Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

ドロミテ周遊トレッキング 5日目後半

2023年07月22日 | イタリア
峠は上がってきた人とこれから下る人で混雑していました。
ここでは短めの小休止。
足を止めるとすごく寒い。
20B FANES方向へ進みます。
案内板の後ろの方はノースリーブに足まで出しちゃってます。
まあ湖で泳いでる方もいましたけどね。
向こう側から峠に上ってくるレディース。
あなた達も短パンですか。
雨上がりの岩場なので、滑らないよう注意してとガイドのエド。
それでは参りましょう。
岩場が終わると、道は一本に。
両側はきょうもお花畑。
黄色に白にとたくさん咲いています。
開けたところに出たので、ここで遅めのランチタイム。
もうすぐ13時半になるところでした。
広範囲に広がるメンバー達。
向こう側と手前側でお互い写真を撮り合いました。
進行方向はこちら。
右のルートを進みます。
ワタスはこちら側に陣取りました。
左のルートを歩いて来ました。
再スタートし、ファネス渓谷に向かって下って行く途中、
左足が滑り、尻もちをつくと同時に右足首を捻りました。
滑った時の状態を再現するとこんな感じ。
家でわざわざこんな写真を撮るのも悲しいけれど。
右足首に激痛が走り、起き上がれませんでした。
そしてプチンという嫌な音が!
その音がすごく怖かった・・・。
すぐにエドがやってきて、立てる?と聞かれたのですが、
痛くて痛くてとてもじゃないけど立てませんでした。
すると両脇をかかえ、起き上がらせてくれましたが、右足を付くことはできず。
見かねたエドがザックから太いテープを出してきました。
靴下を脱いで座り、自分のザックからロキソニンシートを出そうとするも
体をひねってザックカバーをめくり、中の背ポケットから取り出すのも大変でした。
そしてこんな時に限って持参したロキソニンシートの在庫が少なかったのです。
足首に小さめのシートを2枚貼ると、ここまで高みの見物だった添乗員が
ふくらはぎにも貼った方がいいと言ったのです。
なんで?と思いましたが、残り少ない1枚を仕方なく貼りましたよ。
エドがテーピングしてくれて、なんとか足を着くことはできましたが、
これではとてもメンバーの歩調に合わせることはできない。
置いていっていいですよ、後から行きますからと言うと、
添乗員が大きな声で、誰がめんどうみるんですか!と。
どうして怒られなきゃいけないんだろう、こんなに辛いのに。
エドにあと4km歩ける?と聞かれ、Yesと。
だってワタスが歩かないと隊が進みませんから。
そしてザックを担げますか?と添乗員。
誠に恐縮ですが、担げません。
するとザックはエドが引き受けてくれました。
添乗員からWストックで歩いた方がいいと言われたのですが、
1本しか持ってないので、彼の1本を貸してもらいました。
今回どうしても事故現場の写真があればと、ネット検索したところ
ヤマレコという公開された山行記録の中にありました。
なんと同じ旅行会社の同じツアーで6月に参加した方の画像でした。
許可をいただいたので掲載します。
コケたのはおそらく赤丸辺り。
あと少しで平らな渓谷になるところ。
ドロマイトが小石ほどに砕け、そのザラザラが乗る硬い路面でした。
なんてことのない緩い下りで滑るなんて。
右足はまっすぐ着くことは出来ず、真横に向けないと歩けませんでした。
痛みを堪えながら、なんとかファネス渓谷まで下りてきました。
事故直後は気が動転していましたが、徐々に落ち着いてきたので写真を撮る余裕が出てきました。
ファネス渓谷には牛が放牧されていて、くつろぐモー。
3日目にも見たニグラ・バニララン。
花からバニラの香りがするとのこと。
休憩時にエドがガムテープを取り出し、
自分のザックとワタスのザックをテープでぐるぐるに巻き付けました。
ここまで右肩にワタスのザックを、左肩に自分をザックをと担いでいたのですが、
ショルダーハーネスが滑り、何度も何度も担ぎ直していて心苦しかったのです。
これで安定したので、ホッとしました。
青いザックカバーがワタスのザックですが、軽量化しているエドに比べると
2泊3日分を入れたので相当重く、ほんとうに申し訳ない。
休憩も束の間、また痛みに耐えて歩かなければ。
こんな足でも相当アドレナリンが出ていたのでしょう。
先頭のエドに付いてと言われたので、遅れないようビッコを引きながら小股の速足。
証拠写真は帰国後旅行会社から送られてきた旅日記の写真からスキャン。
メンバーからそんなに速く歩かなくていいよと言われるほどでした。
ちょうどコース脇にお馬さんがいました。
やさしく撫でるエド。
反対側には親子馬。
後を付いて歩く仔馬がかわいい。
橋を渡ると、遥か向こうに山小屋が見えてきました。
でもあれが本日のお宿ではないのよ。
ここら辺りから雨がポツポツ。
山小屋に着く頃には本降りに。
一度脱いだレインウエアをまた着る羽目に。
雨の中でもマーモットが走っていました。
リモ湖に着いた時には本降りに。
もう泣きっ面に蜂ですな。
少し上ると、眼下に山小屋が見えてきました。
いくつかあるけど、どうか一番近い山小屋でありますように。
上りはまだいいのですが、下りは痛みが走り、ラストの階段が辛いのなんのって。
ようやく山小屋のテラスに着くも全身ずぶ濡れでした。
この写真は翌朝なので晴れていますが、この日よけの下で部屋割りを待ちます。
ぐるぐる巻きのテープを外し、自分のザックを取った時、
重かったであろうエドに心から感謝しました。
彼が担いでくれなければ歩けなかったかも。
カバーで覆われてない部分、ショルダーハーネスやウエストベルトはびしょ濡れでした。
メンバーはすぐに地下の乾燥室へ。
サッサと干したいのは山々ですが、もう痛くて歩けないのよ。
一番最後に地下に行ってみるも、時すでに遅し。
たくさんのレインウエアがかかり、干し場がありません。
なんとか隅の方に持参した針金ハンガーで吊るしました。
そして割り当てられた3Fの部屋へ。
この日の部屋割りは、ご夫婦4組に女性1人参加の2名が加わり、10名で一部屋。
お部屋は11人用でしたが、そこに10名。
右側には2段ベットが1つに3段ベットが1つ。
1つ余るので、さすがに3段ベットの一番上は使いませんでした。
あそこに上るのも大変そうですし。
左側には2段ベットが3つ。
メンバーが入口横の左一番手前下段がワタスのベットだからねと。
足のことを考慮してのお心遣い、ありがとうございます。
できるだけ歩き回りたくないとドアを開け、
その隙間で登山用パンツから部屋着の緩いパンツに着替えていたら、
どなたかの旦那さんに見られてしまい、もう上は着替えるのを止めました。
部屋割りはせめて男女で分けて欲しかった。
そして追加で乾燥室まで干し物を持って行くのも、
地下と最上階の3Fを往復するという罰ゲームのような長い階段地獄が辛いこと。
足がこんなことになってベットで途方にくれていると、
お向かいのK夫妻の奥様が、2袋持参したから1袋使ってと
ロキソニンシートと同じ効果のある7枚入りの湿布をくださいました。
これはほんとうにありがたかった。
もう残り1、2枚しかなくて、どうしようと思ってましたから。
そしてお隣のベットにいらしたS夫妻の奥様からは、ロキソニンの錠剤があるから
すぐ飲んだ方がいいわよとこれまたうれしいお心遣い。
皆さんのやさしさに頭が下がるばかりでした。
そんな中、もうこの後の行程はとてもこなせない。
離団しよう!と決意しました。
添乗員に明日から別行動とさせてくださいと言うと、そうですかと。
そして次にエドからワタスのザックを担いだことに対して、
金銭を請求されるかもしれないと。
正直、日本でもそんなことを言い出すガイドはいないと思っていますし、
そもそも最初の言葉がそれかい!なに言ってんだと呆れてしまいました。
それから離団書を出してください、フォームはありませんが、
項目はと、スラスラと羅列し始め、覚えられるかっ!
極めつけは右足首の写真を撮らせてほしいと携帯で写真を撮る始末。
とにかく事務処理を優先します。
おいおい、その前にまずは氷嚢を山小屋で借りて欲しいんだよ。
これを口に出して言えばよかった。
ここまで彼のことは英会話力もすこぶる低く、いかがなものかと思っていましたが、
転倒直後からより一層、考え方のズレを感じました。
人の痛みにまったく寄り添う気持ちがないのです。
転び方が地味過ぎたのでしょうか?
軽い捻挫程度で、ここまで激痛だということは露ほども思ってないのでしょう。
この日はシャワーも止め、夕食の19時までベットでじっとしていました。
連日ビールを飲んでいましたが、さすがに今夜は自主規制。
ボトルがそれっぽいですが、安心してください、お水ですよ。
たまたま目の前にエドが座ったので、氷嚢が欲しいと訴えました。
こんな時、Google翻訳(日本語からイタリア語へ)があってよかった。
さすがのエド。
すぐに厨房スタッフのところへ行き、こんな大量の氷パックを持ってきてくれました。
2時間の食事中、お行儀悪いですがずっと右足を横に出して冷却。
明日は山小屋前から8時半出発の車で麓まで下り、
そこから予約したタクシーに乗り換え、ホテルへ先行します。
この手配も何から何までエドがやってくれました。
タクシー代の領収書をもらうようにと添乗員から言われていたので、
エドにイタリア語で「領収書をください」とメモに書いてもらいました。
この領収書で旅行会社から立替金として後日支払われるわけもなく、
なんで自腹なのに、領収書が必要なんだろ?と思いました。
そして歩けてよかったですよ、あそこでヘリコプターを呼んだらと携帯を見て、
ほら36万円でしたからと添乗員。
歩けてよかった?
歩けなくても歩かざるをえなかったでしょー。
今思うと、いくらかかってもあそこでヘリに乗っていた方がよかったのかなとも思うきょうこの頃。
メニューの写真を撮り忘れてしまい、何の料理だか忘れてしまいましたが、
ボロネーゼ風のパスタ
ラズベリーソース?
メインは鹿肉だったかな?
いやいや豚肉だったか・・・。
もう心ここにあらずという感じでした。
デザートはベリー系のムース。
どれも美味しかったけれど、気持ちは沈むばかり。
食事が終わると、一足先にエドが退席。
ザックの担ぎ代が欲しいとは、おくびにも出しませんでした。
それでも何かエドにお礼をしたい。
彼が飲んだビール代を払いますと添乗員に告げ、さらに全員の飲み物代である現金をもらい、
ワタスのクレジットカードで全額支払いました。
というのも明日のタクシー代110ユーロ(17,776円)は現金でとエドから言われていたのです。
手持ちが少なく、成田空港で200ユーロ(32,320円)しか両替してきませんでしたから。
こんなことになるなら、もっと両替してくればよかったな。
山小屋の階段近くにあったアナグマの剥製。
君が生きていたら、アイツの右足首を思いっ切り噛みついて欲しかったよ。
そしたら少しは痛みがわかるっていうものさ。
何度も海外には行ってますが、初めての大怪我に夜も心細く不安で眠れませんでした。