Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

試用期間で退職

2008年09月30日 | 資格・転職・就職

応募しても応募しても不採用続きで、やっとのこと採用され正社員として働いていた会社をきょう退職した。
3ヶ月の試用期間で辞めたのだが、たった3ヶ月が3年にも感じるほど、濃厚な日々だった。
とにかくいろんな事が起こり、やっと落ち着いたかと思うと流れが激変するのだ。
まず人の出入りが激しい会社だったということ。定着率が悪いと残った社員の士気も下がりまくる。
そしてものすごいワンマン経営であるということ。社長の一声で何でも決定!
それまで暗黙の了解で決まっていたことが即ひっくり返る。準備してきた皆の努力は何だったの?
お盆に本社は一斉夏季休暇だったのだか、仕事が趣味という社長は休まずにわざわざ私達のビルまでやってきて会議を始めた。
社長が部内に入ってきたと思ったら、全員直立不動で微動だにしない。
暑かった部内の空気を一気に凍りつかせた。
お疲れ様です!と挨拶するも、返事もせずにギロッと横目で睨む。
苗字を呼び捨てにされるのはまだ許せるが、社員を「おまえ」呼ばわり。ここは軍隊?
ご苦労さんの一言があってもいいんじゃないのぉー?と心の中で思っていた。
そして仕事で切れる男性がいないということ。
私の部はほとんどが女性なので、当然管理職、取締役も女性。男性に対する評価はすこぶる厳しかった。
システムの中心にいる男性もだらしなく、頭も悪く、当然うまく仕事が回らない。
仕事でわからないことがあった時、いったい誰に頼ればいいの…。
私の仕事も事務というのは名ばかりで、体力勝負の仕事が付帯していた。
汗水流して働くというが、まさにその通り。
毎日大汗をかく作業の連続で、まさか私がスポーツクラブで体を鍛えている事知ってて、この仕事?というくらいキツかった。
同期入社の他の6人にこの仕事が当たっていたのなら、みな即退職していたかもしれない。
会社が入っている貸しビルの倉庫は狭く、空調もない。その倉庫内での作業が入ると一気に汗をかく。
商品が配達されるとまずは検品。そのため宅配業者にはオフィス内の狭いながらも物が置けるスペースに運んでもらう。
検品後倉庫に入れる時は、自分1人で大きな台車を使い倉庫近くまで移動、そこからは手で運ばなければならなかった。
台車が大き過ぎて、とても通路を通れないのだ。
個数が多くても軽い商品ならいいのだが、缶や瓶の1ケースをたった数m運ぶのもかなりの重労働だった。
私の場合、ここんとこの筋肉量UPが功を奏し、幸いにもギックリ腰にはならなかったのだが…。
また地下鉄1駅分、その大きな台車に荷物を載せて商品を運んだこともあった。
宅配便のお兄ちゃんがよく1人で運んでいるところを目にするが、あの台車には外枠がある。
当然、会社の台車には外枠なんてない。一度で済まそうと、商品を山積みにしてガラガラ押していくと、小さな段差でも商品がこぼれてしまう。
今月初旬、倉庫内の商品を一掃するため格安で社員販売を行ったのだが、あまりに倉庫内に商品があふれかえり、ピッキングするスペースもなく、仕方ないのでまた商品を外に出したりと、ほんとうに手間がかかった。
倉庫内には少しでもスぺースを作るため、とにかく高く高く商品を積み上げていたら、目指す商品を探している時に、積み上げた商品がガラガラと後頭部に落ちてきたこともあった。
これまた幸いに軽い商品だったので、結っていたポニーテールが若干ズレた程度で済んだのだが、これが瓶ものだったなら…と思うとゾッとした。
今月に入っていきなりの社長の一声で、ビル内に商品を置かない!ということが決まり、それからは徐々に倉庫内の商品が減ってきた。
退職までになんとか倉庫内一掃を目指していたのだが、社員販売以降にまた商品が届き、一時の足の踏み場もない時と比べると随分整理整頓されたなぁ~止まりだった。
きょう最後に部内で挨拶をした時は、3ヶ月で退職ということでなんだか肩身が狭かった。
しかしこの3ヶ月で自分に与えられた仕事は必死にこなしてきた。
そして職業委託訓練で2月~4月まで専門学校に通ったことが大きな効果を生み、それが評価にも繋がった。
たった3ヶ月でも何人かから頼られていたのはヒシヒシ感じるし、辞めちゃうのぉーと慕ってくれた人がいたのもすごくうれしかった。
とんでもない会社だったけれど、その中でもいろんな人と出会えたことは大きな収穫だった。
ただ、自分の仕事を後任者に引き継ぐことは、時間も短く、かなり端折って行ってしまい、果たして明日から大丈夫なのだろうか?と思う。もし自分だったら、不安でたまらない。
明日からはまた求職活動が始まる。
この勢いですぐ働きたいなと思うが、このご時世だ。いったいいつ次が決まるのか…。


忠臣蔵ごっこ

2008年09月28日 | まち歩き

きのうは去年からやろうやろうと計画しては頓挫していた、両国から泉岳寺までウォーキングをやっと決行した。
午後2時JR両国駅改札口にて、ぽちやん、たまちゃんと待ち合わせ。私は両手を空け、ウエストバッグにジョギングシューズという出で立ち。2人は背中にリュックをしょっていた。
たかだか10kmの距離なのだから、これがランナー仲間とだったなら、ものの1時間で到着するのだけれど、果たしてどれくらいかかるのか?
まずはスタート地点の吉良邸跡を目指す。
路地から路地までだったという広大な吉良邸も、いまでは小さい一角のみが本所松坂町公園となっている。
Kiratei 狭い内部には、吉良家家臣二十士の碑、首洗い井戸、松坂稲荷大明神があり、ネットで検索したところ、面積は当時の約86分の1だそうな。
ここの前には和菓子『大川屋』があり、赤い大きな日傘の下でお菓子を広げて販売していた。
たまちゃんとぽちやんはさっそく「吉良まんじゅう」を購入。なんでもきなこを混ぜだ白餡のおまんじゅうだそうな。
私は手荷物になるので、「杏寿」という杏餡の生菓子をその場でいただく。これが杏好きの私にはたまらないほどおいしかった。
スタートして早くも寄り道休憩。それからは隅田川を渡るため、事前に頭に入れていた新大橋を目指し、サクサク歩いて行く。
きのうは曇で気温もそんなに上がらず、歩くにはちょうどいいお天気だった。
新大橋を渡ると、墨田区から中央区に入る。オフィス街は土曜日で、人もまばら。
Nihonbashi ここらへんは前に会社があった場所だからわかりますとたまちゃん。
ぽちやんが日本橋を渡りたいと言ったので、今度は日本橋を目指す。
日本橋からは延々とまっすぐ銀座を通り、新橋まで歩くことにする。ちょうど歩行者天国になっていたので、信号待ちがない分時間短縮になるかと思いきや、すごい人混みだった。
太ももの裏側やふくらはぎがちょっと痛くなってきたし、ここらで休憩を取ろうと思っても、どこのお店も長蛇の列。
あきらめて新橋界隈まで来たところ、ようやく空いているカフェを見つけ、小休止。
もう半分は来ているよ!と、ゴールの泉岳寺が近付いていることを2人に告げる。
しかしここで午後4時を過ぎていた。早く到着しないと、万が一泉岳寺の門が閉まっていたら、せっかく歩いて来たのに、なんだかその甲斐がないというものだ。
よーし、ここからがんばってスピードUPしよう~というと、ここまでも速いと思っていた…とたまちゃん。えっ、そうなの…。
しかしこの休憩で皆元気を取り戻し、再びワッシワッシと歩き出す。
御成門を過ぎ、増上寺を過ぎ、JR田町駅横を過ぎ、いよいよラストスパート!
するとここで港区の午後5時の合図「夕焼け小焼け」のメロディーが♪♪♪
5時だよぉ~、あともう少しなのにここまで来て泉岳寺に入れなかったら…と心配するも、それならそれでいいよ~とぽちやん。
空も薄暗くなり始めてきた頃、ようやく泉岳寺が見えてきた。
短い参道を歩くとまだ門は開いていて、右脇に建っていた大石内蔵助の大きな銅像がゴールを迎えてくれた。
Bosho よかったぁー、なんとか間に合ったよ。
さっそく本堂をお参り。その後、左側にある四十七士墓所へ。
みな同じ大きさの同じ形のお墓だったが、内蔵助と主税のお墓だけ、屋根付きだった。
私達以外にあと2組しか参拝客はいなかったが、毎年12月14日はすごい人が訪れるんだろうなぁ~。
それから参道脇にあるさびれた土産物店で、ぽちやんが友達のお土産にと忠臣蔵瓦煎餅を5袋も買った。
私が店主のおじさんに、どういうルートで赤穂浪士は両国から泉岳寺まで歩いてきたのですか?私達いま両国から歩いてきたんですよぉーと言うと、5袋購入ということも相乗効果を呼び、すごくうれしそうな顔で今説明しますから…と本まで持ってきて、道順を説明してくれた。
私達は新大橋で隅田川を渡ったのだが、四十七士は永代橋を渡ったと言う。まだまだ南下しないといけなかったのだ。
そこから現在の聖路加病院にあった主君浅野内匠頭の生誕地で仇討ち成就の儀式を行い、汐留に出て、後は私達と同じ国道15号線沿いに歩いたという。そうだったのかぁ…。
帰ってきてネットで検索すると、確かに詳細なルートを示したサイトがいくつもあった。事前に調べて歩けばよかったよ…。
そこから一路、電車にもバスにも乗らず、打ち上げ場所の麻布十番を目指して、再び歩き始める。
今回、歩き終わったら私が幼い頃通っていた銭湯「竹の湯」が途中にあるので、そこに入ってから乾杯しようと言うことになり、まずは「竹の湯」を目指す。
思いのほか時間がかかってしまい、竹の湯に着くと6時だった。焼鳥屋に電話をして、1時間後に予約を入れ、中に入る。
いまでは番台がなくなってしまい、フロントでバスタオルと手ぶらセットを借りる。
女湯は大混みだった。ブラックコーヒーのようなお湯に入るも、これが43度。とてもじゃないけど熱くて肩まで沈めなかった。
すると常連らしきおばちゃんに、あっちに入った方がいいよ!と区切られている狭い湯船を勧められた。確かにそっちの方がほんの少しぬるかった。
短い時間で3回「麻布黒美水温泉」に浸かり、すっかり疲労回復。筋肉通も取れた気がする。
喉カラカラで、焼き鳥屋に入り、生ビールで乾杯~。無事完歩お疲れさまでしたぁー!
3人とも妙な達成感に浸りつつ、飲むわ食べるわで、もう大満足の充実した1日でした。


御蔵島へ

2008年09月20日 | 旅行記

大会翌日は事前に申し込んでいた、ドルフィンスイミングに行ってきた。
私は何回も小笠原に行ったことがあるので、ドルフィンスイミングはそこで体験済みだった。
一緒に行ったMさんは初めてで、値段が高いこともあり、私にやったことがあるのなら無理してやらなくても…と言ってくれたが、1人待っていてもやることもなし。
いいよ、行くよ~と、朝から港を目指す。
10人程の参加者は、皆前日のオーシャンスイムリレーを泳いだツワモノ達だった。
なので、インストラクターも溺れることはないでしょうし…と、フィンとマスク、シュノーケルのレンタルを申し込んだ人達に貸し出した。
私は自分のマスクとシュノーケルは持参したのだが、フィンは長くてかさばるので持ってこなかった。
Mさんもスイミングゴーグルでやるから、何も借りないと言った。
漁船英丸に乗り込み、インストラクターから注意事項説明の後、一路御蔵島を目指す。
40分くらいで、御蔵島沿岸に到着した。
するとドルフィンスイミングツアーの船が何隻も先着していて、既に海に人が浮いていた。…出遅れてるよぉー。
我ら英丸もさっそくイルカの群れ探しに入る。
小笠原では大海原のど真ん中、海底も見えないドン深のところでドルフィンスイミングをやったものだが、ここ御蔵島では島の周囲に出没するらしく、最大水深10mくらいの沿岸で行われた。
船の左右のヘリに分散してまたがり、OK!と船長の合図でドボンと飛び込む。
私は常に左側ヘリの先頭で、またがっていたのだが、なにせ漁船なので水面まで結構な距離があった。
インストラクターには馬にまたがっているみたい…なんて笑われたが、それより高さはあったと思う。
飛び込んで、すぐにイルカの群れを待ち伏せするのだが、Dolphin2 フィンを履いている参加者とそこまで泳いでいくスピードが違う。
フィンなしではちっとも進まないのだ。
遅れて行ってもいったいどこにイルカ?って感じで、フィンを持ってこなかったことを後悔した。
1回目が終わって、船に上がり、いまさらながらインストラクターに余っているレンタルフィンありますか?と聞いてみたところ、メッシュバッグから取り出してくれた。
おー、よかったぁ~。やはりこれがないとね!
Mさんもフィンを借りると言い出し、2人で2回目からはフィンを履いて泳ぐ。やっぱり速い!
飛び込んで、あっという間にイルカが通り過ぎてしまう時もあれば、少し周りで泳いでくれる時もあり、その時々によって彼等の対応も違う。
またイルカ独特の甲高いピーピー音が水中から聞こえてくると、姿は見えなくても近くにいるんだぁーと実感できる。
興味深かったのは、左目の上が10円ハゲのように皮膚が露出しているイルカ。
個体識別にはうってつけなのだが、インストラクターの話によるとダルマ鮫にやられたという。
なんでもダルマ鮫は、喰いつきひねって噛みちぎるそうな。
何もそこまでやられっぱなしで、気がつかなかったの?と思ったのだが、確かにイルカには避けるすべもないんだなぁ~、長い手があるわけでもないし。
Dolphin3 またなぜか背びれにコンビニのビニール袋をくっつけて泳いでいるイルカ。
子供のイルカなのだろうか?遊んでいるそうだが、やけに白くて、目立っていた。
飛び込んでは上がり、飛び込んでは上がりと何回かトライできたが、私とインストラクター以外は皆水着で泳いでいたので、徐々に寒さを感じていた。
超寒がりのMさんはあと2回で終りというところで、もう飛び込まず1人漁船に残り、上から見ていた。
ほんと今回はウエットスーツを持っていってよかったぁ~。
最初はあんなに他の船がいたのに、気付いてみればあともう1隻くらいになっていた。
帰りの東海汽船出港時間が14:30ということもあり、私達の英丸も10:45頃で終了。三宅島に戻る。
出港予定の錆ヶ浜港近くにある「ふるさとの湯」までテクテク歩いて行き、ガラガラの温泉に入る。
風呂から上がり、お隣「ふるさと味覚館」にて、生ビールで乾杯~!
いやぁー、Mさんと2人で2泊3日の旅、お疲れさまでしたぁ~。
キンキンに冷えているビールが最高においしくて、かなりの量を一気に飲む。
そしてランチメニューの漬け丼を食べ、港に向う。お土産物店も港付近ではたった2軒。
それが前日の大会参加者、ダイバー、釣り人の三つ巴で大賑わい。
Mさんもそんなに買ったのぉーというほど大きな紙袋をかかえていた。
定刻通りかめりあ丸がやってきた。
帰りは椅子席だった。どんな感じなんだろうと思っていたが、リクライニングシートでかなりゆったりしていた。
出港して1時間くらいは寝ていたのだが、その後は目が覚めてしまい、甲板に移動したり、食堂にいた所属している海人クラブのメンバーやコーチと飲んだり食べたりして、あっという間に竹芝桟橋に着いた。
当初は行きたくなくて、行きの東海汽船では三宅島で港に着岸できなかったら、欠航ということもありますと放送がかかるも、竹芝桟橋に戻ってもいいや…くらいに思っていたのだが、行ってみて大会が終わると一安心。
気分転換になったし、イルカも見られたし、いろんな人に会えたしで、ほんとよかったぁ~。
次回もしまた訪れることがあったなら、その時は復興が進み、火山性ガスの警報も出ず、活気がある島になっているといいな…。

Dolphin1_2


三宅島へ

2008年09月18日 | 大会

Ows 先週は『オーシャンスイムリレーフェスティバル』に参加するため、13日(土)夜、三宅島に向かった。
会社も退職間際でバタバタ忙しく、その上残業もありで、この週末はゆっくりしていたいなぁーと思っていた。
行きたくねぇーなぁ~、台風来ないかなぁーと願っていたのだが、祈りもむなしく船は出港…。
行きは特2等だったので、これは寝られる!とトマトの缶酎ハイを買いこみ、乗船してすぐに飲み終え、11時半には2段ベットの上に横になるが、これが一向に眠れない。
深い眠りにはつけず、寝たのか寝てないのかわからないまま4時半には船内放送がかかり、まだ暗い早朝5時に三池港に到着。
眠い、ひたすら眠い…。
民宿のお父さんがお出迎え、さっそく宿泊先のラッパ荘へ。
ありがたいことに部屋には布団が敷かれ、8時には朝食を用意しておくから、一寝入りしなさいなとお母さん。
大会の送迎バスは11:10に来るのだから、もっと寝ていたいのになぁ…。
とにかく、急いで布団に入る。すると雨音がしてきた。あちゃー、雨だよ、雨…。
ウエットスーツ持ってきてよかったぁ~。
あっという間に8時になり、朝食を食べ、また布団に入り、1時間は横になる。
この民宿での睡眠時間がパワーの回復に繋がった。
雨は止んだが、曇天で全く日が射してこない。寒そう~~~。
レースの準備を始め、水着に着替え、バスを待つ。
民宿前にやって来た大型バスには、スイマーがわんさか乗っていた。座る席もないので、補助椅子を倒し、腰掛ける。
席の周りには知った顔が大勢いて、声をかけられる。
会場の伊ヶ谷漁港に着くと、テレビカメラが何かの撮影をしていた。
なんでも無人島暮らし自給自足番組の撮影で、よゐこの濱口とおバカタレントつるの剛士がいたそうだが、私は発見できなかった。
Miyake01 会場は真っ黒な砂浜の小さなスペースで、堤防に向かって泳ぎ、すぐ右折、外海に出て延々まっすぐ、ブイを回り、また戻ってくるというコースだった。
このレース、3人1組のリレー形式で、1人1,500mを泳ぎ、リレーゾーンでタッチして引き継ぐというもので、参加はたったの21チーム。少な!
私は2泳なので時間的余裕もあり、ギリギリまでUPしなかった。
1泳がスタートした後、海に足をつけるが、ちめたい…。水着の上にウエットスーツを着ることにする。
そして我チームの1泳がダンゴ状態で戻ってきて、タッチ。
オープンウォーター熱もかなり冷めてきた昨今。秋だというのにこれが今年初のオープンウォーターレースなのだ。
Miyake02 泳ぎ始めて、早くもドキドキする。落ち着け、落ち着け。
順位1つ前は知っているスイマーだったので、心細いこともあり、なるべく引き離されないよう泳ぐ。
右折して長い長い直線コースに入るとチクチク刺激が走る。顔にもピリピリきた。
どこを泳いでもプランクトンに刺される。刺されてもクラゲではないので、姿は見えない。
このプランクトン、オープンウォータースイマー仲間では、通称『チンくい虫』と呼ばれている。
なんでそんなにエロい名前をつけられたのかは不明だが、泳ぎ終わったスイマーは大きな声で「チンくいがいるよ!」と次のスイマーに情報を流す。
海から上がってすぐにはその症状は出てこないのだが、一晩寝ると赤い発疹が出始め、これがかなりの痒みを伴う。
案の定翌日はウエットスーツが袖なしだったため、両腕が赤いポツポツだらけになっていた。
腕の表側より、白くて柔らかい裏側が好きなようで、刺し方もやはりエロいのだ。
また足首までだったウエットスーツのすぐ下のアキレス腱回り、耳、顔までやられていた。
私だけではなく、多数のスイマーが刺され、痒がっていた。
無事、我チームも21チーム中、16位でゴール。
Dack 表彰式では、年齢区分別で3位。…とは言っても参加チームが少なくて、ほとんどすべてのチームが表彰されたのだけれども。
賞品で、かわいいアヒルのキーホルダーをいただいた。
これがとってもキュートで、1位のバスタオル、2位のセームより、ずーーーーーっと気に入った。
第1回ということもあり、表彰式がなかなか始まらなかったり、手際の悪さが目立ったが、なんたって三宅島復興支援の一環なのだ。
早く元通りの生活ができるよう、島民が安心して暮らせるようになってくれたらなぁーと思う。
しかし、自然が相手ではなかなか思い通りにはならない。
真夜中でも火山性ガス(二酸化硫黄)が高濃度になると、島内放送がかかりビックリした。
レベル1~4まであり、屋外に出てはいけない、家の中に入ってくださいと放送がかかった時もあった。
確かに温泉のような臭いは感じていた。
今週の土曜日は東京国際トライアスロン三宅島大会2008が行われるはずだったのに、台風13号のため、きょう中止が決定した。
がんばれ~、三宅島!


新入社員が来た!

2008年09月02日 | 資格・転職・就職

きのう、9/1入社の女性が2名、同じ階に配属された。
ほんとうはその内1名が上の階に行くはずだった。
私が退職したいと言い出したので、土壇場で配属が変わったのだ。
私が入社した時は、2週間以上引き継ぎも行われず、毎日何もやることがなかった。
今、考えるとなんてもったいなかったんだろうと思う。あの時、サッサと仕事の引き継ぎが始まっていれば…。
なので、きのうは入社したその日だというのに、午後からさっそく引き継ぎを始めた。なにせ時間がない。
私の仕事を引き継ぐ女性は、かなり間が空いての職場復帰で、PCスキルは初級程度だと言う。
とりあえず、Excelの表作成のための項目入力等、簡単なことからやってもらう。
きょうはきょうで、朝から集計した数値をその表に打ち込んでもらった。
ほんとうは集計作業もして欲しかったが、システムにログインできる環境が整っていなくて、データを拾えなかったのだ。
私達、同期7名が入社した時は、IDカードにログインナンバーとパスワードが1人1人きちんと設定されていたのに、今回はグループ企業のシステム管理会社に依頼もしてなかったのだ。
ったく、9/1入社ってことは前々からわかっていたのに…。
会社のシステム管理者の男性は、ほんと使えない奴だということは、入社してすぐにわかった。
PCが壊れて使えない等のトラブル対処がいい加減で、トップに指示されないと何度私達下っ端がお願いしても動いてくれないのだ。
頭に来て、自ら依頼書を打ち、事業部長のハンコをもらい、なんとか早めにお願いしますとFAXした。
新入社員の女性は面接で誰かの業務を引き継ぐとは思っていなかったようで、私がいつ辞めるのかと聞かれてしまった。
正直に今月末だと言うと、案の定自分にできるだろうか…と不安を訴えてきた。
それなのに、きょうは午後取引先にカタログ郵送と言う、めんどくさい業務を他の人から頼まれ、明日はベテランTさんが自分の業務を教えると言っている。
そんなにいっぺんに教えたら、不安で辞めちゃうんじゃない…というと、そんなら一度私に教えるから、その後引き継いでと言われ、丁重にお断りする。
彼女は来週の月曜日で退職なのだ。私より時間がない。
あまりに新入社員の彼女に一気に仕事が押し寄せて、かわいそうだと思う。
私と同じ階にいる同期が、私達が7月入社で9月末退職だと伝えてしまい、薄々えっー、なんで?と思っているはず。
自分のことを棚に上げて、なんとかがんばって欲しいと思う。
明日も極力サポートして、彼女が不安にならないようにしなければ…。