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おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

1971年8月球磨川流域水害

2021年01月25日 12時12分32秒 | 歴史






 岳父の植物標本(注1)
 サツマイナモリ(注2)を挟む新聞紙(上の写真)
 50年前の球磨川流域水害の記事
 1971年08月11日朝日新聞
 次のよう
 08月05日夜から06日未明
 人吉市、球磨郡、八代郡等は大被害
 原因は県営市房ダムの非常放流
 台風19号の豪雨
 ダム流域に3日間で984mm
 05日夜、人吉市の緊急避難命令発出時
 ダム水位は285m堰堤の上端迄残り2m
 球磨川堤防を越えた水の一部
 人吉市中心街に流入

 ちなみに同市下青井町の電柱標示洪水位は次の高さ(注3)
 1965年2.1m、1971年1.1m、2020年07月4.3m
 
 注1 弊ブログ2020年12月01日
 注2 弊ブログ2019年03月04日
 注3 朝日新聞デジタル2020年7月7日 16時39分
  https://www.asahi.com/articles/ASN775606N76ULBJ015.html 
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:2021年01月25日
 撮影地:埼玉県久喜市
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世界遺産・寺山炭窯跡

2019年02月19日 00時00分00秒 | 歴史






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 1958(安政05)年築造の寺山炭窯
 旧薩摩藩・島津斉彬の指示により三つの窯が築かれた
 その一つが遺り上の写真(注1)
 当炭窯跡は世界遺産明治日本の産業革命遺産を構成

 窯は1,500度を発する白炭(しろずみ)を生産
 白炭は鉄やガラス等の溶融に使われた
 旧薩摩藩・集成館に於いて

 注1 稼働時には粘土製ドームが天井を覆う
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:2019年02月12日
 撮影地:鹿児島市

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水田は変わる 12年後

2018年12月27日 00時42分13秒 | 歴史


写真01 2006年04月30日



写真02 2007年04月30日




写真03 2008年02月16日



写真04 2009年05月22日



写真05 2012年06月17日



写真06 2018年12月16日


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 宅地となる屋敷林がある(注1)
 宅地となる水田もある(上の写真①)
 大鍬の利用をご教示のE氏(注2)
 ①の水田で2007年まで水稲を栽培
 同氏の死去後、①の水田は宅地に
 その経過を上の写真に見る
 現在、若い核家族の暮す地となる
 
 注1 屋敷林は変わる 12年後:弊ブログ2018年12月19日
 注2 大鍬・オークワは当地の在来犂:弊ブログ2017年07月27日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:上記
 撮影地:埼玉県久喜市
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屋敷林は変わる 12年後

2018年12月19日 00時00分00秒 | 歴史

写真1 屋敷林、2006年04月16日


写真2 2018年11月19日の写真1


写真3 屋敷林、2006年04月16日。写真1に続く


写真4 2018年11月19日の写真3

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 北関東の平野部に多い屋敷林
 防風・防寒、薪材等の確保の林
 屋敷の北~西に植栽・維持された
 生活様式変化で存在価値は低下傾向
 近年、伐採される屋敷林を目にする
 
 ここは自然堤防上の列状集落
 屋敷林も連なっていた
 しかし伐られて宅地となる傾向
 その一つが上の写真
 X氏宅の12年後の変化を見る

 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:上記
 撮影地:埼玉県久喜市

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栗橋関所百話001 赤穂浪士討入り

2018年12月14日 02時29分53秒 | 歴史


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 本日は新暦12月14日
 316年前、1702年旧暦12月14日
 赤穂浪士討ち入りの日
 次のように記される(注1)
 元禄十五年十二月十四日之夜
 浅野内匠殿浪人四拾七人
 吉良上野助殿屋敷江夜打ニ入
 上野殿父子ヲ切殺
 夫より大乱也
 是ゟ先者畧ス

 さて写真のミカンに浪人を
 塀に吉良邸のそれを連想

 注1 栗橋関所の番士を代々務めた島田家の文書(久喜市立郷土資料館所蔵)、史料番号12・通番32[御関所御定書、天和2年~宝暦6年]235頁。弊ブログ2018年03月04日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:2018年02月12日
 撮影地:埼玉県久喜市

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