万歩会1月例会では、レトロで懐かしい雰囲気が到るところに醸しだされる「小平ふるさと村」を訪れた。Oさんの丁寧な解説を聞きながらおよそ40分の見学。小平市一橋学園に新婚当時7年間住んだことがあるこの地は、私の思い出の地でもある。比較的新しい平成5年5月の開村である。戦後の貧しい子供の頃に見覚えのある農村風景にタイムスリップしている。屋敷も囲炉裏も、堆肥床も肥溜めも心休まる雰囲気に戻れるが、古いものには美を感じる。
旧小平小川郵便局舎
現存する郵便局舎の中でも古いものの一つであり、明治末期から昭和初期にかけての様子を知ることができる建物(小平市有形文化財第1号)
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旧神山家住宅母屋
江戸時代中期から後期にかけての武蔵野新田農家の姿と移り変わりを示す建物(小平市有形文化財第8号)
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>←火の見
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>←駄菓子屋風な?管理棟
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>←旧鈴木家住宅穀櫃(旧所在地:小平市大沼町2丁目、建築年代江戸末期・19世紀中頃)この穀櫃は、もと北野中(現在・花小金井)の秋山家に建てられていたが、対象10年頃(1921)鈴木家が譲り受け移築したもので戸を付けて物置として利用されていた。ヘーグラとも言い、江戸時代後期、天災や飢饉のための幕府の備荒貯蓄策によって各村に備えられたヘーグラ(稗倉)のことで、多くは村の役宅に置いて管理されていました。
板戸の裏の墨書が面白い(1879年の年号)①~③と④と⑤とでは筆跡が異なる。このことは内容と形式の違いにも対応している。①~③の都都逸には、懸詞によって二重の意味を持たせるような技巧が凝らしてあると見られる。
①の意
「(屋根の茅が台風などで)捲れ上がってしまったからには、何が何でも屋根普請をしなくてはならない」
ここでは「まくうた」という言葉を二重に使って、「やねぶしん」以前の部分に「(夜具や裾などを)捲り上げたからには、もはや何が何でも(?)をしなくてはならない」というきわどい裏の意味を持たせ、「やねぶしん」で落ちがつけてあると思われる。
②の意
「実(=真心)のあるように思わせて、通わせておきながら、いまさら縁を切ろうとするのは腐れ鎌(=駄目になった鎌)みたいな女だ」
ここで「引き寄せ」「切る」という言葉を「鎌」と、おそらくは遊女と客の関係とに懸けてあるが、さらに「実」「からむ」という語も縁語として用いてあるものと思われる。
③の意
「金の有るうちはマブ(=遊女の真心の恋人)どころではないもてなし様なのに、(金)が無くなればアブ(=昆虫の虻)とも意ってはくれない」
ここではいわゆる「金の切れ目が縁の切れ目」という意味を、マブとアブとの語呂合わせによって表したものと思われるが、こうした語呂合わせは落語の「五人まわし」、「三枚キ起請」などにもクスグリとして用いられており、比較的ポピュラーなものであったと思われる。
都都逸
①
いやがをうにも まくうたからは しずはおかれぬ やねふしん
②
実でからんでひきよせ おいて今されきれると くされがま
③
金があるうちわ まぶともゆかず なくなりやあぶと もゆいわせん
俳句
④
朝霞みつぼみも開く菊花かな 道人 ⑤明治十二年
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>←旧小川家玄関棟(旧所在地:小平市小川町1丁目、建築年代1805年竣工)この建物は、旧小川村及び小川新田村の中心的役割をはたしてきた名主の小川家に代々継承されてきた。小川家の格式の高さと江戸時代後期におけると当家の実力を示している。