歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

「ビキニ」の話の続き

2013年11月08日 | 気になることば
きのうのビキニ語源説は、わたしにはよく分からないことだらけなのでずっと気になっていました。そもそも、核実験で他国の人間に死の灰を振らせた実験場の名を、こともあろうに女性用水着の呼び名として使う、なんて感覚は、わたしには理解しがたいものだったんですが。

ただ、光線のように鋭いシュートを思わず「フクシマのよう」と例えてしまう人がいるのですからね。それを思えば、世にはじめて登場したあの手の水着の衝撃を「ビキニのよう」と例えた人がいた、というのも、あり得ることのようには思えますね。もちろん事の善し悪しは別にしてですよ。

ドイツのアナウンサーは二十一世紀の人なのですぐに謝罪したけど、女性用水着を「ビキニ」と呼んで流行らせた二十世紀の人は、マーシャル諸島の人にむかって謝罪なんかしてないだろう。

女性用水着をビキニと呼んだのが誰なのかは分からないけれど、どっちにしてもアメリカででしょ。アメリカで、誰かが、あのスタイルの水着をビキニと呼びはじめた。そのとき、アメリカの人たちのあいだで、核実験との連想がどのくらいあったのかなかったのか。

さらにあの水着が日本に入ってきたときに、日本人はビキニという呼び名に対してどのように反応したのだろう。抵抗はなかったのか。第五福龍丸事件のあとでも?

この話題は、話の持っていきようによっては、新書一冊分くらいにはなるネタだと思うんですけど、ちくま新書あたりで、だれかに書いてもらえないかね。出たら、少なくともわたしは買って読みますよ。