多摩市縄文の村・旧多摩聖蹟記念館<たまのよこやま>散策
1)日時:2006年9月27日(水)
2)集合:多摩センター駅 9時30分
3)日程:多摩センター駅9;35→9:40縄文の村→多摩中央公園(グリーンライブセンター・旧富沢家住宅・旧今川家住宅)(昼食11:45~12:30)→電車→小田急永山駅→バス→聖蹟記念館→都立桜ヶ丘公園→ゆうひの丘→14:45聖蹟桜ヶ丘駅
4)解散:聖蹟桜ヶ丘駅 15時ごろ
5)交通費:1670円
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オムロン歩数計14828歩
今日は曇りのち雨のち快晴と天気予報が当たった目まぐるしい一日であった。近代的な京王多摩センター駅の直ぐ傍に「縄文の村」があるというのも目を丸くさせられる。団体で見学する場合、前もってお願いすれば縄文時代の復元住居で囲炉裏の火を炊いて煙で燻してくれる実演があるのだそうだ。研究員の方の解説で遺跡保存園地と資料陳列館内部をじっくり見学した。No72遺跡でもあるこの地は、南北に川を望み、すぐ西側には豊かな森林があり、日当たり・水捌けは良好、現代の不動産広告にも通じる縄文時代も現在も最高の条件が整った土地であるといえるでしょう。
多摩センター駅の下車は初めてで、旧多摩聖蹟記念館は50数年ぶりの再訪。国高の校舎から多摩丘陵に望めた建物でもあるが、高校入学の春、親友Nと聖蹟桜ヶ丘から是政まで多摩丘陵の尾根歩きをしたことがあった。雑木林の中に咲くキンラン・ギンランをはじめて見た想い出がある。近代的な街「多摩ニュータウン」の開発で自然が残る面影はもう望めないであろう。
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>⇔表はツンベルギア・アフィニス(別名:矢筈蔓ヤハズカズラ) キツネノマゴ科 ツンベルギア属 (熱帯アフリカ原産)1879年渡来。
⇔裏はアデニウム(別名:アカマツリ)キョウチクトウ科 (西アフリカ原産)砂漠のバラとも呼ばれる赤が印象深い。?
生憎の雨で少し光量が足りない。悪条件下のクローズアップ撮影は、フラッシュで花の色が飛んでしまったり手振れが出たりで素人には難しい。
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↑オンマウス⇔東青梅のI/Tさん9/16撮影を拝借
↑多摩中央公園に移築された「旧富沢家住宅」は入母屋造りの式台付玄関等格式の高い家屋。当家の先祖は、今川氏の家臣で、1560年今川義元が桶狭間の戦で滅ぼされた後、逃れて聖蹟桜ヶ丘の連光寺に土着した。以降代々連光寺村の名主を世襲した。当家は、明治天皇はじめ皇族方が、明治14年以来幾度かこの地に兎狩りなどに行幸、「御小休憩所」として利用された由緒ある家である。母屋は文化9年(1812年)の屋根葺き替えの記録から、それ以前に建てられたもので、18世紀中頃から後半と推定される。表門は薬医門で元治元年(1864年)に建築されたもの。
旧三越8階で昼食するうちに外は雨が止んでいた。予定通り聖蹟記念館に向かう。お目当ては、「谷川岳一の倉沢衝立岩正面岸壁」の初登はん者「南博人」氏の個展観賞。SさんIさんは元山男の血が騒ぐのだろう、来訪を喜んでくれた作者と「谷川岳一の倉沢衝立岩の絵を前にしてロッククライミング談義」に話が弾んでいた。
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皆でコーヒータイムのあと、空は嘘のように晴れ上がっていた。雨傘を日傘に翳しながら、整備された雑木林の散策路を下った。雨上がりは気持ちよく、まだ歩き足りない気持ちも皆同じで、遠くまで現れた奥多摩の山々を同定したりして暫し眺めた。「ゆうひの丘展望台」は180度、奥多摩から奥武蔵まで一望できるアキアカネ飛ぶ草原だ。都立桜ヶ丘公園はサクラが有名だがモミジも多い。行き逢う中学生に再三道を尋ね裏道探しに聖蹟桜ヶ丘駅に到着。名実共に目出度く万歩会となった。今日は考古学やら絵画展やら公園やら珍しい趣向の例会であった。
ForYourInformation
Oさんに教わった「オンマウス/マウスオン・アルバム」という「ブログ投稿の小技」をこの記事で使ってみた。ブログが歪んだり、何度もやり直しとなったりした。習った技は失敗して身につくと信じて…
まだマスターしていない。投稿前のプレビューの画面が投稿後の{あなたのブログを見る}で見てみると歪んでしまう。追っかけてメールで教えていただいた方法で修正してみたら、アラアラ直っているではないか!!まだ何か欠けているかも知れないが?出来たー!感激!!!
念ずれば花開く・見えない糸に引かれて