カンアオイ

野草の観察・ハイキング・旅行・散歩などメモ的な身辺雑記。

浅間隠山にて

2006年11月07日 | Weblog
浅間隠山の黄葉・紅葉
ブログの小技集から「クリックチェンジ」
見えている画像にオンマウスすると、「浅間隠しの黄葉と紅葉をクリックして次のも見てください」の文字が画面に出る。そのままクリックすると下に隠れた次の画像が現れる。下の画像は大きく入れてあるので拡大できる。

<浅間隠しの黄葉と紅葉をクリックして次のも見てください>


高尾山

2006年11月01日 | 万歩会
高尾山いろはの森コースを登る
1、日時:2006年10月30日(月)雨天中止
2、集合:JR高尾駅北口AM9;10小仏行きバス停・バス9;12発
3、行程:高尾駅北口9:12⇒9:30日影バス停9:40→10:00山の会山荘1:15→いろはの森コース→11:40高尾山山頂12:30→3号路から琵琶滝へ下る→14:00琵琶滝→高尾山口駅15:20⇒新宿駅
4、解散:高尾山ケーブル山頂駅(歩き足りない人は歩く)

万歩計28447歩
八王子山の会山荘←私が八王子の高尾に引っ越した翌年の初冬(1974/12/01)、この裏高尾の「山の会山荘」で、八王子登山愛好者親睦会結成1周年記念の集いが盛会裏に開催された。後に八王子岳友会に合流して70家族を上回る大所帯に発展して行ったのだった。私が30代半ば、子供たちは小学2年、幼稚園年長のころで家族全員が写る白黒の記念大写真が貴重にも残されている。昭和48年(1973)第1次石油ショックのトイレットペーパー騒ぎがあった翌年かも?32年振りの訪問であった。山荘は建て替えられたとのことで、写真に写る赤松も枯れたのか今は無い。

いろはの森・万葉の歌碑<すぎ>古の人が植えけむ杉が枝に 霞棚引く春は来ぬらし  柿本人麻呂
<いろはかえで>吾が屋戸に 黄変(もみ)づ鶏冠(かえで)木みるごとに 妹を懸けつつ恋ひぬ日は無し 
 大伴田村家大嬢
<わせび(あせび)>吾背子に吾が恋ふらくは奥山の 馬酔木の花の今盛りなり
<ねむのき>昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花 君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ  紀郎女

かつらの黄葉←桂(カツラ)高尾山には1925年(大正14年)に植林したと言う。生長が早く、時に大木となる。山地の谷間に生えている木で、春の新葉は赤く、秋にはハート形の形のよい葉が黄葉します。材は軽く軟らかく有用。

3号路の常緑樹林 フユノハナワラビ←見過ごして通るところを、Iさんが教えてくれた「冬の花蕨」。花のように見えるのは、胞子ノウ葉。晩秋に地上に現れるシダの仲間。この花が咲くと今年もあと僅かで暮れる。

高尾山薬王院・表参道山門

樹齢1千年以上の蛸杉 メグスリノキの大木←右が参道北側にある目薬の木(カエデ科)の大木。樹高は10メートル以上、大きな樹幹をつくり、葉は3枚の小葉をもつ複葉です。木の皮を煎じて目を洗うのでこの名がつけられた。この写真ではよく写っていないが左上の樹冠が紅葉して美しい。一名長者の木。
琵琶滝

琵琶滝観音堂

地蔵さんと七福神が並ぶひな壇飾り

フユザクラ お掃除地蔵
今日の懐かしい出会いは山の会の山荘であった。いろはの森で拾った緑色のドングリと思った実が、じつはカヤの実で果皮には香油が含まれ芳香があった。大きなこの木の材で碁盤を作る。本ガヤの碁盤は高価だ。実からは油を絞り、食用や灯油にする。葉先が硬く針のように尖っているので掴むと痛い。松科のモミと一位科のカヤは松毬とカヤの実の明確な違いが分かった。そして、まだ教わったばかりの紅葉が美しい「メグスリノキ」の大木にも出会えてよかった。山の中で名札の助け無しに「目薬の木」の紅葉を自力で見出したいものです。

竹寺

2006年11月01日 | 山の会
竹寺

奥武蔵の正丸峠⇒伊豆ガ岳が表なら、子の権現からのこのルートは裏コース、竹林に囲まれた山寺の竹寺(天王山八王寺)をたずねる渋い地味な道である。神送り場がある豆口峠(標高560m)まで1.8キロメートル、標準40分の歩きやすい道程である。浅い春や、遅い秋、雪の冬など静かな雰囲気が味わえる。

←豆口峠へ向かう。道はまもなく直ぐ右に伊豆ガ岳への縦走路を見送って左へ尾根を下って行く。お昼ご飯が済んで杉林の中、平らな道をのんびり歩くとつい眠気がまつわる。

←途中、西北方面が開けたススキの鞍部に出ると、高畑山、古御岳、伊豆ガ岳と続く稜線が望めた。東側がヒノキやスギの人工林で、西側斜面が明るい自然林の尾根道を歩く。カンアオイが群生しているのは、自然が残っている証拠だ。今日は尾根道を登って竹寺の鐘楼を回るコースを選んだ。

←竹寺・鐘楼。「野火は早打ち」と注意書き、私は思い切り強く1回、軽くもう1回家内安全を願い突いてみた。見晴らしのいい尾根にあるせいか音がよく余韻の長い響きがしじまを驚かす。

←アキノキリンソウが咲く道を東へ下る。

←豆口峠から尾根道を1.1km凡そ30分ほどで天王山・牛頭王のお堂が木の間越しに見えた。

←秋の野菊。山での代表花シロヨメナが咲く。

←火災(不審火とも護摩の火が原因とも?)にあって三年前に再建された本堂。本堂の周囲には黒く焦げた幹を残す杉がある。
寺の特色は、
明治元年の神仏分離令にもれたことで、お寺とお宮が同居しているところにある。
秩父の三峰、都下の高尾・御岳山と同じ山岳仏教の系統をひく。明治維新に行われた神仏分離令以前の混淆の姿をそのまま伝えるのは、この八王寺が東日本唯一のものである。{関東ふれあいの道解説板「竹寺」より引用。環境庁・埼玉県}

 ←左2枚、焼け焦げた杉の幹に彫りこんだ牛頭明王のトーテンポール?
←鳥居に設けられた茅の輪。

←境内のイロハモミジの老樹。さぞ紅葉が見事でしょう。俳句や歌の句碑が多い。読めないものも多いので、脇に小さな解説板が添えてあると助かるのですが…。
竹寺の 青黛(セイタイ)刷ける 紅葉かな 桂子(渡辺桂子)
句碑の文字が解らず80半ばになる老和尚さんに尋ねたら、奥さまの取次ぎで解説があった。和尚さんの解釈→もみじの枝葉が印刷されて出て来る紙のようになだれた姿を詠んだ句と両手をかざして解説してくれました。
なお、「青黛」を辞書でひくと「濃い青・青いまゆずみ」とあった。季語はどれ「セイタイ」それとも「モミジ」?初夏?晩秋?耳の遠い老師には再質問が、はばかられた。

←ルビー色の実を胸飾りにしたいシキミ。境内は野草苑のようで、黄色のアワコガネギク(泡小金菊)、空色のセキヤノアキチョウジ(関谷の秋丁子)、ピンクのシュウメイギク(秋明菊)、紺色の玉(実)をかざすヤブミョウガ(藪茗荷)など…。

←竹寺の名の由縁となる広大な孟宗竹林がある。亀甲竹など珍しい種類も見られる。

←本堂と住いをつなぐ橋廊下。


←中沢バス停近くの民家。夕餉の支度か、お風呂を沸かすマキの煙が昇っている。竹寺でついユックリしすぎて1時間も費やしてしまい、バスをやり過ごし1時間待たねばならないハメになった。しかし、神のご加護か地元の人の親切や臨時バスに拾ってもらい結果はオーライとなったのだった!