脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

背番号2の呪縛

2007年06月08日 | 脚で語るJリーグ


 さっきサポ仲間の方とメールのやりとりをしていると興味深いことが判明した。固定背番号制になってからの10年とちょっと、ガンバの歴代の背番号2番はシジクレイ以外ろくに活躍していないということ。
 97年の吉成、98年の戸倉、99年の塩谷、00年~02年の朝比奈、03年のチキアルセ・・・毎年のように目まぐるしく変わる背番号2番の選手たちは7年間の総合計でもたった36試合の出場数しか数えていない。
 ちょっとこれらの選手をプレイバックしてみた。

吉成浩司
筑波大から鳴り物入りで入団。当時ユニバー代表にも選出された筑波のキャプテンであった。ポジションは守備的MFだが、同期入団で同じユニバー代表だった斎藤に大きく差を開けられ、終わってみれば試合出場わずか1分という伝説を残してガンバを去ることとなった。

戸倉健一郎
ヴェルディ黄金期の94年に青山学院大よりヴェルディに加入。左サイドのバックアッパーとしてその功績を残す。川崎Fの黎明期を支え、その後ガンバに加入。98年序盤に5試合に出場するも記憶が正しければフル出場はなかった。エムボマが抜ける頃のガンバ暗黒期再来を予感させた象徴であり、序盤以降は全く記憶に残らず。その後古巣ヴェルディに復帰するも、戦力外通告を受け、公園で1年間1人でボールを蹴って01年に湘南に拾われる。現在は町田でフットサルを教える。

塩谷伸介
JFL時代の大塚製薬の左SBとして名を馳せる。96年の京都昇格と共に京都へ移籍。J黎明期の京都を支える。例年冴えないガンバの2番を背負ったのは99年のこと。出場機会は2試合に限られ、翌00年1月に引退。加入当初は期待したものの新井場のポテンシャルと若さには勝てず。現在は古巣大塚製薬の営業マンとして活躍している。

朝比奈伸
99年に同志社大より加入。高校は清水商であり、期待のルーキーとして大卒初年度から4試合に出場。翌年から2番を背負うもトレードマークの長髪を坊主にするなど試行錯誤を続けたが出場機会には恵まれず、ダンブリー、宮本のバックアッパーから脱せず。体格的にも恵まれたストッパーだったが、西野監督就任1年目で戦力外に。現在はバンディオンセ神戸でプレー。

チキアルセ
南米最高の右サイドのスペシャリストとして鳴り物入りで入団。03年開幕戦の京都戦で、目の覚めるようなドライブシュートを叩き込み大物ぶりを予感させる。シーズン中盤から出番が激減。3バックを主とする西野ガンバにフィットせず、終盤はサブに。世界屈指のそのクロスを上げるまでのプロセスや守備面で大いに苦戦した印象。しかし、このチキアルセの誤算の代償として3-4-3が機能する結果となった。

 このように歴代のガンバ背番号2番はパッとしない。04年に神戸より加入したシジクレイがその呪縛を解き放ったかに思えたが、宮本の移籍に伴い、念願の背番号5番を継承。今季の背番号2番はFC東京より新加入の中澤が背負う。未だ出場機会に恵まれない中澤だが、ガンバの2番を背負ったからには奮起してもらうしかない。2番の呪縛を本当の意味で解き放つのは中澤か否か・・・