Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

あのホテルで!

2018年06月13日 | ニュース

先週水曜日、お友達のY子ちゃんからLINEが来まして、
ワタスが4年前に泊ったシンガポールのホテルが米朝首脳会談に使われるのね!と。
えっ、ほんまかいな?
その日は軒並みTVのニュースで、そのホテルが取り上げられていたんですが、すべて見逃しました。
残念・・・。
2014年5月、4泊5日で母と2度目のシンガポール旅行に行きました。
どうしてもマリーナベイサンズの最上階にあるプールで泳ぎたいという母の夢を叶えるために再訪。
ちなみにマリーナベイサンズとはこんなホテルなんです。

屋上には、三棟に乗っかる大きな船のようなプールがあるんですよ。
そこで航空券+ホテルと手配し、最初の2泊がセントーサ島内にあるカペラ シンガポール。
後の2泊がマリーナベイサンズでした。
その最初ホテルが今回の米朝首脳会談の舞台となったんです。
まさか4年後にあそこでトランプ大統領と金正恩氏が握手することになるとはねぇー。
という訳で今が旬のカペラ シンガポール4年前の画像を改めてUPです!
このホテルはセントーサ島内にあります。
緑の中にある赤茶色の屋根がそのカペラ シンガポールです。

空港からタクシーに乗り、島内へ。
橋を渡る時、ゲートでホテルの予約確認書を見せれば入島料が無料になりました。
こちらが正面玄関。

出かける時はスタッフがカートで送ってくれます。

但し、坂の下のメインロードまででした。
中に入ってチェックイン。
こちらのフロアで、まずはウエルカムドリンクで熱烈歓迎。

かわいい民族衣装をまとった少女が現れ、お部屋まで案内してくれました。
彼女の姿を写真に収めなかったこと、いまでも後悔しています。
すごくかわいかったんですよ~。
白い建物を後にして、宿泊棟へ向かいます。

あちこちに咲いているプルメリア。

通路を歩いていると、孔雀が放し飼いされてました。

右側の白い建物がフロントとレストラン。

左側の茶色い建物が宿泊棟です。
会談が行われたのは白い方。
2階バルコニーからトランプ大統領が手を振っていましたよね。
上から見ると、つるのないメガネのような形をしています。

こちらがお部屋。

窓がめちゃくちゃ大きくて、カーテンは電動で開いたり、閉じたり。

ベット間にある液晶で操作します。

ライトやエアコン、はたまた普通ドアノブにかける「DO NOT DISTURB」の表示もこちらをプッシュするだけ。
ウエルカムフルーツもあり。

エスプレッソマシンがありましたが、結局一回も使わなかったなぁ・・・。

洗面台は1人に1つ。

2日目に部屋に戻ったら、散らばっていた自前の化粧水や乳液等が、四角い盆に等間隔で美しく並んでいたんです。
母に、ちょっとこれ見てよ!と2人で感動しました。
そんなことしてくれるホテルなんて初めてでしたから。
これまたそれを写真に収めておけばよかった・・・。
バスタブもあれば、個室シャワーもあり。

シャワーカーテンがないお風呂ってびしょびしょにしちゃいそうで、苦手なんスょ。
なのてワタスは個室シャワーにしました。
この大きな扉は、

トイレなんです。

初日は外に出るエネルギーもなく、ホテル内のチャイニーズレストランでいただきました。

これが何を頼んでも、これだけ?というくらいの少量でした。
すごーくおいしかったんですけど。
翌朝は「The Library」へ。

その名の通り、本やDVDの貸出あり。
24時間飲み物や軽食が用意されています。
こちらで朝食をいただきました。

誰もいない・・・。
フルーツやヨーグルト、パン等が置いてあります。

前日通路でみかけた孔雀が部屋のバルコニーまで遊びに来てくれました。

ここまで飛んできてくれてありがとう!
この上のバルコニーから眼下に屋外プールが見えます。

段差がある2つのプール。

ラグジュアリーなホテルで、スイムキャップをかぶり、マジ泳ぎしているワタス。

おいおい、東京体育館室内プールじゃないんだぞー。
スタッフが冷たいミネラルウォーターと大きなバスタオルをすぐにリクライニングチェアまで持ってきてくれました。
さすがのサービス。
プールから宿泊棟を見るとこんな感じ。

3つ目のプールはやや下ったところにひっそりと。

このホテルを選んだのは、セントーサ島内に泊りたかったところ、ちょうど室料がセールになっていたんです。
それで選んだんですが、まさか歴史的瞬間がここで行われたなんてねぇー。
ワタスはマリーナベイサンズより、こちらカペラ シンガポールの方が断然好きです!
当時の画像を見て、思い出しました。
そうだ、こんなこともしたんだっけと。
おまけの1枚。

罰ゲームならまだしも、$5も払ってこんなことやる母娘なのでした。


田部井さんの訃報

2016年10月24日 | ニュース

10/22(土)、渋谷でスライドショーを見た後、元職場の同僚たまちゃんのお誕生日飲み会を遅ればせながらセッティング。
新宿の居酒屋で飲んで食べての帰り道。
地下鉄の中でスマホを見ると、そこに驚愕の記事が・・・。
「田部井淳子さん死去」とあり、絶句。
そこから最寄り駅まで涙が止まりませんでした。
だって、6月はお元気だったのに。
どうしても田部井さんにお会いしたくて、田部井淳子さんと歩く1泊2日の新緑の最上登山ツアーに参加したのは4ヶ月前のことです。
その時、確かに調子が悪く、初日の夜、旅館の宴会場に向かう田部井さんが、足の皮がむけて、このスリッパを履くのも足が痛いのよと。
夕食の席では、座布団に座らず、足を伸ばしたまま和室用の椅子に座っていらっしゃいました。
こんな状態なので、明日の登山は誠に申し訳ないけれど、お見送りとお迎えに代えさせてくださいと。
一緒に登れると思っていたので、ほんとうに残念でした。
翌日、現地ガイドさんに参加者への行動食を渡されて、田部井さんお手製の「しその葉巻き干し柿」とお取り寄せしているという「焼き芋」をいただきました。
私達が遅すぎたのか、足が痛むのに登山靴を履いて、下山口から歩いて迎えに来てくれた田部井さん。
前日も山の日行事会議のため、松本からザックを背負って山形入りし、私達を下山口で出迎えた後はすぐに福島へと超過密スケジュール。
こんなに急にお亡くなりになるなんて・・・。
田部井さんと一緒に山登りしたいと思ったきっかけになったのが、昨年12/1に行われた『エベレスト女性初登頂40年 登山家・田部井淳子さんネパール復興応援 講演会』です。
ネパールツアーの仲間から、行きませんか?と誘われ、参加者全員に田部井さんが描かれたオリジナルカレンダーをプレゼントというのも魅力でした。
会場の学士会館には初めて訪れましたが、レトロな建物がとても素敵でした。

初めてお会いした田部井さんは、エネルギーに溢れていました。
どんなにエベレスト登頂が大変だったかということを熱く熱く語られる姿に感動。

絶対田部井さんと一緒に山に登りたい!とその時強く思ったのです。
展示されていた当時の登山靴。

どれくらい保温性があったのでしょうか?
そうそう、ツアーの夕食時に私、背が低いけど足が大きいのよとおっしゃってました。
確か24cmだったかと。
エベレスト登山のために製作した特注品のザック。

酸素ボンベがちょうど入る大きさにしたそうです。
これを背負子に付けて、頂上アタックの時はボンベ2本を担いだそうです。
アイゼンもとても簡素な作りで、今とまったく違います。

エベレスト下山時に、ベースキャンプまであと200mというところで前歯が折れ、それが右の透明の箱に入っていました。
説明文には「アイゼンも役目果たしたとほっと安心したのか・・・」と書かれていました。
このアイゼンがグリベルというメーカーだったので、私も12本爪のアイゼンを購入する際に、グリベルにしました。
ミーハーですが、田部井さんと同じメーカーにしたかったんです。
今を思えば、こんなギアで、こんなウエアで、エベレストを登ったんですもんね。
そしてC2では、雪崩に襲われたにも関わらず奇跡的に生還。

そこからの山頂アタックは肉体的にも精神的にもかなりのダメージがあったでしょうに・・・。
それを跳ね返す絶対登るんだ!という強い意志。
今、こうして画像を改めて見返して「!」ということが。
展示されていたジャケットの胸に書かれている文字に見覚えが・・・。

講演会の参加者プレゼントカレンダーを6月のツアー時に持参し、田部井さんからサインをいただきました。
それがこちら!

これで「たべい」って読むのよ!と言われ、日本語で書いていただけるもんだと思っていた私はあれ?という感じでした。
ネパール語?と思っていましたが、このジャケットを見て腑に落ちました。

同じ文字ですよ!やっぱりネパール語でしたね。
実はこのサインをもらうのも大変でした。
旅行会社に確認を取ると、事務所に聞いてみますとの返答。
ようやく承諾を得ると、他の参加者の方には・・・と。
夕食後、一人宴会場に残った田部井さんの元に私が呼ばれ、書いていただきました。
今思えば、こっそりサインをいただいて、ほんとうによかった。
これはもう宝物ですね。
ツアーでは田部井さんと2ショットで写真を撮ることも、田部井さんの写真を撮ることも、禁じられていましたが、唯一登る前の集合写真のみ郵送で送られてきました。
数名の参加者がいた中で、偶然にも私が田部井さんの前に座っていたんですね、あの時。

素敵な笑顔の田部井さんと縦に2ショット。
かわいいイヤリングをしていたのが、とても印象的でした。
まだまだ長生きして欲しかったけれど、痛みから解放され、天国で山歩きを思う存分楽しんでいることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。


Scuba diving accident in Bali

2014年02月20日 | ニュース

おととい、カナダから英文のメールが届きました。
送信者は、前に勤務していた会社がアフター5に行っていた英会話サークルのGordon先生。
件名は「Scuba diving accident in Bali」。
日本人女性グループがバリ島でScuba diving中に事故にあったとラジオで聞きました。
君はscuba diverだから、この事件に関係しているか心配しています、連絡くださいと。
おー、ご心配をおかけしてと、さっそく「I'm safe!」という件名で返信。
最近はすっかりDivingから足が遠のきましたが、いままでタンク数にしてちょうど230本潜っています。
その中で一番怖かったDiving。
それはやはりバリ島での1本でした。
Divingでは、ログブックという冊子にDiving記録を残します。
きのう何冊もある中からその記録を探してみました。
するとビックリ!
今回のDiving事故と同じ島だったのです・・・。
Sd
潜水場所の欄には、レンボンガン島 軍艦前 と書かれていました。
潜水目的の欄には、水中写真のはずがカメラはボートに置いて行くことに・・・と。
潜る前からかなり潮の流れが速いことはわかっていたんですね。
救助されたインストラクターが洗濯機が回るような潮の流れだったと言っていましたが、何が怖かったって、私もその潮流でした。
洗濯機よりもっともっと大きな輪のような。
例えて言うなら、豊島園の流れるプールを3倍速にした感じ。
いやいや、5倍速かなぁー。
Drift divingという、潮の流れと共にDiverが移動するスタイル。
インストラクターが常に紐の先にブイが付いたものを持ち、そのブイをボートが追いかけます。
潜降するなり、いままで体験したことのないものすごい流れがきました。
Divingはまとまって潜行するものなんですが、もう仲間がどこにいるやら。
みんなぶっ飛んでましたから・・・。
怖かったのでできるだけインストラクターのそばにいこうと思ったら、なんと潮流に押され、追い越してしまいました。
Uターンしフィンで蹴っても流れに逆らえず焦っていたら、インストラクターが自分が持っている紐につかまれとジェスチャー。
必死にその紐までたどり着き、顔が向き合ったまま流れに身を任せ、なんとか浮上。
いやはやとんでもない流れでした。
みんなボートに上ってビックリ!
今考えると、よく全員見失うことなく無事だったと思いますょ。
こんな恐怖は後にも先にもこの1本だけだったので、忘れられません。
これは1988年5月1日午後のDivingでした。
26年経っても潮の流れが速いところはいまだに同じなんですね。
依然行方不明のインストラクター1名がどうか無事であることを・・・。


爆弾低気圧

2013年01月14日 | ニュース

きのうは風邪薬を飲み、お風呂から出てすぐに布団に入り、早目に就寝。
今朝、熱を計ったら、平熱に戻っていたので一安心。
午前中、TBSで「第40回JALHonoluluマラソン」が放送されました。
30km過ぎで歩きだしてしまうも、参加ランナー達に次々声をかけられ、また走り始める初マラソン太田雄貴選手。
宣言していた4時間切りが無理だとわかった途端、走りながら涙してしまうTBSアナウンサーの久保田智子さん。
10km手前から足が痛み始め、ほぼ歩きで完走した72歳で初マラソンの鳥越俊太郎氏。
こんなドラマがあったのね・・・と興味津々で見ましたょ。
それからネットで韓国ドラマを見て、お昼を食べようかしら?とカーテンを開けたら・・・。
ギョ!横殴りの雪じゃない。
23区内は積雪なし予報じゃなかったっけ?
ベランダの手すりにもこんなに積りました。
Snow1
いつもなら目の前に見えているスカイツリーがまったく見えません。
Snow2
きょうが祝日でよかったぁ~。
こんな日でもお仕事の人はさぞかし大変だったでしょう。
特に郵便配達や宅配業者の人達。
TVのニュースでは、宅配ピザのデリバリー兄ちゃんが坂の途中にあるマンションへ配達途中、バイクが動かなくなり、歩いて登って行く姿が写ってましたけど・・・。
きょうは家から一歩も出なかったので、路面状況がわかりませんが、明日は長靴を履いて行った方がいいのかなぁ~?
ちょうどきのうAmazonで注文した長靴が届いたばかりで、グッドタイミングなんですが。
天気予報は晴れなので、きっと帰りがマヌケな感じになりそうだわ・・・。Snow3