今朝のYahooニュースにて知った、このインドでの風習。凄いかも。
インドのヒンドゥー教徒に古くから見られる風習で「寡婦殉死」などとも呼ばれている。
夫に先立たれた妻が、夫を火葬にする際その火に飛び込み、あとを追うという風習なんだそうで、夫に身も心も捧げることの体を張っての証明と考えて、最高の美徳ともされるんだけど、現在はインド政府がサティを美化することを禁止するなど法律を厳格化しるよう。
怖いのは「美徳」という風潮から、周囲から強要されるケース。
自分の意志ではなくやらされてしまうというのは、・・・怖い。
インドのヒンドゥー教徒に古くから見られる風習で「寡婦殉死」などとも呼ばれている。
夫に先立たれた妻が、夫を火葬にする際その火に飛び込み、あとを追うという風習なんだそうで、夫に身も心も捧げることの体を張っての証明と考えて、最高の美徳ともされるんだけど、現在はインド政府がサティを美化することを禁止するなど法律を厳格化しるよう。
怖いのは「美徳」という風潮から、周囲から強要されるケース。
自分の意志ではなくやらされてしまうというのは、・・・怖い。
とにかく100年は生きないわけですので、やはり1日1日を大切にせねばと思うわけですが、このインドの風習というか女性というのは、それほどに旦那さんを慕っていたんでしょうね。普通に考えたら。
自分意思だと・・・いいとも言えませんけど、まあ理解もできるかな。
ご主人が亡くなったときから、このことを考えていたのでしょうか・・・
ネットか何かで知った言葉ですが、
「何気なく私が生きた今日の日は逝った誰かが生きたかった日」
ふと頭をよぎりました。