歌わない時間

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「かんがみる」?

2010年12月03日 | 気になることば
「かんがみる」が変だ。これはここんとこずーっと気になってます。もともとわたしは「かんがみる」なんてことば、知ってはいたけどほとんど自分で使ったことがなく、でもいつからかこのことばが使われているのを見かけるようになって、気になりだしました。それがたいていの場合、これ間違いなんぢゃないかなあと首をひねらされる使い方なのだ。

たとえば、きょうの毎日jpによると、「ヤマキ」は海老蔵が出ているCMの放送を、例の件のせいで見合わせることにしたそうなんですが、そのコメントとして「ヤマキ」は、「一連の報道の社会的影響をかんがみ、見合わせることにした。」としているそうです。が、この「かんがみ」も怪しい。わたしはこのコメントを読んだとき、なんですなおに「考え」としないんだろうと思った。このコメントを出した「ヤマキ」の人は、「かんがみる」は「かんがえる」と同じ意味だと思いこんでいるのではないか。あるいは「かんがみる=かんがえてみる」とかいう意味だなどと誤解しているのではないか。

「かんがみる」は「かんがえる」とは違います。誤用してる人たちは、「かんがえる」よりも「かんがみる」のほうが得体がしれなくて、かつ、もっともらしいから、意味もよく知らないくせになんとなく使っちゃうんだろう。「遺憾」とか「厳粛に~」とかと、誤用の病根は同じだと思うね。

ふつう「かんがみる」は、「これまでの先例にかんがみてしかるべく処理する」とかいうふうに使う。なにか参考になるものがあって、それをよりどころにしつつ当面の懸案に対処する、みたいなときに使うのである。そして直前に来る助詞はふつう「を」ではなくて「に」である。