歌わない時間

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クリスティー『五匹の子豚』

2010年12月20日 | 本とか雑誌とか
アガサ・クリスティー/山本やよい訳『五匹の子豚』(ハヤカワ文庫)読了。真鍋博さんのカバーイラストが復活したのを期に再読。このカバーを手にした記憶がハッキリあって、むかし一度読んだのは確かなんですが、中身はぜんぜん憶えてなかった。ポワロ(ハヤカワの表記は「ポアロ」)が十六年前の殺人事件の再捜査を依頼される。ポワロは五人の関係者を訪ねて話を聞き、さらに五人それぞれに、事件の前後に関するくわしい手記を書いてもらう、という話。四〇〇ページを超える作ながら、瀟洒な佳品ておもむき。読み終わってみると、あれがああなって、これがこうなって、じつに端整にパズルが組んであったことが分かる。

ハヤカワ文庫のクリスティは、「クリスティー文庫」として模様替えしたとき、真鍋博さんのイラストの入ったカバーを捨てて、写真を使った新しいカバーにしちゃったんですよね。それが今回、訳が新しくなったからという理由で、期間限定で真鍋版のカバーを復活させたんだそうです。たぶん、真鍋さんのカバーに戻せって声が早川書房に多く寄せられたんだろうと思う。わたしにとって『五匹の子豚』がまさにそうだったですが、読んだ中身は忘れても真鍋さんのカバーは憶えてる、って例は多かったろう。とにかくクオリティ高いイラストだったもの。

原著は1942年刊。でも戦争の影はまったくなし。問題となる殺人事件はそれから16年前というから、1920年代に起こったとみなしてよいと思う。上流階級の画家の、デボンシャーの海岸近くにある住まいが殺人の舞台。被害者となったその画家が戸外で絵を描いていて、奥さんが画家である夫のために、冷蔵庫で冷やしたビールを持ってくる。つまり20年代にもうあちらでは、富裕層の家庭には冷蔵庫が普及していて、ビールを冷やしてたんですね。

ここまで書いてから、百科事典で「冷蔵庫」を引いたら、電気冷蔵庫は1913年にアメリカで実用化され、20年代には日本にも入ってきた、とあった。1930年には日本国産の電気冷蔵庫も発売されたけれど、家一軒買えるほど高価だった由。『五匹の子豚』は42年刊だから、20年代のイギリスを回顧して、その時代の先端の風俗として電気冷蔵庫を取り入れた、というのはアリだと思う。