな夕べをありがとうございました。

写真:外も中もステキな千石空房

アンマのダルシャン

2009年05月26日 | 瞑想のこと
インドの母と呼ばれるアンマ。
愛と慈悲を実践するアンマ。
37年間で2800万人以上を抱擁したアンマ。
本名はマーター・アムリターナンダマイー・デーヴィー。
アンマ、アマチ、マザーなどと呼ばれている。

そんなアンマが来日中ってことで、アンマ来日プログラムのダルシャンへ行ってきた。
抱擁のダルシャンには、整理券が必要である。
開場前の17時に会場へ到着すると、すでに驚くほどの長蛇の列・・・
アンマって、予測以上に日本に浸透しているよう・・・
世界で影響力のある12人のスピリチュアルリーダーとして、ダライ・ラマやローマ法王とともに数えられている霊性指導者の一人なのだ。
ダルシャンに興味があり、何気なく参加した私・・・
こりゃ、スゴイ人に抱擁してもらえるチャンス。

しばらくして開場時間に、会場へ入ると、アンマの慈善活動や人道支援のビデオが流れていた。
無償の愛で、具体的に活動するアンマ。
学校や孤児院、津波支援、病院やホスピス・・・
インドの母って呼ばれているのが納得である。
18時30分すぎに開演となり、アンマが入場する。
すでに大きな愛を放っている。
アンマが話すことは、最近私が読んでいる本とリンクする内容が多い。
やはり、すべては一つなんだと改めて思った。
大勢の人々が世界平和を願い、マントラを唱え瞑想する。
マントラとは神聖な音の真言。
唱えていると、心が穏やかに静かになる。
何度も同じマントラを唱えると気持ちが良い。
多くの人の祈りのパワーは、クラクラするぐらい強烈である。

抱擁のダルシャンが始まって、3時間後の23時に私の順番がきた。
ドキドキ、ワクワク、少しづつアンマの近くへ・・・
そして、大きなアンマに抱きしめられる。
私の耳元でケララ語で何か言っている。
まったく意味は分らない。
だけど、なーんか安心感でいっぱい。
このままずーっと抱きしめられたいと思っていると抱擁が終了した。
自分では気付かなかったが、気分が高揚し、顔が赤くなっていた。
更に、心と体もポカポカと温かい。
これが無償の愛、大きな愛なのだろう。

ダンマの輪

2009年03月05日 | 瞑想のこと
今年初・・・
約二ヶ月ぶり・・・
毎週木曜夕方に行われるヴィパッサナー瞑想会へ参加した。

地元のコミュニティホールへ、開始時刻より一時間遅れて到着。
おや、予想以上のスリッパ・・・
あれ、会場を間違えたか・・・
いや、今日は瞑想会がないのか・・・
だって、いつも3人か4人だったんだもん。
多くても5人だったんだもん。
それが・・・今日は・・・なんと10人も。
私が知らぬ間に、ダンマの輪は確実に拡がっていた。
ジワジワと拡がっているのだ。
人が多いと、それだけ瞑想の集中力が増す。
ゴエンカ師の詠唱が流れる中、気持ちいい瞑想だった。

新しく建設している千葉のヴィパッサナー瞑想センター〝ダンマディッチャ〟が、5月から本格的に活動するとの噂あり。
まだ宿泊はテントらしいが・・・
テント宿泊の間に千葉で瞑想したい。
春に3日間コースがあったら行きたい。
ヴィパッサナー瞑想者の皆さん、ご一緒しませんか?
ダンマの輪は、益々拡がるだろうね。
なんか凄いね。なんか嬉しいね。

興味のある方は日本ヴィパッサナー協会をチェックしてみてくださいな。

ヴィパッサナー瞑想再び

2008年10月16日 | 瞑想のこと
京都から戻ってから、体調が悪かった。
クリーンな体がジャンキーなものを求め、食欲止まらず・・・
チョコレートや甘いものを食べまくり、満腹になれば寝る・・・
きっと体が下界に慣れるようにしていたのだろう。
昨日から少しづつ活動開始。
そして今日は、久しぶりに茅ヶ崎で行われたヴィパッサナー瞑想会へ参加した。
やはり落ち着くーーー

さて、大阪よりヴィパッサナー瞑想センターへ戻ってからの話。
5月に引き続き、二度目の10日間コース。
部屋から外を眺めていると、3人の男女が話をしていた。
よく見ると、5月に座ったときにサーブしてくれた人々ではないか・・・
「うわー、すごい偶然」
「いや、これって必然かも」
5月のときはサーブをしてもらって、当然だと思っていた部分があった。
しかし自分がサーブをしたことにより、彼らに対する感謝は増していた。
それを直接伝えられるという幸運な機会。
な、な、なんか、サーブをしたことが、今回座るということが、すべてが自分の実りになっている。

10日間コースをが始まると、前回は何が何だか分からずにやっていたことの一つ一つを確認できた。
あー、こんなことしたっけ。
あー、こんな意味だったんだ。
あー、そういうことだったんだ。
そして、一度目に比べて・・・辛かった。
こんなに辛かったのかと感じるほど、辛かった。
一度目の辛さを忘れていたのか、今回のサンカーラ(反応・反発)が前回より強かったのか、深いところまで瞑想できたのか・・・

その瞑想・・・あるがままを見つめる瞑想・・・
嫌悪することなく、渇望することなく・・・
いったい、何が、どんなものが現れるか・・・
それは〝愛の渇望〟でした。
もう妄想族は卒業したはずなのに妄想三昧。
元々、私は恋愛妄想者だったのだけど、5月のヴィパッサナー瞑想後は治まっていたはずなのに・・・
出てくる、出てくる、ポジティブ妄想。
現れる、現れる、自分に都合の良い妄想。
川沿いのマンションで同棲。
彼に耳かきをしているときにプロポーズ。
ミャンマーへ新婚旅行。
そんな映像が次々に現れては消える。
その渇望によってか、妄想族だった際に蓄えられたのか、左膝下には強いサンカーラで激痛が走る。
この手強いサンカーラには、なかなか打ち勝てなかった。
つい痛くて嫌悪してしまう。
それがまたサンカーラとして蓄積される。
8日目辺りに、やっと客観的に見られるようになった。

あと前回との違いは、五感が異常に敏感になった。
整髪料・人の体臭などの匂いが気になる。
人の足音・ドア開閉の音が気になる。
他の人が着用している鮮やかな色が気になる。
目がチカチカして仕方ないのだ。
もう、鮮やかな色や派手な柄の洋服は着れない。
辺りを見回すと、古い生徒さんは地味、新しい生徒さんは派手な人が多い。
んー、ここまで瞑想が及ぼすとは・・・

前回のヴィパッサナー瞑想で、8日目に至福感に包まれた。
もう世界が、すべてが私を包んでいる。
これ際、あればもう何もいらないと思った。
しかし、そればかりを求めるのは間違っている。
至福感が現れたのは、一つのサンカーラが消滅したということらしい。
そして、また別のサンカーラが現れる。
ただ、それを静かに観察する。

最後に行われたメッターバーバナ。
ヴィパッサナー瞑想とは違い、愛と慈しみの瞑想法である。
前回は、何か胡散臭いという印象だった。
ところがである。
サーブをしたということが作用して、もう心に響く。
心の奥まで響く。
いつの間にか、頬を伝う涙。
いつまでも、いつまでも涙が出てくる。
それも静かな涙なのだ。
心が洗われた。
サーブ、座りという連続オススメです。
座り、サーブ、座りが一番らしいけれど・・・

ヴィパッサナー瞑想で奉仕

2008年10月15日 | 瞑想のこと
奥多摩から新宿へ戻り、そのまま高速バスで京都へ向う。
四ヶ月ぶりの京都・・・
あの時は期待と不安で、ヴィパッサナー瞑想施設訪れた。
いったい、どんなことが・・・
いったい、どんなことに・・・
初体験した10日間コースは多くのものを得た。
さて、今回はサーブ(奉仕)である。
瞑想をする生徒さんを影で支える。彼らの食事の支度をしたり、掃除をしたり、彼らが瞑想に没頭出来るよう手伝うのだ。とにかく毎日の流れに慣れるまでは無我夢中だった。
その日々とは・・・

【朝】
早朝5時15分、眠い目を擦りながらキッチンへ向う。
業務用のヤカン大・中・小を火に掛ける。
沸騰したら、今度は70名分のお粥作りである。
玄米粥、ワカメ粥、コーン粥・・・
食材によってメニューを変える。
主に男性が食堂のセットや掃除、女性が調理を担当する。
生徒さんの朝食が始まると、足りないものを補充したり、なくなったものを下げたり、少しだけバタバタと忙しい。
朝食時間が終ると、私たちサーブの朝食である。
生徒さんの残ったものを食堂で頂く。
すごく美味しくて、いつも時間ギリギリまで食べてた。
どんだけ食べるんだってぐらいパンを食べた。
満腹のまま、朝のグループ瞑想へ向う。
この満腹じゃ瞑想に没頭出来ない訳だ。

【昼】
グループ瞑想が終了すると、次の日の昼食の仕込み開始。
カレー、トマトソース、炊き込みご飯・・・
すでにメニューは決まっている。レシピもあるのだけど、作った人によって、その時によって、メッターによって味が毎回違うとのこと。
給食センターのような大鍋に、力を合わせて切った野菜を入れ煮込む。当初は誰が何に適しているか暗中模索状態だったけれど、日を追うごとに役目が決まっていった。それとともにサーブをしている人々とのコミュニケーションもスムーズになった。
奉仕の仕事は主に二つある。
一つは生徒さんの生活面をサポートするコースマネージャー。
もう一つが生徒さんの食事作りをするキッチンスタッフ。
私は後者である。
初サーブでコースマネージャーになる人もいるし、キッチンマネージャーになっちゃう人もいるらしい。初でマネージャーって何か重荷のような・・・それまたアニッチャーなのか・・・
私がサーブした時は、コースマネージャーもキッチンマネージャーも慣れた人で、サーブ内では特に問題なく静かに動けた。
聖なる沈黙の生徒さんの前では最小限の会話、サーブ内でも男女の分離、無理せず自分が出来ることを出来る範囲で奉仕する。労働とは違い、奉仕なのだから無理は禁物。自分が心地良くいることが大切である。
生徒側では見えなかったことが、生徒側では感じなかったことが、色々と分かる。
生徒さんの昼食が終了後、サーブの昼食。
これまた朝食に続いて、よく食べていた。
その後は昼寝の時間・・・
昼のグループ瞑想開始の鐘に気付かないぐらい深く寝ていた。
寝惚け眼で瞑想、そりゃ集中出来ないはずだ。

【夜】
その後は、夕方のティータイムの用意や次の日の仕込み。
生徒さんがティータイムをしている時に、サーブは台所で夕食である。
ここが生徒さんとは違うポイント。
古い生徒さんは、夜は飲みものしか飲めないからね。
まぁ、夕食も昼の残りものだけど・・・
キッチンマネージャーのnaomiちゃんが料理上手で、工夫好きだったので、毎回美味しいゴハンが食べられた。
ってことで、夜もモリモリ食べていた。
豆乳の美味しさにも、改めて気付かされゴクゴク飲んでた。
これまた満腹状態で、夜のグループ瞑想。
もうお腹がグルグルしていて、瞑想どころじゃない。
講和の時間にシャワーを浴び、生徒さんの質疑応答タイムが終了すると、先生とサーバーだけで奉仕者のメッターバーバナが始まる。
これがすごく良かった。愛と慈しみに溢れる。
一日の反省というか、今日一日を振り返り、明日の奉仕へ。

これが0日目から11日目まで続く。
座るよりストイックでなく、日常よりクリーンな日々。
この奉仕中に無性に座りたくなり、次の10日間コースのキャンセル待ちにしてもらった。
このサーブが次の座りに大きな影響をもたらした。
それは、またの機会に・・・
サーブは一度はしたほうが良いというのは確かだ。