脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

“胸を張って”愛媛へ

2009年10月28日 | 脚で語るJリーグ
 非常に嬉しいニュースが入ってきた。かつて名古屋やFC東京、仙台で活躍し、2004年から海外各国を転戦していたFW福田健二が日本に帰還するという。来季よりJ2・愛媛FCに加入が決まった。

 彼の活躍はサッカーファンなら周知の通り。トルシエ監督時代には五輪代表候補にも選出され、Jリーグでプレーした後にパラグアイ、メキシコ2クラブ、スペイン3クラブ、ギリシャ(スペイン2部ヌマンシアまでは仙台からのレンタル移籍)と各国を渡り歩いた。日本では結果を思うように残せなかったが、海外では決して陽のあたるメジャーシーンではないものの、堅実にその名を残してきている。今回の移籍はギリシャで所属していたイオニコスからの契約解除によるものだが、様々な縁や巡り合わせもあったのか、とにかく愛媛への加入が決まったことは実に感慨深い。

 福田といえば、習志野高校出身のプレイヤーだが、生まれ故郷は愛媛である。彼が千葉へ移住するまでの辛いエピソードは、小宮良之氏によって、かつて「Number」にも掲載(2005年9月22日号『福田健二 遺書』)されており、詳しく知ることができる。この手の雑誌を購読している方ならその衝撃は今でも忘れられないはずだ。母親の自殺、そして残されたたった三行だけの遺書にはサッカー選手としての大成を案じる願いが込められていた。そんな辛い思い出も渦巻くであろう故郷の愛媛が福田の新天地となるのだ。この運命に何かの意味を感じずにはいられない。

 そういえば、自分が現在奈良クラブでプレーする矢部次郎(かつて福田と共に名古屋でプレーし、現在も交流が続く)と知り合うきっかけになったのも、その小宮氏がサッカーダイジェストに寄稿する記事の取材の場であった。奈良市内のとあるカフェで、たまたま2つほどテーブルを挟んで読書に耽っている自分の耳に「福田健二」という名前が聞こえてきた。当時の小宮氏が精力的に福田を取材していたことは既知。そういえばどこかで見た2人だと気にしていた自分にとっては、それが確信へと変わった瞬間であり、声をかけさせてもらったのを覚えている。

 余談はさておき、とにかく福田の日本での活躍を応援している。登録期間の問題で、おそらく出場は来季からになると思うが、地元のファンにとっては、「おらがクラブ」にトップレベルでのプレーを経験した選手が加入することは当然ながら、その地を生まれ故郷に持つならば、尚更その選手の意味性は増す。ファンの感情移入もより一層高まることであろう。Jリーグと地域リーグの違いはあれども、彼と交流を持つ矢部がこの奈良の地で体現しようとしていることからも、それは自明である。

 福田健二が“胸を張って”愛媛に帰ってくる。まだまだ挑戦中のサッカー人生を頑張って欲しい。