歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

帰ってきたAxel

2010年12月05日 | 演ずる人びと
《Alles was zählt》では交通事故で入院中だったAxelがシュタインカンプに戻ってきました。わたし正直に言うとAxelは自動車に轢かれて死んじゃったのかと思いこんでたので、「おまい生きとったんかい!」という感じでした。(ちなみに、いまわたしはここで、「轢く」という漢字が車偏に〈樂〉だったってことにびっくりした。わたしこの字まだ手書きで書いたことないかも…。)

でも、なんか事故の後遺症があって、むかしの、ああ言えばこう言ううざったいAxelらしさが減退している。Axelはあのままなのかな。

Jennyの死の一件でいまだに話を引っ張っているんですが、もういい加減にしてくれんかねえ。まあ現実の世界では、(Simoneにとっては)娘の死、(Marianにとっては)愛した女の死、というのは、ひと月やふた月で立ち直れるもんではでないとは思います。でもそれをテレビドラマで、現実の時の流れと同じ尺で繰り返し見せつけられると、痛々しさを通り越して見てるこちらの気持ちが引いてしまう。

先週はドイツ語講座入門編の教材として使えそうなせりふがあちこちにありました。死んだはずのJennyから手紙が届いた、ってことで〈Jenny lebt.〉ってせりふが繰り返し出てきた。「Jennyは生きてる!」ってことでしょ。わたしにも分かったよ。「生きる」が〈leben〉で、それの三人称単数だから、〈lebt〉。それから復活したAxelがRichardのオフィスに現れて、それを見たMaximilianが驚いて言うせりふが〈Sie?〉で、それに対するAxelの返事が〈Ich!〉というのも面白かった。日本語だと「おまえ、もう帰ってきたのかよ?」「ああ。またオレ流でやらせてもらうぜ!」って感じだと思う。MaximilianにとってAxelはもちろん〈Du〉ではなくて〈Sie〉なのね。

《Alles was zählt》を見てるとドイツ語勉強したくなりますね。現在形の活用語尾の変化は-e、-st、-t、en、-t、-en、でしたっけ。その昔、辻あき子さんといっしょに憶えました。