企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

ところで、新幹線の話

2008年02月29日 | 企業の一般的な話
今日で東京←→名古屋の新幹線に乗るのが9日連続。明日で10日となる(泣)。今回は500系には乗ることはなかったけれど、300,700,N700といろいろ乗りました。さすがに、上記に加えて近鉄特急も乗っているので、背中がかなり痛くなってきています。
で、思ったのは、N700系はイイ!ってこと。身体が感じる揺れは、東北・上越新幹線(それもはやて、とか)並になっていますね。ほとんど感じない。東京名古屋間なので毎時30分超過ぎの「ひかり」にも乗ります。だから300系も結構あたる。比べると全然違います。あれはもう近鉄特急並に揺れる上、座席は近鉄より固いくらいだから、出張族には堪えます。
ちょっとした悩みは、普通に静止しているときでも、身体が揺れを感じてしまうことがあること。揺れになれてしまうと、静止しててもおかしく感じてしまう。鉄道の運転手とかもそうなのかなぁ。
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中国農薬餃子についての中国側の指摘について

2008年02月29日 | 過去の不満たらたら記事
最初は、中国の公安の偉い人の発表を見て、なんなんだこの国は?と思ってしまったのだけれど、今、想いを改めている、そんな話。今回の件では、日本の警察は頑張っていると思います。中国とのやり取りをみていて思ったのは、実は、国内で政治家や役所の人を糾弾している側と、弁明している側という構図に似ているなぁ、ということ。
あの場面だけを映像で見ると(文章でもよいが)、こっちは証拠も提供しているのに、なんてやつだ!と思うかもしれない。だから、中国は信頼できない!とか言いそうになる。こういうのは、特に世界とのつながりを持たない人が思うことなんだろうな、と感じてしまった。ある意味、メディアは、考えての上でか、社会の問題の一つとして中国の対応を取り上げ、他の大問題から国民の視線をそらせようとまでしているんじゃないか、なんて感じるのだ。
あのような会見は、ちょっと悪さをした政治家や官僚が、よくやっているような内容ではなかろうか?ことさら中国だからと取り上げることではないだろう。既に、中国とは経済的な結びつきは決してなくなり得るものではない。反中運動なんかに発展するようなことがあっては、製造業などでおおいに困ることになるのじゃないか?
特に、政治というのは、一度非を認めてしまうと、どうしてもそれが弱みになりつけ込まれてしまうのだろうから、なかなか全面謝罪とかにはならない。真っ当な企業が不祥事を起こしたときとは全然違っている。中国の企業にしても、その辺りは心得ていないわけではなく、昔みたいな、契約なんて二の次、みたいなことは減って来ているわけだし。(もちろん、人間関係が重要なのは変わらないわけだけれど・・それは日本だけじゃなく世界中どこへ行っても同じ。ビル・ゲイツが、突然あなたの会社へ来て、会社の一年分の売上に当たる注文をしたいと言ったとして、すぐ判断できるか? また、レストランでクレジットカードしか持たないパリスヒルトンが食事をしたところ、カード端末が店になかった場合、つけにして、と言われて納得できるか?所詮、直接面識なければ信頼しないだろう)

で、何が言いたいかというと、メディアが報道する国際問題については、何らかの背景がある、と思った方がよいだろうってこと。コメンテーターが、今回の件などを見て、国民感情を煽るようなのは、報道ではなくて、扇動じゃないかとさえ思える。見る、読む側のリテラシーの問題でもあるだろうが、報道する側も、ある程度は節度をもってほしいな、と感じている。
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テレビドラマの断片を見ただけなんで、つぶやきに過ぎないですが

2008年02月29日 | 企業の一般的な話
ユースケ・サンタマリア?が出ているドラマを、家でちょっとテレビをつけたときに見かけた際に思ったのだけれど。今のテレビドラマでは、「○○っすよ」「××っす」という「っす」という語尾が多用されているように感じられてならない。言葉の乱れだ、と指摘したいわけではなくて、一つの表現方法ではあるとは感じてはいる。ただ、使っている人のマインドが、「です」の替わりに丁寧語としてつかっているように思えてならないのが、どうも納得行かない。
どうも、もともと「っす」というのは関東地方の方言だったようであり、「です」「ます」を短縮した形なんだそうで。丁寧語の短縮形は、丁寧語なのか、それとももはや丁寧語ですらないのか? ここが問題ですね。http://kotonoha.cc/no/127387 こちらに、いろいろな人の意見が載っていますが、使っている側であっても敬語ではないと認識している人がいるようです。
で、話はもどって、仕事の現場で若者と呼ばれる人々がそうした語尾を、相手かまわず使ってしまうのはどうかなぁ、と思うのですよ。まぁ、敬語についての認識の違いなのかもしれないけれど、本来謙譲語で話さなければならない時に、「っす」と敬語を使っている気分で話している人について、なんかちゃうなぁ・・と思ってしまう。
例えば、外人さんに、「○○っすか?」とか言われたらどうだろうか。たぶん、日本で働く中国、韓国人の方が、今どきの若者よりも敬語用法として見て正しい日本語を使っているんじゃないか? 日本人のコンビニ店員に「○○っす」と言われて、まぁ、そんなものか、と思える人でも、外国人に同様に言われたとき、なんか嫌な気がしたりしないだろうか? また、学校の先生が、生徒の親に対して「○○っす」と話しかけたとしたら、違和感を感じないか? 役所の受付で「××っすか?、○○に行ってくださいっす」なんて言われたら、頭に来ないだろうか?
テレビドラマにしても、牡丹と薔薇なんかでは、「っす」言葉はあまり出てこないんだろうなぁ。冬ソナに日本語訳で出てきたら(笑)、より自然かもしれないけれど、なんか雰囲気違ってくるよなぁ、とか感じてしまった。
ビジネス現場で生活していて、「っす」という言葉は、タメ口と呼ばれる環境でしか使われないと感じている。多少上下関係があるにしても、ごく近い関係でしか使われていないだろう。なのに、テレビドラマの中では、仕事中にも多用されているんじゃないかなぁ。
テレビがすべての原因だとは思わないけれど、これから入社してくる若者達が、揃って「っす」なんて言っているんじゃ、なんか仕事しにくいなぁ、なんて感じてしまうのだけれど。そういや、キムタクも「っす」を連発していた印象があるなぁ。芸人もそんな感じ。大物はそんな言葉遣いしないけれどね。芸能界って、社会への影響力はあると思うし、なんとかならんかなぁ、なんて感じる。
もっとも、「っす」言葉を使うかどうか、なんて仕事の出来には関係ないのだけれど、できもしないのに返事だけ大声で「っす」というのは勘弁してもらいたい、そんな想いをもったのだった。
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