脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

考える才能のデビュー

2007年06月02日 | 脚で語るJリーグ


 ガンバが日本に誇る「考える才能」橋本英郎が代表デビューを果たした。

 キリンカップ2007の初戦となったモンテネグロ戦の後半終了間際だったが、橋本はAマッチデビューを果たす。わずか3分ほどの出場時間だったとはいえ、ガンバの中盤にてそのブレインを担う橋本のデビューは年齢的な部分では遅すぎたといっても過言ではない。

 イビチャ・オシムの好むタイプの選手だ。豊富な運動量とそのポリバレント能力は折り紙つきで、本職の守備的MFからSB、そしてかつてはウイング的なポジションもそつなくこなした。何よりも彼の評価すべき長所はその卓越した戦術理解度とプレー中の「考えるスピード」だろう。
 危険地帯に顔を出し、献身的にプレッシングをかける総合的な守備能力は所属するガンバでも明神と共にもはや不可欠だ。特にシーズンを通して安定したそのパフォーマンスは派手さとは皆無だが、誰もがキーマンとして橋本を認識する。パス能力も本来持っている選手だけに、攻撃にもしばしば顔を出すそのプレースタイルは90分を通して体と共に頭脳もフル回転させているところに起因するわけだが、彼の場合はその判断や先を読む力が特に突出している。そのスピードは早く、またそれを確実にプレーに反映できるストロングポイントが橋本にはある。
 同じ79年生まれの「黄金の世代」と呼ばれる稲本や小野、高原といった同世代の選手たちとは違って、代表キャリアにおいては輝かしい経歴もないが、経験に裏打ちされた彼なりの「考えるプレー」で今夜ついにその代表キャップを掴み取った。

 思えば、橋本がガンバユースからトップに昇格した時はまだ練習生契約で、彼自身も大阪市立大学に通う大学生プレーヤーだった。体格的にもそれほど恵まれておらず、同年代の稲本がトップに君臨するガンバにおいて橋本の出場機会は限られていた。3年目の00年シーズンにリーグ戦は5試合の出場に終わるものの、年末の天皇杯で負傷の稲本に代わりゴールも決める大活躍。この直後の年始に兄である紀郎さん(現在はアシンタントコーチとして活躍)がアメリカンフットボールのライスボウルでアサヒ飲料チャレンジャーズの一員として日本一になった。橋本はこれを大きな刺激になったと当時語っている。
兄から学んだ勝者のメンタリティが加わり、稲本がチームを去った01年の後半からその出場機会を増やしていった。01年の天皇杯では右WBとして全3試合に先発出場し、翌年の西野監督就任以降チームに欠かせないピースとなった。
 
 元来持った才能に救われてスターダムになった選手とは違い、橋本は長年の下積みとその経験から「考える」選手としてチームに貢献してきた。ガンバの常勝チームへの熟成と同じくして、そのレベルを橋本自身も上げていった。生え抜きである橋本へのサポーターの愛は深い。決して華やかな選手ではないもののその実力はこれから世界へ発信されていくはずだ。たとえ短時間の出場時間であっても我々ガンバサポは皆が橋本A代表デビューを手放しに喜ばずにはいられない。

 日本屈指の「考える才能」が今国際試合でそのベールを脱いだ。