歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

日本語で伝える技術

2013年11月11日 | 気になることば
Firefoxで、新聞社のニュースサイトやNHKを別にすれば、アップルのサイト内にある「Apple サポートコミュニティ」をのぞいている時間がいちばん長いかもしれません。アップル製品について情報を得るというよりも、コミュニケーションの勉強になります。確かにコンピュータの不具合の内容を人に伝えるって、とてもむつかしい。問題は、そのむつかしさに関して無自覚な人が、まだまだ多くいるらしい、ってことです。いまはMavericksへのアップグレード騒ぎで、いつにも増してあそこに駆け込む人が多いようにも思われる。でもそういう人たちの多くが、日本語で伝える技術に欠けている。

むかし、パソコン通信のころのNIFTY-Serveにも、FMACBG、などという会議室があって、今のサポートコミュニティと似たようなやりとりが交わされておりました。その記録はわたしのMacにも過去ログとして保存されていましたが、OS Xの時代になって、茄子Rとかのログブラウザで読めなくなってしまって、いつかHDから消してしまった。OS 9までの昔のMacの話なので、技術的にはもう使えるところはないんですが、パソコン通信のころは、ネット上でやりとりされる日本語が総じて今より丁寧だったと思う。そのことを確かめてみたいとこのごろ痛切に思う。

さっぱりわけの分からない身勝手な日本語でしか物が言えなくて、読む者を困惑させる人、が昔はいなかったというわけではない。それは昔もいた。でも今よりは少なかった、と思う。パソコン通信のころは、会員固有のIDが発言に紐づけされていて、発言のたびにIDが明示されるので、それが発言する際のハードルを高いものにしていた。今のApple サポートコミュニティにしても、発言するには一定の手続きが必要なようですが──わたしは見物だけで、発言したことはないから実はよくしらない──、でもその手続きが、発言者の、コミュニケーションのあり方に関するチェックにはぜんぜん結びついていないように思われる。