脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

パワーサッカーに光を

2009年10月01日 | 脚で語る奈良クラブ
 「パワーサッカー」という競技がある。通常のサッカーでは戦術面において、その名の通り“力で局面を打開する”という意味合いでしばしば使われるかもしれない。しかし欧州では「パワーチェアフットボール」。つまり「電動車椅子サッカー」という競技のことである。障害者スポーツの1つであり、昨今では、通常のサッカー競技と同じくワールドカップも開かれる世界的な競技になりつつあるのだ。

 競技は各チーム4名の選手編成で行われる。室内で行われる試合のコートはバスケットボールのコートと同じ広さ(長さ30m~25m×縦18m~14m)で、参加資格に男性女性の制限はない。試合時間は20分ハーフの全40分で行われ、きちんと主審の他に両サイドに副審が1名ずつという構成だ。サッカーボールは通常の5号球の1.5倍の大きさで、選手たちは電動車椅子の足下に着用したフットガードでそのボールを巧みに操るのである。
 2on1やゴールエリア内の人数制限など、この競技特有のルール(こちらのJPFA(日本電動車椅子サッカー協会)の公式サイトに競技規則が掲載)が設けられており、通常のサッカー競技とはまた違った魅力があるようだ。競技中の電動車椅子のスピードが約10kmというから、ぶつかった際の衝撃は相当なものだと考えられる。

 2008年の初頭、奈良のとある場所で行われたイベントでそのチームの存在を知った。チームの名は「ビクトリーロード奈良」。奈良県出身のJリーガーがオフを利用して子供たちにサッカーを教えるイベントに、そのチームの選手たちが何人か来て電動車椅子を使ったサッカーの実技を披露していた。まさかその時は彼らが日本屈指の電動車椅子サッカーチームの選手とは思いもよらなかった。

 2007年に行われた初の電動車椅子サッカーワールドカップ。補欠も含めた12人の選手たち(電動車椅子サッカーはフィールドプレイヤー4名、GK1名の計4名で戦う)のうち3名と代表監督を務めた重松監督の4名がビクトリーロード奈良から選出されていた。どの競技においても“日本代表”という称号はプレイヤーとして最大の夢でもある。そこにスポーツとは今一つ親和性に欠ける奈良の地から、世界の舞台に飛び出していた選手たちがいたのは非常に誇らしいことだといえるだろう。
 そして、そのビクトリーロード奈良が先日、関西サッカーリーグで戦う奈良クラブのワンセクションとなることが発表された。ユニフォームも統一され、今後の活動を共にしていくということで、この新しい試みには地元である奈良のスポーツをさらに活性化させたいという思いが込められている。

 彼らの今後の奮闘と共にパワーサッカーという競技に少しでも世間の関心が注がれれば喜ばしい。サッカーへの情熱は少しその競技の形が違えども、皆同じなのである。